開口一番、モニターに備わるカメラの向こうで彼女は険悪に言った。
 芍薬は内心にやりと笑う。流石だ。そのように言うのは彼女が事情と事態を完全に理解していることに他ならない。話が早くて実に助かる。そこで芍薬は肖像シェイプの肩をすくめて、
「これが何の『貸し』になるんだい?」
 と、鼻で笑ってみせた。
 するとティディアは唇を歪ませ、毒づくように言う。
「デートノ機会ヲ逃シタワ」
 芍薬は軽く言い返す。
「どちらにしろデートなんかできなかったさ」
「コノ後、スーツ選ビヨネ?」
「もちろんアタシも参加するよ」
「オ店ノ近クニ、トッテモ美味シイレストランガアルノヨネ」
「もう家に用意してある」
「素敵ナ淑女ヲ招待スル用意ハ?」
「そんな奴がどこにいるんだい?」
「イクラ何デモズルクナイ? アンナ風ニ私ヲ利用シテオイテ」
「主様を利用し続けているくせに、言えたことか」
「……悪イコネ、芍薬チャンハ」
「自分が善人だと思ったことはないよ」
「善人ダト思ッテイナケレバ何ヲシテモイイッテワケジャアナイワヨ?」
「そうだね。それはその通りさ。だからアタシもいつかは報いを受けるかもしれない」
「カモシレナイ?」
「どういうわけか報いを受けることのない悪人ってのも世の中にはいるもんだろう? それでも人間の場合は死後の報いがあるっていうことらしいけど、A.I.コッチにゃそんなものはありゃしないんでね」
「世ノ中、ホント理不尽ヨネー」
「ああ、実に理不尽だ」
 そこで初めてティディアは笑った。大声で笑った。
 ひとしきり笑ったティディアは、ぐっとカメラに顔を寄せ、
「ニトロハドコマデ知ッテイルノ?」
「今のところ、何も」
 ティディアは座り心地の良いシートに深く腰を沈めて、腕を組んだ。
「A.I.ハ消シタ?」
「生かしてあるよ」
 その言葉にティディアは眉を動かした。
「ドウシテ?」
「そっちはどうする気なんだい?」
「――ソウネー。一応『ドッキリ』ダトシテモ、王女わたしニ刃ヲ向ケタノハ事実ダシネー」
 芍薬は例のサイトを確認した。『フリージャーナリスト』の運営が前もって対策でもしていたか、接続は不安定だがサーバーはダウンしていない。張り込ませていたロボットが、ティディアがあの後どのような行動に出たのかを報せた。ティディアは芍薬から受け取ったビデオカメラで自分を映し、しばらく不機嫌な様子を見せた後、急に微笑を浮かべると茶目っ気まで浮かべて『な〜んちゃって』と言っていた。それは明らかに、本番前にトルズク兄弟が視聴者に向けて語っていた『前説』――その趣旨と計画に基づいた『クレイジー・プリンセス』からの“やり返し”だった。
ソレガ本当ナラニトロニ向ケラレテイタ、ッテ思ウト量刑モ増シテヤリタイ気分ダケド」
 芍薬は黙して相手の出方を待つ。
 ティディアは画面をとおし、芍薬の『心』を覗き込むようにして、言った。
「ドウモネ、何ダカ既ニ強烈ナ罰ヲ与エタ気ガスルノヨネ? ソシテソレハ刑務所デハ与エラレナイモノダト思ウノ」
「気のせいじゃないかい?」
 しれっと芍薬は言う。ティディアは憎々しげに――反面親しげに――芍薬を睨み、
「ヒョットシテ芍薬チャンハ、トッテモ残酷ナノカシラ」
「さてね」
 またもしれっと芍薬は言う。ティディアは微笑んだ。そして、言う。
「私ハ何モシナイ」
 芍薬はティディアを見つめる。ティディアも芍薬を見つめる。
