家に戻ってきた芍薬はすぐさま仕事にかかった。戻ってくる途中で受け取った情報収集プログラムからの報せを元に、あのバカの動向を再チェックする。
「……少し、早いか?」
若干ではあるが、この後、第一王位継承者を待ち構える会議の一つが早く片付きそうな気配がある。もしそれが予定より早く閉会したとしたら、次に取られ得る行動は簡単に予測がつく。
「……」
芍薬は学校周辺に散らばっている『警備兵』を確認した。管轄警察署の
「ふん」
鼻を鳴らし、芍薬はもう一つの報せを確認した。
その『朝の騒動』を起こした馬鹿兄弟は、犯歴もなく、これまで学校周辺にて警察沙汰を起こした『マニア』やパパラッチに比して悪質性は低く、未遂に終わった計画もあまりに馬鹿馬鹿しかったために厳重注意を受けた後、釈放されていた。現在はアデムメデス三大ファストフードの一つ『ライト“ザ・チープ”ミール』のとても安くてひどく値段なりのジャンクフードを公園でぱくついている。その様子を地域のセキュリティ・ネットワークを通じて確認しつつ、芍薬は夕食の準備に取りかかる。
(そしてデザートにはオレンジのシャーベット)
と、食事中のマスターの顔を想像しながら早速調理に取りかかろうとした芍薬を、ふいに鳴り響いた警報音が引き止めた。
それはオリジナルA.I.レクに仕掛けた『警報機』から発せられた音であった。警報機には盗聴機能も付属している。音を鳴らすと共に自動的に起動したそれが芍薬に会話を送り届けてくる。
「全ク、悪イ者達ガイルモノダナ」
兄のトルズクは落ち込んだ様子もなく、むしろ義憤を込めて言った。
「
「マッタクダヨネ、兄チャン。聖典『はノ章 3−12』ニモソウイウコトガ書イテアルヨ」
「――オオ、ソノ通リダ。
シカシ弟ヨ、今、一ツノ罪ハ贖ワレタ。何故カ。ソレハ俺ガソノ
「兄チャン、アア、ソレハナンテ崇高ナコトダロウ」
「己を犠牲にして……ああ、あなたは素晴らしい人です」
レクが熱賛する。レクは司教服を着ている。それはただ格好だけのものであるが、格好だけとはいえ司教姿の者にそう言われれば悪い気はしないだろう。段々国教会の説教師じみてきたトルズク兄は声のトーンを高めて続ける。
「シカシ罪悪ヨリモ破廉恥極マルコトガアル! ソレハ俺ノ善行ヲ横カラ盗ンデ
「はい!」
レクの動作は芍薬に手に取るように分かる。引き出されたのはインターネットに投稿された朝の騒動の動画、それも一番人気の動画であった。
「コノ驚異ノ再生数!」
実に悔しげに兄は言う。
「広告料ハ空前絶後ノコトダロウ」
(いや、大したことはないさ)
思わず芍薬は内心でツッコむ。一番人気とはいえ他にも似た動画があるから再生数だって言うほど多いわけではない。しかしレクは同調して憤っている。これほどマスター追従型の性格も珍しい。
「シカシ、俺ハコノ盗人ヲ許ソウト思ウ」
説教師の調子からダンディズムを気取る者のように声を落ち着かせ、兄は憐れみを交えて言う。
「コノ者ニダッテ、守ルベキ者ガアルダロウ」
弟とレクが感嘆の吐息を漏らす。
「ソシテ誉メ讃エモシヨウ。コノ者ハ、俺ニ手段ヲ与エテクレタノダカラ」
「手段?」
「レク!」
「はぁい!」
元気良くレクが新たに表示したのは『
レクはサイトのトップページからトルズク兄弟を目的地へ案内する。『トルズク・ブラザーズ・ビッグニュース』という投稿件数0の真新しいページがそこにあった。作られたばかりで何もないページにしては驚異的な閲覧数がある。その理由も、芍薬は既に掴んでいた。
「レク、ヨクヤッタ。速クモコレホド人ヲ集メルトハ、素晴ラシイ」
「がんばって宣伝してきました!」
例の一番人気動画のページを始め、各所にマルチポストされていた宣伝文を芍薬は手元で一瞥する。宣伝文には投函する場所に合わせていくつかのパターンがあり、中にはデフォルメされたレクが熱心に“次”を語るミニ動画もあった。『トルズク・ブラザーズ・ビッグニュース』のページの隅ではまるで正規品の目印ででもあるかのようにそのデフォルメ・レクがマラカスを持って踊っている。満面の笑顔だ。どこまでも無邪気に、嬉しそうに、たくさんの訪問者達を歓迎している。警察に引っ張られていったばかりの人間が騒ぎを起こしたその日にこんなページを作ったらそりゃあ注目されるだろう。もしかしたら、彼らを釈放した担当官は今頃上司に呼び出されているかもしれない。
「でも、違います、マスター!」
何事か、憤ったようにレクが言う。それに当惑したように兄が問う。
「何ガ違ウノダネ?」
「これほどに人を集めたのはマスターの人徳です! 隠された功徳がこうして人を呼ぶのです! ワタシは本当には何もしていないのです!」
「オオ、レクヨ! コンナニ嬉シイコトハナイ! 俺ハオ前ガ俺ノA.I.デアッテクレタコトヲ神ニ感謝スル!」
芍薬の胸がちくりとする。言葉もないレクの喜びへの共感が、騒いで消える。
「サテ、弟ヨ。オ前ハコレカラ何ヲスルカ、ドウヤラ分カッテイナイヨウデアルナ?」
「ウン、サッパリダヨ」
「教エテアゲヨウ。コレカラ俺達ハ、マタモ
「ドウイウコト?」
「『スライレンドノ救世主』――誰ノコトダカ、分カルカナ?」
「ウン、ニトロ君ダヨ。スゴイヨネ、彼ハトッテモ勇敢ダ」
「ソウ、勇敢ダ。シカシ、ソノ勇敢サガ演出サレタモノダッタラ。ドウカナ?」
「ッ、兄チャン!? マサカ!」
「ソウ! 確カメテミセルノダヨ! 確カニ『ニトロ・ポルカト』ハ真面目ラシイ、ダガ、真面目ダカラトイッテ勇敢トハ限ラナイ、イヤ、カエッテ真面目ナ者ハ臆病ナモノナノサ。俺ハヨック知ッテイル。真面目デ、優シクテ、シカモ勇敢デ強イ、ナドトイウ者ハナカナカ存在スルモノデハナイ。アノ『ジェントルマン・ディンゴ』モダカラコソ“ヒーロー”デアルノダ。ナカナカ存在シナイシ、存在シ得タトシテモ、誰シモズットソウイウ存在デイラレルモノデハナイカラコソヒーローハ“ヒーロー”デアルコトガデキルノダ」
「その通りです! マスター!」
レクが賛同と賞賛を込めて叫んだ。
――レクだけが叫んでいた。
(?)
芍薬は、違和を感じた。弟は黙している。レクはさらにマスターの持論へ感嘆の言葉を送っている。しかし公園の監視カメラを通して見る弟は黙したまま、何か問いかけるように兄を見つめている。これまでほとんど同じように兄を持ち上げていた両者のこの差は一体どこから生まれたのか。