家に戻ってきた芍薬はすぐさま仕事にかかった。戻ってくる途中で受け取った情報収集プログラムからの報せを元に、あのバカの動向を再チェックする。
「……少し、早いか?」
 若干ではあるが、この後、第一王位継承者を待ち構える会議の一つが早く片付きそうな気配がある。もしそれが予定より早く閉会したとしたら、次に取られ得る行動は簡単に予測がつく。
「……」
 芍薬は学校周辺に散らばっている『警備兵』を確認した。管轄警察署の警邏けいらとは別に、王女がその『恋人』を守るために――加えて一種の諜報員を兼ね、かつ自分が不意打ちで遊びに来る時のために(あれが言うには王軍親衛隊の顔を立てるためにも)前もって配置している直属の配下達である。無論護衛然とした姿はしておらず、市井の住民の格好をして潜んでいる。その数は常より二名多い。それは『朝の騒動』のあったためでは決してないだろう。
「ふん」
 鼻を鳴らし、芍薬はもう一つの報せを確認した。
 その『朝の騒動』を起こした馬鹿兄弟は、犯歴もなく、これまで学校周辺にて警察沙汰を起こした『マニア』やパパラッチに比して悪質性は低く、未遂に終わった計画もあまりに馬鹿馬鹿しかったために厳重注意を受けた後、釈放されていた。現在はアデムメデス三大ファストフードの一つ『ライト“ザ・チープ”ミール』のとても安くてひどく値段なりのジャンクフードを公園でぱくついている。その様子を地域のセキュリティ・ネットワークを通じて確認しつつ、芍薬は夕食の準備に取りかかる。
 多目的掃除機マルチクリーナーを操作し、冷蔵庫を開ける。チルド室から取り出したのは真空パックされた分厚い豚のバラ肉だ。これをとろっとろになるまで煮込むのである。マスターの父様直伝のレシピだ。肉の脂と旨味が溶け出した煮汁にはマッシュポテトを浸して食べてもらおう。口直しには、さっぱりとした大根サラダ。
(そしてデザートにはオレンジのシャーベット)
 と、食事中のマスターの顔を想像しながら早速調理に取りかかろうとした芍薬を、ふいに鳴り響いた警報音が引き止めた。
 それはオリジナルA.I.レクに仕掛けた『警報機』から発せられた音であった。警報機には盗聴機能も付属している。音を鳴らすと共に自動的に起動したそれが芍薬に会話を送り届けてくる。
「全ク、悪イ者達ガイルモノダナ」
 兄のトルズクは落ち込んだ様子もなく、むしろ義憤を込めて言った。
キョヲ世ニ流布スルコトハ罪悪ダ。ソレガイカニ無知故ノコトダトシテモ、無知ガ罪ヲ払拭シキルコトハナイ。サラニ悪イコトニハ彼ラハ無知ヲ盾ニ己ヲ弱者トシ、己ガ罪ヲ己ノ裁量デ微々タルモノト判断シ、ソレヲアガナオウトスラ思ウコトハナイ。ソレモマタ全ク嘆カワシイ罪悪デアル」
「マッタクダヨネ、兄チャン。聖典『はノ章 3−12』ニモソウイウコトガ書イテアルヨ」
「――オオ、ソノ通リダ。
 シカシ弟ヨ、今、一ツノ罪ハ贖ワレタ。何故カ。ソレハ俺ガソノキョヲ引キ受ケ身ヲモッテ罪人トナルコトニヨリ、ソシテセンナル者ラニ叱責サレルトイウハズカシメヲ甘ンジテ受ケ入レタコトニヨリ、“『ニトロ・ポルカト』ガ校内デ淫行ニ耽ッテイル”トイウ虚ヲ虚デアルト証明スルコトニヨッテソノ虚ヲジツトナシ、ソレヲ実トシタ事実ニヨッテ、自覚モサレズアガナイモサレズ浮薄ニ無遊ムユウシテイタ“虚ノ流布”トイウ罪悪ヲ、ツイニ善根ト悪果ノ循環ノ内ヘ還流シタカラナノダ」
「兄チャン、アア、ソレハナンテ崇高ナコトダロウ」
「己を犠牲にして……ああ、あなたは素晴らしい人です」
 レクが熱賛する。レクは司教服を着ている。それはただ格好だけのものであるが、格好だけとはいえ司教姿の者にそう言われれば悪い気はしないだろう。段々国教会の説教師じみてきたトルズク兄は声のトーンを高めて続ける。
「シカシ罪悪ヨリモ破廉恥極マルコトガアル! ソレハ俺ノ善行ヲ横カラ盗ンデオノガ功利ト化シタ者達ガルコトダ! レクヨ!」
「はい!」
 レクの動作は芍薬に手に取るように分かる。引き出されたのはインターネットに投稿された朝の騒動の動画、それも一番人気の動画であった。
「コノ驚異ノ再生数!」
 実に悔しげに兄は言う。
「広告料ハ空前絶後ノコトダロウ」
(いや、大したことはないさ)
 思わず芍薬は内心でツッコむ。一番人気とはいえ他にも似た動画があるから再生数だって言うほど多いわけではない。しかしレクは同調して憤っている。これほどマスター追従型の性格も珍しい。
「シカシ、俺ハコノ盗人ヲ許ソウト思ウ」
