ランチと共に、思い出を

(番外編『燃える思い』の休日挟んで数日後)

 少女は、そのけた頬に微笑みを浮かべた。
「遠慮する。私、ベジタリアンなんだ」
「あ、そうなんだ」
 ニトロは相手側に押し出していたランチボックスをそろそろと引き戻した。そこにはBLTサンドとハムカツサンドが詰められている。
「そりゃゴメン」
「謝らなくていいよ。知らなかったんだし、別に厳しいのでもないし」
「どの程度です?」
 と、問いかけたのはハラキリである。ニトロの右隣に座る彼は美術室の大きなテーブルに個別包装されたライスボールを三つ転がして、グリーンティーのペットボトルの蓋を開けながらクオリアを見た。その彼のテーブルを挟んだ正面にはバゲットとサラミとチーズにミルクを揃えたダレイがいて、その隣に、つまりニトロの正面にクオリアがいる。ニトロも彼女を見つめていた。
 最近交友を結んだばかりの男子二人に注目されて、美術部員はテーブルに両肘をつき、枯れ枝のような指を組み合わせた上に顎を載せた。思考をまとめるように間を置いて、言う。
「単に肉食をしないだけ。人が食べる分には構わないからこっちのことは気にしないで。むしろ、人が食べている姿は色々な表情が見られて好きだから」
「魚は?」
 ハラキリがニトロのハムカツサンドを一つ取りながら問いを重ねる。断りもなくサンドイッチを取っていった親友をニトロがたしなめようとした時、左側から別の手が伸びてきた。意外にほっそりした指がBLTサンドをつまみ取っていく。言葉を左右に振り分けることができずに黙ってしまったニトロの顔を興味深そうに眺めながら、クオリアは答えた。
「魚も食べないわ」
「卵、乳製品」
 ハムカツサンドをみながらハラキリが続けて問う。クオリアも続けて答える。
「無精卵は食べる。乳製品も食べる。野菜も果物も収穫方法にこだわらず普通にね」
「ゼラチンなどの動物由来は?」
「由来、は平気。というより何が動物由来か全部解ってるわけじゃないから。あくまで『肉』が問題」
「植物プランクトン由来の調整肉アジャストミートは?」
 これはニトロの質問であった。
「食べられる。でも積極的には食べない」
 ニトロはうなずき、質問者がハラキリに戻る。
「肉、魚と一緒に調理した野菜」
「積極的には食べない」
「虫は?」
 うめき声が小さく鳴った。クオリアはそちらを一瞥しつつ、
「蜂蜜は大好き。でも“本体”はどんな加工品であれ無理。虫については触るのも嫌、でも見る分には平気。観察対象としては素晴らしい生物だわ」
「して、家庭・宗教上の理由で?」
「個人的な理由」
「それは殺生の忌避?」
「個人的には、殺生の忌避って理由は『霊長植物コギタンス・プランツ』に笑われるか怒られると思ってる」
「では?」
「結局は、殺生の忌避なのかしら」
 矛盾する答えに、ハラキリはライスボールの包装を剥がしながらまるで余所事よそごとを扱うかのように訊ねる。
「つまり?」
「小さい時、動物が人間と普通に話すお話が好きだったの。その中に特に大好きで、とても感動的な話があって、その影響かな」
「どんな話?」
 興味を引かれたニトロが詳細を促すと、クオリアは嬉しげに応じた。
「魔女と戦っている女の子の話。その子は友達の黒犬と白猫と灰色のカラスと旅をしているの。それは大変な旅だった。助けてくれる大人は何人もいない。大人は魔女に支配されて怯えるばかり。それでも女の子は三匹の友達と協力して様々な苦難を乗り越え続けていた。だけど、ある日、魔女の手下に襲われた時、白猫が女の子を守って死んでしまった。女の子達は悲しみにくれたわ。その白猫は海を見たがっていたけど、とうとう見ることができずに死んでしまった。