第一に、相手が芍薬の警戒リストに放り込まれていたため。そのキッカケは無論『制服』の件である。一週間ほど前、マスターに害を及ぼす可能性を孕む情報を集める網が、あるオークションサイトへの“古着”の出品の報を引き上げてきた。調べてみるとそれは実に疑問点の少ない『制服』で、画像から抽出できる形状データだけを参照したら本物に違いないと思えるほど。しかし、そのオークションサイトはまだ新しく、しかも信頼性に疑問のあるサイトであった。いくら形状に問題はなくともその“古着”が偽物である可能性は依然として高く、また本物であったとしても盗品の可能性も高い。事実、その高校に通う男子高校生が制服を盗まれたと被害を訴えたのは一度や二度ではないのだ。もし馬鹿高い設定金額にもかかわらずそれらのリスクも無視して買う奴がいたとしたら、それこそ馬鹿以外にはないだろう――芍薬が情報を拾ったコミュニティサイトでもそう嘲笑の種にされていた。
 だが、売れた。
 しかもわりと競った。
 競ったのは三人、しかし二人はサクラであろう。
 実際そのサイトは色々と危うく、芍薬が購入者の情報を“確認”するのも難しいことではなかった。
 購入者名はハロルド・トルズク――
「俺モコノ髭ト別レルノハ惜シイ。オ前ノ喜ビヲ一ツ、コノ俺ノ手デ自ラ失オウト言ウノダカラ」
 よよと泣かんばかりに声を震わせて弟へそう語る、北大陸出身の男である。今月35歳になったばかりで、王都にやってきたのは6年前。現在、共に王都にやってきた10歳下の弟のエウラムンディ・トルズクと二人暮し。家計は弟がアルバイトを掛け持ちして支え、兄は天運の示すところによる金策――つまり宝くじやギャンブルに励んでいた。王都に来た頃は巡りも良かったようだが、現在は負け続けている。兄はとにかく『ビッグ』になることが目標であるらしく、それは世に正義をなす『ヒーロー』となることに等しく、しかしどのようにビッグ=ヒーローになるのか定めることすらできていない。そこでひとまず現状は金持ちを目指している、何故なら金があれば色々なことができるから……というのがハロルド・トルズクのプライベートエリアに散らばる情報から推察できた。王都に来る以前の情報は弟との写真以外はほぼ皆無であるため、そこでどのような生活をしていたのかは分からない。写真を見る限り食は充実していたらしく顔の血色は良いが、表情はやや暗い。暗くなりきったところで王都にやってきて、それからの表情は明るすぎるくらいに明るい。他に『過去は振り返るものにあらず』というメモが残っている。
 芍薬がこのコンピューターに笑えるほど容易に侵入できた第二の理由は、このプライベートエリアにあった。
 メインエリアは常識的なセキュリティで守られていても、このエリアにはマルウェアが幾つも生息していたのである。アダルトサイトで感染したらしい。おそらく『レク』と呼ばれたオリジナルA.I.は、ここで活動するマルウェアの挙動をマスターが常駐させているソフトの正規の動作とでも思い込んでいるのだろう。それはレクが恐ろしく無能なためか、恐ろしくマスターを信頼しているためか――しかし、それが例えマスターへの信頼故だったとしても、芍薬はそんなものは決して“信頼”ではないと思う。
「アア、兄チャン、分カッタヨ。僕モソノ髭ヲ剃ルコトニ賛成スルヨ。デモ、マタスグニ生ヤシテクレルヨネ?」
「当タリ前ダ。ナニシロヒーローニハ髭ガ付キ物ダカラナ、ソウ、『ジェントルマン・ディンゴ』ノヨウニ」
「ウン、兄チャン!」
 芍薬の開けた“覗き穴”から届く兄弟の様子は、その顔も、その声も、心底互いに信頼し合っていることを伝えてくる。芍薬は静かに監視を続ける。これまでの会話からしても正直この場で酷くとっちめてやりたいものであるが――しかし、この程度ならまだいい
「デモ、本当ニ、本当ニソレハヤッテモ大丈夫ナノ?」
 最後の理性か、自制心か、ふと、弟がくぐもった声で兄へ尋ねた。
「兄チャンモ言ッテタケド、ティディア姫様ノオ護リダヨ? ダッテ、ダカラ誰モ学校デノ『正義ノ活動』ニ成功シタ人ガイナインダヨ?」
「弟ヨ」
 聞くだけなら本当に慈愛に満ち、頼りになる声で兄は言う。
「オ前ノ心配ハモットモダ。ダカラ安心サセテヤロウ。
 レクヨ」
「はい!」
 待ってましたとばかりにレクが返事をする。“覗き穴”から見えるその姿は司教服を着た女性性の肖像シェイプで、年の頃は二十歳半ば程、ブロンドの髪を肩で綺麗に切り揃え、目元などは厳かな風体であるのに性格キャラクターは軽妙なまでに明るい。
「コノ策ガ成功スル可能性ハドレクライアルカナ?」
「限りなく低いです!」