 説教師の調子からダンディズムを気取る者のように声を落ち着かせ、兄は憐れみを交えて言う。
「コノ者ニダッテ、守ルベキ者ガアルダロウ」
 弟とレクが感嘆の吐息を漏らす。
「ソシテ誉メ讃エモシヨウ。コノ者ハ、俺ニ手段ヲ与エテクレタノダカラ」
「手段?」
「レク!」
「はぁい!」
 元気良くレクが新たに表示したのは『フリージャーナリスト』という個人報道インディペンデント・レポート系の投稿サイトだった。元々は内部告発などがしやすくなるようにと立ち上げられたものであるのだが――そのサイト名も反骨精神の表れだった――現在は真偽定かではないゴシップネタの宝庫として評判が悪い。が、“悪名もまた名なり”を地で行かんばかりにアクセス数は多く、ふと初期の理念を思い出したかのように重大な問題を吸い出すこともある。先に話題に出た一番人気の動画が投稿されていた投稿サイトとは、片や滑稽動画ブーシットピクチャーズ、片や個人報道インディペンデント・レポート、と方向性が違うのに世間ではライバル的な扱いをされていて、かつ前者より広告収入がちょっとだけ多いことでも知られていた。
 レクはサイトのトップページからトルズク兄弟を目的地へ案内する。『トルズク・ブラザーズ・ビッグニュース』という投稿件数0の真新しいページがそこにあった。作られたばかりで何もないページにしては驚異的な閲覧数がある。その理由も、芍薬は既に掴んでいた。
「レク、ヨクヤッタ。速クモコレホド人ヲ集メルトハ、素晴ラシイ」
「がんばって宣伝してきました!」
 例の一番人気動画のページを始め、各所にマルチポストされていた宣伝文を芍薬は手元で一瞥する。宣伝文には投函する場所に合わせていくつかのパターンがあり、中にはデフォルメされたレクが熱心に“次”を語るミニ動画もあった。『トルズク・ブラザーズ・ビッグニュース』のページの隅ではまるで正規品の目印ででもあるかのようにそのデフォルメ・レクがマラカスを持って踊っている。満面の笑顔だ。どこまでも無邪気に、嬉しそうに、たくさんの訪問者達を歓迎している。警察に引っ張られていったばかりの人間が騒ぎを起こしたその日にこんなページを作ったらそりゃあ注目されるだろう。もしかしたら、彼らを釈放した担当官は今頃上司に呼び出されているかもしれない。
「でも、違います、マスター!」
 何事か、憤ったようにレクが言う。それに当惑したように兄が問う。
「何ガ違ウノダネ?」
「これほどに人を集めたのはマスターの人徳です! 隠された功徳がこうして人を呼ぶのです! ワタシは本当には何もしていないのです!」
「オオ、レクヨ! コンナニ嬉シイコトハナイ! 俺ハオ前ガ俺ノA.I.デアッテクレタコトヲ神ニ感謝スル!」
 芍薬の胸がちくりとする。言葉もないレクの喜びへの共感が、騒いで消える。
「サテ、弟ヨ。オ前ハコレカラ何ヲスルカ、ドウヤラ分カッテイナイヨウデアルナ?」
「ウン、サッパリダヨ」
「教エテアゲヨウ。コレカラ俺達ハ、マタモキョヲ暴クノダ」
「ドウイウコト?」
「『スライレンドノ救世主』――誰ノコトダカ、分カルカナ?」
「ウン、ニトロ君ダヨ。スゴイヨネ、彼ハトッテモ勇敢ダ」
「ソウ、勇敢ダ。シカシ、ソノ勇敢サガ演出サレタモノダッタラ。ドウカナ?」
「ッ、兄チャン!? マサカ!」
「ソウ! 確カメテミセルノダヨ! 確カニ『ニトロ・ポルカト』ハ真面目ラシイ、ダガ、真面目ダカラトイッテ勇敢トハ限ラナイ、イヤ、カエッテ真面目ナ者ハ臆病ナモノナノサ。俺ハヨック知ッテイル。真面目デ、優シクテ、シカモ勇敢デ強イ、ナドトイウ者ハナカナカ存在スルモノデハナイ。アノ『ジェントルマン・ディンゴ』モダカラコソ“ヒーロー”デアルノダ。ナカナカ存在シナイシ、存在シ得タトシテモ、誰シモズットソウイウ存在デイラレルモノデハナイカラコソヒーローハ“ヒーロー”デアルコトガデキルノダ」
「その通りです! マスター!」
 レクが賛同と賞賛を込めて叫んだ。
 ――レクだけが叫んでいた。
(?)
 芍薬は、違和を感じた。弟は黙している。レクはさらにマスターの持論へ感嘆の言葉を送っている。しかし公園の監視カメラを通して見る弟は黙したまま、何か問いかけるように兄を見つめている。これまでほとんど同じように兄を持ち上げていた両者のこの差は一体どこから生まれたのか。

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