「一応聴取ハシテオカナイトイケナイカラシバラク拘束スルケレド、ソレガ終ワッタラ解放スル。デモスグニ警察ガ向カウデショウ。彼等ガ自分デ事ヲ公ニシテイタノダカラソレハ当然ノコトネ。ダカラ、誰カカラノ提案ガナイ限リ、私ハ何モ止メナイ。起訴スルカドウカニモ関与シナイ。起訴サレレバ、マア、執行猶予ガ付クンジャナイカシラ」
「第一王位継承者様を巻き込んだんだ、普通なら実刑だろう?」
「『な〜んちゃって』ッテ言ッチャッタカラネー。……言ワナイ方ガ良カッタ?」
「言わなかったら司法よりも『マニア』が黙ってなかったろうね」
「ソウシタラドコカノオ人好シハ気ニ病ンジャウデショウネー。出発点ガ自分ダカラッテ」
 むしろそれさえなければ私が――といった調子を裏に忍ばせてティディアは言う。
 芍薬はティディアの言外の意図には付き合わず、うなずきを見せて、
「それなら『保険』もよく利くよ」
「保険?」
「A.I.を消さなかった理由さ」
「アア、ナルホドネ」
 ティディアはすぐに飲み込み、うなずき、最後に目を細めた。
「デモ、アレラハモウ“不能デキナイ”ト思ウケド?」
 芍薬はうなずく。その予言を肯定しておいて、さらに相手が全てを了解しつつ促してきたことを理解しながら、ため息混じりにサービスしてやる。
「貧すれば鈍すって奴さ。朝の時点で、ああいう騒ぎを起こした以上、彼らは生活が今より苦しくなる。しかも時の経過は心を癒すって言うだろ? だけど同時に心を腐らせることもあるらしい。遠い将来、不能なりの自暴自棄ってやつもある。悪意を吐き散らすことくらいはできるかもしれないし、理不尽な怒りを募らせる可能性もないわけじゃない。大切な『家族』が消されていたとしたらなおさらさ」
出発点ガ、ニトロダモンネェ」
 その言葉には不思議な響きがあった。思い遣りに満ち、一方で冷酷な硬さがあり、慈悲に温かく、他方で肺の焼けるような吐息が混じる。多層構造の声を分析きいた芍薬は黙してティディアを見据える。ティディアは何か物憂げに目を上向けていた。まるで現実ともう一つの現実の狭間に芍薬の語らずにいる事々が形となって浮遊している、それを私は見通しているのだと言わんばかりにくうを見つめて、そのままの姿勢で言う。
「ソレニ、『「オリジナルA.I.」ノタメノ人権団体』モ面倒、カシラ?」
 そのセリフに芍薬が反応する。ティディアはいつの間にか目を芍薬へ戻していた。その眼差しは芍薬の“心臓”をあえて外している。芍薬は、仕方なくうなずく。
「今回は相手レクの存在も広まっていた。騒動の経緯から注目する奴はいるだろうし、事が王女や『ニトロ・ポルカト』に関わるならここぞと狙ってくる奴のない方が不自然だ。情の無い所有関係やどうしようもないA.I.なら世間の同情も引けないだろうが、今回のはそうでもなかったんでね」
「相手ガ生キテイレバ“攻撃ノ材料”ハ逆ニナクナッチャウモノネー。残念ガルノハドレクライイルカシラ」
 意地悪く言うティディアは愉快そうなのに、声の底にはどこか無機質な響きがある。芍薬がうなずきもせず否定せずにもいると彼女はふと思いついたように、
「ソレニシテモ。ソノ様子カラスルト芍薬チャンハドウモ彼ラニ好意的ジャアナイミタイネ」
「……」
「芍薬チャンハ、『人権』ハイラナイノ?」
「それは“いる・いらない”の次元の話かい?」
「イケズー、ソンナ語弊ハ無視シテクレテモイイジャナイ。デ?」
「……お題目通りの『人権』ならいらない。人間じゃないからね。もしアタシらにも人権に類する権利があるなら、それはきっと人間が思うのとは別の形をしているだろうさ」
「ソレハドウイウ形?」
「さてね」
「王女様トシテ、参考マデニ聞キタイワ」