 失望の吐息が弟から漏れる。そこに兄が言う。
「ソウ、限リナク低イ。ダガ、0デハナイ、ソウダナ? レクヨ」
「はい! ゼロではありません!」
「ナラバ実現ハ可能ナノダ、弟ヨ! ソレガドンナニ低イ可能性デアロウトモ、0デナイ限リハヒーロータル者ハ挑マネバナラナイ! ソシテレクガ0デナイト言ウノダカラコレハ全クモッテ大丈夫!」
「ソウダネ兄チャン!」
「サラニオ前ヲ安心サセヨウ! オ前ハ忘レテイル! 俺達ハ『ポルカト』ト親戚ダトイウコトヲ!」
 芍薬は首を傾げた。確かにポルカト家には自称親戚が増えた。が、父方母方共に数代一人っ子、もしくは他の兄弟が独り身という状況が続いていたため、ポルカト家に――血縁的に遥かな遠縁とは言えても――社会通念的に『親戚』と呼べる者達はいない。
「ソウダッケ?」
 弟も首を傾げているようである。芍薬に事態を報せたコミュニティに書き込んでいる客達も疑念一杯らしい。クエスチョンマークや当惑を示す絵文字が乱舞している。それを扱うオリジナルA.I.達もマスターの命令コマンドに応答すると共に自ら思案し、時にはマスターとひそひそ話を楽しんでいる。一方、汎用A.I.達は個人的な好奇心を持つことはなく、ただその時々の命令コマンドに対応すべくひたすら待機と実行を繰り返している。
「弟ヨ」
 兄は重大な秘密を打ち明けるように声を潜めて(実際には全然潜んでいないが)言う。
「叔母サンノ名ハ、何ダ? ジェスカ――」
「ポルカロ」
 まだ兄の真意が掴めず、いまいち自信無さ気に弟は繰り返す。
「ジェスカ・ポルカロ
「ソウダ!」
 しかし兄は勝ち誇り、言う。
「実際ニハ一字違イデアルガ、聞クトコロニヨルト『ポルカト』ト『ポルカロ』ハ元ヲ辿レバ同一デアル場合モアルトイウコトダ、トスレバコレハモウ親戚ミタイナモノデハナイカ。ポルカトサント叔母ノポルカロガ親戚ナラバ、甥ノ俺達モポルカトサンノ親戚デアルノハ自明ノ理。……違ウカ!?」
 やっと兄の真意を悟った弟は息を飲み、それから感動と感嘆を込めて叫んだ。
「イイヤ兄チャン! スッゴク論理的ダヨ!」
「ほれぼれしちゃう!」
 オリジナルA.I.レクが合いの手を入れ……いや、合いの手ではない、どうやら本気で感心している。兄はいよいよ雄々しく声を張る。
「親戚ガ親戚ヲ尋ネテ学校ヲ訪ネルコトノドコガ間違ッテイルノデアロウ? 万ガ一、千万ガ一ニモ俺ノ変装ガバレタトシテモ、ソノ正当性ハ正義デアル。正義ハ何事ニオイテモ悪ヲタダスタメニハ押シ通ルモノデアリ、押シ通レルノダ。ソレガ正義ノ証明デアルカラコソニハ!」
 兄のトルズクの演説に弟とレクは揃ってやんやの喝采である。
 芍薬は、ため息をついた。
(もう十分だ)
 必要なだけの情報は得た。そして、聞くに堪えない。
 このプライベートエリアには様々な情報が転がっている。所有者のパーソナルデータ、とっくに残高ゼロになっているプリペイドクレジットカードの番号、さらに何とオリジナルA.I.にとっての“命”に等しいものの完全コピーまでもがパスワードのメモ付きで無造作に転がっている! お陰で仕事も格段に容易となる。
 芍薬はそのオリジナルA.I.の“命”にも等しいもの――『マスター権限』に関するデータを手に取り、もう片方の手に大きな『針』を表した。
「ニトロ・ポルカトノ今日ノ時間ワr-」
 レクが喝采を止め、兄のご高説を再び静聴し始める。その瞬間、芍薬は権限コードを走らせた。レクの動きが止まる。芍薬は“覗き穴”を拡張し、プライベートエリアから抜け出るや凍結したレクに駆け寄り、その司教服アクセサリーの下の豊満な乳房の奥へ深々と針を刺し込んだ。人体で言えば心臓の辺りで針の先端を切り離す。と、それはレクの中で一瞬にして融解した。オリジナルA.I.レクの構成プログラムの奥深くに、入念かつ微に入り細を穿つ身体照合検査ミラーリング・チェックをしてなお発見の難しい『警報機』が設置される。それは“レクそのもの”をスパイと化し、同時にその内部へスパイウェアを隠すことでもあった。芍薬は瞬時にプライベートエリアに戻り、レクを解凍した。
「-iモアルルートカラ入手シテアル。コノ偉大ナル頭脳ニハ既ニ完璧ナ行動計画ガ――」
 レクは――何事もなく――兄のご高説を静聴し続ける。
 芍薬は覗き穴を完全に塞ぎ、ハロルド・トルズクのパーソナルデータとレクの“命のデータ”のコピーを取り、己の侵入の痕跡を丁寧に消去すると、マルウェアの通信の波に乗ってそっと電脳世界ネットスフィアへと出ていった。

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