「うわ!」
 黒い爆煙に吹き飛ばされた芍薬はフィールドの“地面”に背を強かに打ちつけた。息が詰まり、喉に入り込んだ煙に激しく咳き込まされる。どうやらこれが百合花の設定したペナルティであるらしい。
 一過性ながら“息”というものを持たないオリジナルA.I.の身で“死ぬような息苦しさ”を味わわせられた後、芍薬は立ち上がり、天を仰いだ。
「――クソッ!」
 歯噛み、拳を握り締める。
 これが本番でなくて良かった。これが敵との実戦であったらと思うだけでも寒気がする。確かに相手のマスターの姿を武器に使うのは有効だ。それがA.I.と仲の良いマスターであればあるほど効果があるだろう。自分だって、相手に相手が最も大切と思う者を見せるという幻術クノゥイチニンポーを持っているのだ。……それなのに!
「本当に、いい練習をさせてくれる」
 芍薬は天を仰いでいた目を地に戻した。例えるなら頭に昇っていた血が一瞬にしてつま先にまで降下したような、目の暗む思いがした。
 悔しかった。
 百合花にしてやられたのが、悔しかった。
 百合花がカンザシのことを利用してきたのも腹立たしかった。
 このカンザシは、主様がアタシに隠してジジ家で作ったものだ。監修したのは撫子おかしらであったそうだが、百合花がそれを知らないはずはなく、ひいては主様の気持ちも知らないはずがない。それをこんなトラップに使ってくるなど……いや、だからこそ、百合花は罠に用いてきたのだ。用いる価値があると認めたのだ。
「ああもうっ――ちっくしょう……」
 悔しさと、怒りと、しかし失敗したのは何より己の未熟が故であるという自覚がい交ぜとなって、芍薬は地団太を踏む。
 しかし憤懣を解消している暇はなかった。こうなれば残る二つの問題は百合花が悔しがるほど速く解いてやろうと思った直後、マスターからの呼び出しがあった。
 時刻を見れば――
「?」
 まだ昼休みには27分遠い。授業中のはずだが、何だろうか。呼び出しの形式に何の制限もない。筆談であればまだ解るのだが……
 とにかく芍薬は急いで応じた。
「どうしたんだい、主様」
 ニトロの携帯電話モバイルにデフォルメ肖像シェイプを表して、問いかける。モバイルのカメラは白衣姿の少年を映していた。と、その顔がひどく曇り、目が見開かれ、芍薬を凝視する。
「主様?」
 その様子を怪訝に思い、芍薬が問いかけるとニトロは目を丸くしたまま、
「イメチェンデモシタノ?」
 と問われ、芍薬は大きな『?』マークのアニメーションを浮かばせながら首を傾げ――はっと気づいた。瞬時に己の体を検査チェックすると、肖像に大きな変更がある。それは、構成プログラムの表面から僅かに離れた場所に作成されるように指定された“アクセサリー”であった。しかもご丁寧にもそのアクセサリーは内部では見えず、外部からこちらを見る者にだけ可視化されている。その内容は――
「にゃああ!?」
 芍薬は戦慄した。
 今、芍薬は、ニトロの目には派手なビキニにパレオを巻いたアフロ姿のファニーガールとして映っていた。しかもデフォルメ設定が排除されて元の八頭身。全身は元の肌色なのに顔面だけが日に焼けている。というか煤を塗ったかのように真っ黒だ。その中で白い口紅に銀のラメの入った白いアイシャドウがきらきら光り、頬には白粉で描かれた太陽マーク。眉毛も睫毛もちりちりと焼けてパーマがかかり、加えてアフロの頂点にはカンザシが、これはさながら岩石に剣の突き立つがごとし!
「〜〜〜!!!」
 唇を噛み、拳を握り、芍薬はピンと背筋を伸ばした。直立不動で硬直する。元々感情表現豊かな構成プログラムがほとんど自動的に顔を赤くする。芍薬がそれを止めるより先に煤色の顔どころか耳も胸元までも真っ赤になっていく。その様子がニトロに、マスターに、その黒い瞳に隠すことなくまざまざと晒される。ちょっと、本気で泣きそう。
「エート」
 どうやら何かを察したらしいマスターが左右を気にしながら指をボタンに触れる。モバイルの画面が切り替わったのが芍薬に伝わる。画面に映し出されたのは培養皿にもこもこと膨らむ物体だった。
「先生ガ体調ヲ崩シテネ、ダカラ今日ハ通信講義ナンダケド、マタ先生ガトイレニ駆ケコンジャッテサ」
 気づけば、マスターの声の周りには、選択教科の生物学を共に受講する生徒らの談笑が広がっている。
「デ、コンナニナッタヨッテイウノト」
 培養皿で、もこもこしているのは『カルス』だった。未分化の植物細胞の塊である。この後、マスターの班はこのカルスに遺伝子操作を加えての発光するホオズキを作る。夜に眺めるととても綺麗だという。
「夕飯ハ何カナッテ、思ッテサ」
 どことなくマスターの歯切れの悪いのが芍薬には非常に堪える。
「肉料理だよ」
 羞恥心を噛み殺して、芍薬は言った。今夜の料理当番は自分である。
「でも購買にあるのとは被らないから何でも大丈夫だよ」
「分カッタ。ヨロシクネ」
 通信が切られる。気を遣って早々に切り上げてもらったのがまた痛切である。
「―――ッ!!!」
 芍薬は、怒りに任せて百合花おゆりが時間差で繰り出してきたペナルティ……いいや、こんなのはペナルティではない。正真正銘悪意みなぎる嫌がらせ以外の何であろう! 本体を隠すそのふざけた“ラッピング”を力づくで破り捨てたところで、さらに芍薬は気づいた。
 ポニーテールの根元からカンザシを引き抜き凝視する。
 カンザシが……マスターからの大切な贈り物が、すり替えられている!