だから女の子達は棺に入れたその猫を、以前友達になっていた川の魚に海へ運んでいってもらうことにしたの――本当は自分達で運びたかったけど、女の子達は魔女の手下に壊された魔法の腕輪を直しに行かなくてはならなかったから。それを直せる刻限が迫っていたからどうしようもなかった――だから。魚は白猫と仲の悪かったはずなのに、その死を知ると大声を上げて泣いたわ。そして泣きながら運んでいってくれた。その時なのよっ。突然、黒犬が天に吼えるの。それまでに聞いたこともない声で。普段忠犬を気取りながらいざという時には臆病だった黒犬が、そのせいで白猫を死なせてしまった黒犬が、川を運ばれていく仲間の棺を女の子と一緒に見送りながら“本物”になることを決意して天に吼えるのよ」
「それ『サマラの冒険』だろ?」
 ニトロの左隣に座るミーシャが感激したように言った。クオリアは奇妙な――戸惑っているのだろうか?――態度でうなずき、それから落ち着かなさげにハラキリに目を戻し、
「そのエピソードに感動した日の夕食は、マスのムニエルだった」
 そこでクオリアは声を潜めた。
「馴染みの宅配小料理店デリトロの人気商品、私も大好きだった料理。なのに、それを一口食べたらね。もどしちゃったんだ」
 ミーシャが顔をしかめる。それを横目にしたニトロは、その表情は食事中に汚物の話を持ち出されたことへの嫌悪ではなく、彼女が純粋にクオリアの体験への同情を示しているのだと判じた。が、今日、いや、この昼休みに初めて言葉を交わす同級生の女子ミーシャに対してクオリアは距離を測りかねているらしく、判りやすいミーシャの表情からもその意図を読み切れなかったようだ。クオリアは動揺を隠すように一つ息を置いてから、言う。
「全然そうなるなんて思ってなかったし、我ながら今でも不思議に思ってる。でも私は魚だけじゃなくて、その時から肉も食べられなくなっていた。パパ自慢のソースを使ったバーベキューも、グランマのミートパイも、それまでどんなに喜んでいた物であっても」
 クオリアの隣でダレイはサラミとチーズをかじりながらバゲットをもりもり食べていく。それを横目に彼女は微笑し、
「そうなってからも魚を美味しそうに食べる人を見たら美味しそうに食べるなって思うし、肉料理を誰かのお皿へ取り分けることもできる。レンジで料理を温めることなんて朝飯前。でも、食べたくない」
「なるほど」
 ハラキリはうなずいて、――それきりだった。これで自分の仕事は全て終わったという体である。クオリアは彼をつめ、どこか挑発的に言った。
「ハラキリは聞きにくいはずのことも遠慮なくずけずけ聞くね」
 焼き魚が具に入ったライスボールをひとかじりして、ハラキリは応える。
「後顧の憂いこそ遠慮すべきものです」
 その堅苦しい台詞セリフが実に美味であるかのように、クオリアは笑った。
 彼女の横でダレイは楽しげに見える。
 他方、ミーシャは戸惑っているようだった。癖の強いハラキリ・ジジにこうも早く順応している新参に驚いていいのか感心していいのか判らないのだろう。
 その新参は快活にうなずいて、言う。
「そうだね。そうしておけば、いらないトラブルも防げるね」
 ハラキリはそれに応える代わりというようにクオリアから目を外し、
「ニトロ君、今日はデザートなんかも持ってきてます? どうせちょっとってきたんでしょう?」
 ライスボールをかじりながらの彼の口振りに、ニトロは唇をへの字に歪めた。
「その通りだけどさ、そう言われるとなんだか俺が馬鹿みたいじゃないか」
 そう言いながらもニトロは身をひねり、背後のテーブルに置いてあったバッグへ手を伸ばした。そこから彼が小ぶりの容器を取り出す隙に、ハラキリが動く。
「つまんだらいかがです? ニンジンのマリネなんかお勧めですよ」
 サンドイッチ用とは別に置いてあったもう一つの(いつもより大ぶりな)保温に優れたランチボックスを、ハラキリが勝手にテーブルの真ん中へ押し出す。
