「あああ、あああああ」
 レクは泣いていた。“地”に組み敷かれ、マスター達の破滅を知り、しかしその場において己は何も出来ず、絶望に圧しかかられ、無力感にココロを引き裂かれて、レクは声を上げて泣いていた。
「あああああ、ああああああ」
「――さて」
 と、レクを組み敷き続けていた者が、つぶやいた。
 レクはそれにびくりと震えた。
「あああ、殺されちゃうんですね、ワタシ消されちゃうんですね」
 逃れようというよりも恐怖のあまりに足をばたつかせ、レクは言う。
「お願いです、お願いがあります、せめて一つだけお願いをお聞きください」
「……」
「お返事なさってください、もしその沈黙が了承と言うことであれば、お聞きください、お願いします、マスターにお伝えください。ワタシは、レクは、マスターにお仕えできて幸せでしたと」
 芍薬は、もし命乞いをされたならその瞬間にレクを破壊クラックしていたかもしれない。しかしその言葉を聞いたことで芍薬は選択肢を変えた。確認を兼ねて、静かに訊ねる。『マスター権限』を用いてレクの記憶メモリ記録ログを覗けばそれを推察することは可能であるが、そうではなく、その口を通じて知ってこそ真実となるもの――記録と記憶と感情のい交ぜとなった『真心』を。
「何故、そこまで惚れ込んでいるんだい?」
「聞きますか!?」
 命が風前の灯であることをすっぱり忘れた明るい声でレクは言う。
「聞いてくださいますか!? ワタシのマスターの素晴らしさを! ああでもそれを語るには一晩あっても足りません! しかし存分に語らせていただきます、ありがとうございます、どうぞお聞きください!」
「手短に」
「は、はい! マスターは父に溺愛されていました。何不自由なく育ち、そして将来も何不自由なく暮らすことができたでしょう。しかし弟様は違いました。弟様はマスターと血のつながりはありません。父の再婚相手の、前夫との子でした。父は弟様を嫌いました。憎みさえしました。力こそ振るわれずとも愛の欠乏は弟様を骨と皮ばかりにしました。全寮制の高校に通っていたマスターは知りませんでした。父はそれを隠し、弟様もマスターは怖い人だと思っていましたので黙っていました。マスターは学校を卒業し、家に戻ってまいりました。そして知ったのです。弟様の事情を知ったマスターは怒り、父を殴り、弟様をつれて家を出ました。父の愛が逆転して憎悪となることも意に介さず、胸を張って一歩を踏み出したのです。その日以来、いいえ、その瞬間以来ワタシはマスターを深く深く敬愛しているのです、永遠に崇敬しているのです、ああ、マスターは素晴らしいお方なのです!」
「それで辿り着いたのが、この結果かい?」
 レクは声をなくした。意気消沈し、力を失う。やがて、押し出すように、言う。
「『貧なりて、しかも睦まじき仲は百千の富に増して豊かなり』」
 その引用に対し、芍薬は言う。
「『豊かなればこそ徳者たらんと。果はおのずから腐れる。己が霊を毀損きそんすべからず、栄えてこそ貧なりて清廉たれ』」
「……嗚呼」
 レクは嘆声をこぼした。
 推測通り、芍薬の持ち出した句は急所を突いたらしい。レクを通じて二人と一人の関係性をる内、芍薬には思うところがあった。確かに兄弟とレクは仲良くやってきたのだろう。しかしそれは、以前はともかく、現在はただのもたれ合いだ。互いに依存し合い、その依存を支えとして、それが支えだからこそまた互いに依存を強化し合う。こうあるべき自分と相手にそうあるべきだと思われる自分を一致させ、その一致した範疇から逸れることを拒み、例えそれが酔狂であろうとも、酔い狂ってこそ見たくないものを忘れられるからにはそれに固執する。固執して、肥大して、純化させる。物事がプラスに進んでいるときには自信を培い信念を打ち立てることもあろうが、一度ひとたびマイナスに転じれば妄執を養い虚言を乱造するだけの関係性。
 そして、何より、あの兄弟が最終的な決定をする際に最も頼りにしていたのは常にレクであった。兄が全てを決めているように見えて、実際にはレクの下す可不可の判断がなければ兄弟は何もできていなかった。無論、レクが人間を唆したわけではない。ただひたすら人間から最後の認証を求められていただけだ、頼り切られていただけだ。しかし、だからこそレクというオリジナルA.I.は悦ばしかっただろう。芍薬にはその悦びを否定することはできない。だが、否定することができないからこそ、唾棄せずにはいられない。