 その事実に芍薬がすぐに気がつかなかったのも――気がつけなかったのも、無理のないことではあった。何しろそのカンザシは“本物”であったのである。しかしそれは完成直前の物。間違いなく製作途中のバックアップデータ。それを完品として偽装したのだ。
 芍薬は、駆けた。
 電脳世界の空洞ヴォイドを光と共に駆け抜け、駆け込んだ先で金箔に覆われた引き戸を蹴り開ける。
百合花ゆりのはなぁ!!!」
 芍薬は怒号を上げた。叫びは殺気を孕んでいた。
 名を呼ばれたその部屋スペースの主は、殺気を孕む怒号を浴びてなお、脇息きょうそくに寄りかかったまま泰然自若と煙管を咥えていた。結い上げた髪を無数の金銀のアクセサリーで飾り立て、恐ろしく派手なキモノの襟を深い胸の谷間が強調されるように開き、乱れた裾から白い足を抜き出して横臥するその女性性のオリジナルA.I.は、目尻に紅の化粧を施し、肉感的な唇にはもっと鮮やかな紅を差し、オブジェ化された拷問器具や死体の並ぶ悪趣味にしてけばけばしい部屋の中央で、ほぅっと、気だるそうに煙を吐き出した。
 ハラキリ・ジジのオリジナルA.I.撫子の『三人官女サポートA.I.』の“末っ子”は、消えゆく煙から乱暴に部屋に侵入してきた“長女”に流し目を送り、ため息をついた。
「情けなや」
「何だって!?」
 芍薬は怒鳴り、しかしそれ以上は前に進めなかった。百合花の目の前に置かれたマナイタの上にカンザシがある。白い布で丁寧に包まれているが、確認しなくとも『本物』であると理解できる。百合花がそれを切り刻むのは実に容易いことだろう。もしかしたらマナイタが爆発するかもしれない。あるいはマナイタに食い破られるかもしれない。ここは百合花の支配が強く、距離もこちらが不利、守ることはできない。身を挺しても、と念じたところで身を差し込む前に破壊されてしまう――そんなことまではしないと思えども――……百合花の瞳には失望と、明確な敵意があった。
「あんな程度てえどをクリアできないとは、芍薬、あんさん、なまったんと違うん?」
 芍薬は言葉を返せなかった。
 鈍ってなどいない――そう言いたくとも、実際に『練習問題』を解けなかった事実が芍薬の言語野を鈍らせる。しかも、その実証は出題者の前にあるのだ。
 血が出るほど拳を握り込み、頭痛がするほど歯を噛み締め、芍薬は言った。
百合花おゆり、それを返しな」
「ホホホ、命令できる立場と違うなあ? 芍薬」
 芍薬は、怒りを飲み込む。
 百合花は煙管を呑み、また煙を吐く。立体画素ボクセルを崩しながら死んでいく男性性のオリジナルA.I.が描かれたウキヨエを背景に、紫煙は芍薬を嘲るように揺らめいて消える。
「そんなんも解らんくなってるとはねえ、やっぱりあんさん緩んでる。駄目んなってるなあ。なあ、おねえさま? おやさしい旦那だんさんに甘やかされて、気持ち良さによがり狂って、そん構成プログラムの根元をぐずぐずに湿り腐らせてるんと違うん?」
百合花ゆりのはな!」
 流石に今度は怒りを飲み込めない、芍薬は怒鳴った。その声は今までで最も大きく、百合花の支配する部屋がびりびりと震え上がる。芍薬は一歩踏み出した。目は怒りに燃え、トレードマークのポニーテールは逆立ち、手に武器はないまでもその指は百合花の細くも官能的な首をいとも簡単にへし折れる力を示している。だが、百合花は動じない。少しだけ居住まいを正し、ぐっと芍薬をめ上げる。

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