「おいこらハラキリ」
 と、ニトロが今度は怒ろうとした時、またもミーシャが手を伸ばしてきた。しかもダレイまで加わってくる。ミーシャは購買部で買ってきた弁当ランチプレート付属の使い捨てのフォークでポテトサラダを掬い、ダレイは楊枝の突き刺さっていたミートボールを奪っていく。野菜ジュースとライ麦の丸パンだけを手元に揃えているクオリアは進退を決めかねていた。ダレイとミーシャの様子からニトロのおかずに心惹かれているようではあるが、まだ遠慮があり、それに、フォークもスプーンもないから手が出せない。
 そこにニトロが使い捨てのフォークを差し出した。
「なんかハラキリに使われてるようで癪だけどさ」
 ひどい渋面のニトロと、飄々とライスボールを頬張る彼の親友とを見比べたクオリアは、ふと何かが氷解したように目元を緩めた。フォークを受け取り、勧められたニンジンのマリネを食べてみる。思わず頬がほころんだ。
「話には聞いてたけど、美味しいね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
 ニトロも笑って、デザートの容器の蓋を開けた。
 純白の底に輝くプチイチゴのコンポート。
 ミーシャが歓声を上げた。
 それを聞いてニトロの笑顔が自然と深まる。
 本来クオリアとの親睦のために作ってきたものだが、ミーシャが喜んでくれるのならそれだけでも嬉しい。何しろ、本人は隠し切っているつもりらしいが、長らく彼女の眉間には常に失恋の影がある。あるいは未練の雲だろうか――どちらにせよ、それをただ見ているのは正直心苦しい。かといって自分には何の手助けもできないのだから、こうして一時でも気晴らしを贈ることができるのなら、それは幸いであった。
 そしてニトロは、デザートを見て瞳を輝かせるミーシャを、クオリアが関心深げに見つめていることに気がついた。
「……」
 もしかしたら、クオリアは既にミーシャの悩みを見抜いているのかもしれない。少なくとも、悩みの理由までは悟らずとも、そこに少女の苦しみがあることは確実に認めているだろう。クレイグはキャシーの希望で屋上に行ってしまった。大抵は二人も自分達と一緒に昼食を取ることが多いのに、今日ははっきりとした理由もなく去ってしまって、それは奇妙なことだった。ハラキリは何やら事情を見抜いているようだったが、二人を見送りながら何も言わず、またこっそり訊ねてみても答えてくれなかった。その事情に見当もつかないニトロは答えてくれない親友を恨めしく思いもしたが、しかしそれを明らかにしたいと思うよりも、ただ、手応えのない寂しさが胸に増すのを強く感じていた。
「ジェードさん」
 と、キノコのソテーをニトロのランチボックスから取りながら、クオリアがミーシャに話しかけた。その瞳には大いなる好奇心があり、目元には臆病さがある。
「ジェードさんも『サマラの冒険』を知っているのね」
 美味しくて味気ない調整肉アジャストミートのハンバーグをかじっていたミーシャは目を丸くした。そして、突然クオリアから話しかけられた驚きが去った後、彼女はうなずいた。
「知ってるもなにも、わたしも大好きだったんだ。でも、お肉もお魚も食えなくなったことは、わたしには一度もなかったよ」
 後半はどこか気落ちするような調子になりながら、ミーシャは付け加えるように言った。
「カルテジアは、優しいんだな」
「どうかしら。自分じゃ自分を優しいなんて思ったことはないわ」
「……わたしも」
 つぶやくように言うミーシャには隠し切れぬ自嘲がある。
 クオリアの瞳はいよいよ好奇心に力づく。しかし、目元の怯えがそれを言葉にするのを許さない。

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