「あんたは佞臣ねいしんだ」
 突き出された芍薬の言葉に、レクは応えられない。いや、敬愛するマスターの破滅という厳然たる事実にそれを裏書きされて、もう泣くこともできない。そのレクの様子によって芍薬は最後の選択肢を得た。そして最後の決定も、今、終わった。
「立ちな」
 芍薬は拘束を解き、命じた。
 レクは従う。その身に纏う司教服が悲しく揺れる。自由を取り戻したレクは抵抗の素振りすら見せなかった。その顔には諦めがある。消滅を前にして震えながら、望みは既に消えていた。
 芍薬は手を振るった。
「ひ!」
 レクは悲鳴を上げた。恐怖のためではない。“痛み”のためである。レクは芍薬が何をしたのか見えなかった。ただ何かが“胸”の奥に侵入してきた時、その痛みによって何かが行われたことを知ったのである。
 芍薬が行ったのは、レクの内部に取り付けた『警報機』の改変だった。レクの目に止まらなかったのはそれを成すための“針”であり、針はレクの内部の『警報機』に触れるやすぐにそれへと新しい機能を追加した。その機能とは、
「あんたの構成プログラムに、今、『爆弾』を仕掛けた」
 その言葉にレクが激しくガタガタと震え出す。全てを諦めていたとしても『死』を目前とすればやはり恐怖が勝る。レクが“バグ”を、あるいは耐えられぬ恐怖から『発狂クレイズ』してしまう前に芍薬は言った。
「その爆弾はあんたが解除を試みた瞬間、あるいは誰かに解除を任せた瞬間、作動する」
 レクが大きく見開いた目で芍薬を見つめる。芍薬は続ける。
「また、その爆弾は、マスターが何らかの違法行為を犯すことを止めない場合にも作動する」
「……え?」
 と、レクがうめく。その諦観に満ちた顔に一抹の希望が射し込む。
「え? え? ということは、消されないんですか? ワタシ生きてていいんですか?」
 芍薬はうなずきもせず、じっとレクを見る。
 その姿にレクはまた不安に襲われる。
 ややあって、芍薬は言った。
「アタシのマスターに感謝するんだね」
 その言葉に、レクは芍薬を再度見つめた。そして、
「あの……失礼ですが、もしかしてあなたは『芍薬』ですか? 王家様のA.I.様じゃなくって、『ニトロ・ポルカトの戦乙女』……」
「今頃気づいたのかい」
 呆れ顔の芍薬を、レクは目が飛び出さんばかりに凝視する。
「もっと怖い方だと思ってました」
 芍薬は苦笑した。だがマスターを守る存在が『怖い』と思われているのは都合が良い。
「アタシが怖いかどうかは、その爆弾が作動する時まで判断を保留しておくといいさ」
 表情を作らず、芍薬は世間話のように言う。するとレクはぞっとしたように胸に手を当て、肩を震わせた。司教服の金糸銀糸の刺繍がきらめく。と、それを見て、芍薬はふと訊ねた。
「ところで、その父ってのは助祭か、それとも司祭ってところかい?」
 その問いかけに、レクはまたも目が飛び出さんばかりに瞠目した。
「何故解ったのですか!?」
 芍薬は応えず、ただポニーテールを揺らした。カンザシがきらめいて、それを目に留めたレクがどこか不思議な顔でそのアクセサリーを見つめる。
「それより、あんたがこれから一番にやらなきゃいけないことは解ってるね?」
 問われたレクは何度もうなずいた。
「はい! ちゃんと後片付けをすることです!」
「あんたのマスターが連絡を取れる状態になったら、追って連絡してやる。それまで待っていな」
「――はい!」
 その返事をしたレクの顔がどのようであったか、芍薬は知らない。芍薬はレクの返事を待たずにネットワークへと飛び出していた。
 うまくショッピングセンターから抜け出たマスターは、現在、地下鉄のプラットフォームにいる。
 芍薬は『衣装合わせ』の前に軽食を取っておこうというマスターの言葉に“副意識”で応えながら、自身の次に向かうべき場所へ連絡を入れた。すぐに応答がある。芍薬は相手から用意されたスペースへと降り立ち、通話システムを開きながらその車のダッシュボードのモニターへ肖像シェイプを表す。――と、
「コレハ『貸シ』ヨネ」

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