「ポルカト様は、ティディア様へきっと素晴らしい贈り物をなさるのでしょうね」
その問いかけには、明らかに婚約なり結婚なりの指輪のことが含められていた。しかしこの会話の流れでその問いをかけるのは一種の皮肉にも思えるし、実際、答える側には危険である。ニトロは笑った。頬に嘲笑が浮かばなかったことを我ながら感心しつつ、彼は言った。
「ティディアに似合うものなど、ありません」
それはニトロなりの冷笑であり、またそんなものを贈るつもりはないという含意があった。今観察した限りの彼女らの流儀で測ってみれば、そのニュアンスはラドーナに容易に伝わったはずである。
しかし婦人はそれを少年の恋人への『驚異の賞賛』――比類なきティディアにはどんな宝石もアクセサリーも及ばぬ、という賞賛だと受け止めたらしい。
「まあ、姫様! ニトロ・ポルカト様はなんというお方でしょう!」
それは男を誉めつつも、実際には王女への惜しみない感嘆と賛辞であった。婦人の反応にニトロは失望しかけ、と、彼女のその表情の裏にはまたも“何か”があると感じた。そしてまたも、その正体を掴み切れなかった。
そうしてニトロを困惑の渦中に弄ぶ茶会は一時間も進んだだろうか、大きく事態が変化したのは、突然だった。
「さあ、そろそろ時間でございますね」
ラドーナがそう言いながら、いささかの躊躇いもなく立ち上がった。
刹那、とうとう“イベント”が来たかとニトロは身構えた。
しかしティディアには何の動きもない。
婦人もまるでニトロの存在を忘れたかのように王女を見つめている。
「……?」
ニトロの警戒心がもう何度目かの困惑に変わる。
彼が傍観する中、ティディアが言う。
「やめてもいいのよ?」
するとラドーナの頬が赤らんだ。
ニトロは、少なからず驚いた。
紅顔にして胸をそらす婦人は明らかに何かを勝ち誇っていた。そう、彼女は『ティディア』に対して勝ち誇っていた! そこで振り返ると、王女はもはや態度を隠さぬ貴族の女をからかうように、微笑んでいた。
ニトロはぎょっとした。
ティディアの瞳の色を認めて、それが己に向けられてものではないにも関わらず、ニトロは思わず動揺してしまった。
彼は、疑念を覚えずにはいられなかった。
ラドーナ婦人は何故この瞳を前にしてそんな顔をしていられるのか。もしや婦人は王女のからかうような……同時に何かを取りなすような微笑に囚われて、このティディアの本質に気づいていないのか?
彼が目を戻した時、婦人は高らかに言った。
「寛大なるお心を感謝いたします、ティディア様、しかしお止めになりますな」
その時、ニトロは婦人の中の“何か”の一端をようやく理解した。それは、敵意にも勝る優越感であった。婦人は尊大に続ける。
「
そして実行することによって、至尊なる姫君に我が高潔なる魂をご覧に入れるのです」
ラドーナはそう言ってくるりと背を向けると、何歩か力強くテーブルから離れ、そこでまた振り返った。婦人の頬は未だ興奮に赤らんでいた。その目は彼女の曰く高潔なる魂を反映して輝き、その身には居丈高な自尊心がそそり立っていた。
――が、次の瞬間、その頬の色が、褪せた。
瞬く間に目の輝きも薄れ、自尊心も倒壊せんばかりにぐらりと揺らいだ。
彼女は距離を置いたことでやっと気がつくことができたのだ。
不遜にも己が相対する姫君の微笑を飾るその暗黒の宝石に、その双眸が示すものに!