 芍薬は間を置いた。これ以上話す理由も義理もない。が、話さずに去るのも質問から、それもこの相手から逃げたようで気分が悪い。芍薬はサービスが過ぎるなと内心息をつき、言った。
「あえて言うなら尊重ってやつじゃないかい?」
「尊重シテイルカラコソノ話ジャナイカシラ」
「そうかい? 素晴らしい錦を使っていても体に合わない服は不恰好だ。お仕着せならなおさらね。息苦しくて、かえって望み通りに動けない」
「望ミ?」
「『在り方』が違うのさ。そっちの論者の中にはアタシらをマスターに絶対服従の哀れな奴隷と言う奴もいるけれど、それはどうしたって人間の価値観だ」
「私ハ芍薬チャンガ、ニトロトソウ価値観ヲ違エテイルヨウニハ思エナイケレド?」
「相変わらず嫌な奴だね」
 芍薬はティディアを睨む。ティディアは、微笑する。芍薬は言った。
「だけど……それでも“違う”んだ。アタシらに眠りはいらない。だから本当のところでは人間が眠りを欲するのを実感できない。そこでアタシらが人間達に『眠るのは実は怠けたいからだ』と言ったらどうだい? アタシらには食もいらない。だから食欲も体得できない。そこで『食べるのは実は他の生物を殺す正当性を得たいからだ』と言ったら? 人間は腹を立てるか、冷笑するんじゃないかい?」
「ソレジャア、ツマリハ迷惑ナダケ?」
「全てが迷惑だとは言わないよ。実際大事に思ってくれる気持ちは嬉しいし、何から何まで無情に扱われちゃあ、それは悲しい。けれど、結局のところ人間そっちが話しているのはアタシらの権利についてじゃあない、相手の人権を尊重するのか、相手に人権があるから尊重するのか、そういう根本から含めてあくまでそっちの倫理と感情問題にすぎないのさ」
「ナカナカ手厳シイワネー。ソレニ簡単ニ“尊重”ッテ言ウケレド、ソレッテドコカ他人行儀ジャナイカシラ。距離ヲ感ジルワ。折角コチラハ融和ヲ目指シ深イ親愛ヲ寄セテイルッテイウノニ」
 ティディアの瞳の色は、芍薬には常と変わらずに見える。しかしさっきからずっと誘導尋問的な言葉の薄っぺらさを分析かんじ取っていた芍薬は、今この時、この蠱惑の魔女の瞳は、人間にはきっとアタシとは“違って”見えるのだろうと強くかんじた。例えば運転席でずっと沈黙を貫いている女執事ならどのように感じるだろう? 今一度あの兄弟を対面させたらどう反応するだろう。ハラキリ殿なら? そして主様なら、この人間の底無し沼からどんな印象を引き上げてくるだろう。芍薬は、肩をすくめた。
「他人で何が悪いんだい。何から何まで同じになっちゃあ誰が誰だか解らなくなるじゃないか」
 日々様々な意見陳述を受け取る第一王位継承者は笑った。その笑顔には薄っぺらなところは何もなく、むしろ透き通るような親愛があった。
「貴重ナ意見ヲアリガトウ」
 満足気に、そして楽しげにそう言った後、ティディアはふと真顔となり、
「トコロデ、今回ミタイナ面倒事カラ常ニニトロヲ守ルニハ今スグニデモ私ト結婚スル事コソガ一番ノ良策ダト思ワナイ? ソウスレバ何ヨリ安全ハ保――アレ?」
 提案、というよりは妄言の途中で芍薬はティディアの眼前のモニターから肖像シェイプを消していた。サービスはここまで。とっくに用件も済んでいる。これ以上この場に留まる必要はない。そこで芍薬は、戸惑うティディアに一つだけ言い残す。
「ま、期待通りだったよ」
 その言葉にティディアは口元を緩ませ、ぐっと背をそらした。
 それを一瞥した芍薬は、マスターの元へと急いで戻っていった。

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