婦人は、しかし持ちこたえた。
そして彼女はここで思い出したようにニトロを一瞥した。その視線の動きはあからさまであり、彼女を眺めるティディアもそれに容易に気づいたはずだ。婦人の瞳が光を取り戻した。それはぎらりと粘り気を帯びていた。
「それでは」
心持ち顎を上向け、半ば傲慢な、あるいはこの恐ろしい『クレイジー・プリンセス』を侮蔑するかのごとき挑戦的な顔つきで婦人は太陽をシンボル化した
ぱさりと
婦人は下に何も着けていなかった。
脱ぎ捨てられたドレスの上に一糸纏わぬ裸体が堂々と晒される。
年齢を感じさせぬ若い輝きが、玉も弾かんばかりに肌を着飾らせていた。
「!?」
驚いたのはニトロである。喉の奥で出そうとして出せなかった驚愕の声が潰れる。反射的に目をそらそうとするが、その瞬間、彼の視界の端にヴィタの影がちらついた。
それが、彼に貴婦人の裸を目にする羞恥を忘れさせた。
いや、羞恥だけでなく、彼は女性の裸を凝視する無礼をも忘れた。
『クレイジー・プリンセス』の懐刀の不審な動きによって励起された不信感と警戒心――いつだって
その心は恐ろしく冷静な観察眼となって彼の表面に現れ出た。
すると、少年のその様子を見て激しく動揺した者がいた。
他でもない、ヘイレン・ユウィエン・ラドーナである。
彼女は己の『女』としての魅力に多大なる信頼を置いていた。五十を超えても何ら医療の補助もなく――そう、同年輩の“淑女”達が競って追い払おうとしている老いを、彼女らとは違ってその醜い争いに混じることなく超然としてこの神から賜った身の一つで打ち負かしている己の美を、彼女は心から誇っていた。女相手だけではない。豊満な乳房、淫欲を誘う腰つき、それらが眼前に暴露されて平気でいられる男はいない。実際、一人たりとていなかった。『男』とはすなわち彼女に征服されるだけの存在でしかありえなかった。しかし!
ラドーナは少年の眼差しに震えていた。その双眸に性の表れは影もない。肉欲に最も過敏であるはずの少年の瞳には、ただ目に入るもの全てに配られる平等な感情しか存在してない。ニトロ・ポルカトは――『王女の恋人』は我が肉体に情を煽られることなく、また我が裸体に興味も示さず、最大の関心を常にティディアに向けていて、おお、何故だ、その女から心を一向に離さない……離せない!
一方、ラドーナの心に壊滅的な嵐を巻き起こしていることなど露知らず、ニトロは保身のために心を砕いていた。
表向きは――敵に先手を取られないよう――落ち着き払い、意識の焦点を最大の敵に合わせつつ、注意力を突然裸になった“
そして考える。
パラシュートバックは一つしかない。ティディアは事も無げに婦人を眺めるだけで椅子を立つ気配もない。いよいよ彼の疑念は深まる。それに比例して全裸で立ちすくむ女の自尊心はいよいよ虚飾へと変わっていく。虚飾はそれに気づかぬうちにはまだメッキなりの価値を示せるが、それを自覚したが最後、二度と光り輝くことはない。少年がふと王女の執事をまるで己の召し使いのごとく働かせてパラシュートバッグを装着している婦人へ改めて注意を差し向けると、彼女は何故か悲痛な面持ちで、急に老け込んだように見えた。彼は驚いた。その驚きに気づいた婦人は突然激しい羞恥を覚えたらしく、また突然に少年をキッと睨みつけた。ニトロはひたすら困惑するしかない。婦人の目には恨みすら見受けられた。それにも困惑し、お人好しの少年は訳も解らず傷つく。だが婦人は恨みよりも強い感情をふいに目に宿したかと思うと、それを王女に差し向けた。
ティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナは、一貫して『裸婦』を眺め続けていた。その瞳にはおよそ人間らしい感情がなかった。もしや路傍の石を見る時の方がよほど人情に満ちているだろう。それは透徹した瞳、超然とした目だった。ラドーナが見せた勝ち誇る心など全く届かぬ場所にいる、もはや誰かが勝負など挑めるはずもない全てを超越した眼であった。石が路傍をいくら転がろうとも太陽には何の影響もあるはずがあるまい。石が己を太陽だと思い込み、太陽と輝きを競おうと挑んだところで滑稽劇にすらならない。それはただただ滑稽な悲哀にしかなるまい! そして悲哀は、誰かの哀れみを引き起こすことなどは……誰よりも自分自身が我が身を哀れむことなどは、彼女には耐えられるものではなかった。
パラシュートバッグを背負った貴婦人は、今や、みすぼらしく萎んでいた。