「何か落ち度があったの? 真面目な人だって聞いているけど」
「真面目です。が、愚鈍です」
「辛辣ね」
「申し訳ありません」
「……愚鈍だと、駄目?」
そう問うた後、ミリュウは伏し目がちに、付け足す。
「生きる価値はない?」
「?」
ヴィタは眉をひそめた。そこまで言ったつもりはないが……この第二王位継承者はこちらへ何か試験でも課してきているのだろうか。本当に『お姉様』に相応しいのかどうか、と試してきているのであろうか。あり得ない話ではないが、とはいえ強いてそのようなことをしてくる人間のようにも思えない。
それともこの少女は最早こちらと心を開いて語り合おうというのか。――あり得ない話ではないが、それでも少し早過ぎる。いかに『姉の執事』という立場が彼女から全幅の信頼を置かれるものであったとしても、彼女は、これほど急に、しかも人を驚かせるような距離の詰め方をするような人間ではない。
それではこれはその距離を縮めていくための語りかけであろうか。語るということは、それが虚偽にしろ真実にしろ、心の幾ばくかをさらけ出すことに他ならない。もし相手に「お前から先に心の幾ばくかを見せろ」と言われれば不快にもなろうが、逆にそれをそっと無防備に開示されたら悪い気はしない。ならば何かしら応えてみせようという気にもさせてくれる。そう、させてくれる――これはミリュウ姫の平和的ながらも実に戦略的な天性だ。そして天性ながらも彼女自身は無自覚で、しかも彼女が意図的には操れない武器によってこの『劣り姫』は何度も『恐ろしいティディア姫』のフォローを成功させてきている。だからこそ、姉も重宝している。
(――あるいは)
と、ヴィタはもう一つ、可能性を探る。
もしかしたら、学校でそのような話題を耳にでもしたのかもしれない。
姫君の通うその私立高校は王家の運営であり、約2000年の歴史を持つ由緒正しき小中高一貫校だ。それは当時の王が子女のために中央、及び東西南北大陸の副王都に作った学び舎で、国教会の式典を含め公務で出席日数を削られがちな子女が卒業しやすいよう都合良く制度が整えられ、故に各地の副王都に住まう歴代の王子女は大抵その学校に通っている。設立の動機はいささか教育において不純と言うべきところがあるものの、それでも学校には王子女に相応しいよう優秀な教師が集められ、いつの時代も学力レベルは常に高い。さらに王子女と同じ学び舎に学ぶという副次的なステータスも2000年に渡って上流社会の垂涎の的であり続けている。そしてそのようなステータスのある場所には往々にしてエリート意識が芽吹くものであり、そこで伸びゆく若木には刺々しくなるものもまた往々にしてあるものだ。もしこの優しい姫君がその棘に触れたとしたら……
ヴィタは、非礼を承知で逆に問いかけてみる。
「ミリュウ様はどう思われますか?」
「わたしはそうは思えない」
それだけを言って少女は口をつぐむ。その声には信念があった。どこか悲憤にも近い感情も垣間見えた。ヴィタはうなずき、
「生きる価値とまでは言いませんが、私にとっては愚鈍であっても面白ければ価値があります。逆に鋭敏であっても、面白くなければ価値がありません。しかし私にとって価値のない人間でも私とは違う視点を持つ誰かからは価値を見出されることでしょう。ただ、そもそも私は“価値”というものが生死を左右するほどのものとまでは思わないのですが」
ミリュウの目が好奇心に染まる。
「それなら、何が生死を左右すると思っているの?」
「生命力」
言い切られ、ミリュウは目を見張った。ヴィタは微笑み、
「それ以外に何がありましょう? 生命力が尽きた時にのみ、それは死ぬのです。でなければ生きますし、死にません」
非常にシンプルな道理である。あまりにシンプルすぎて揺らぎようがない。ヴィタは薔薇を見つめる。ミリュウも薔薇を見つめる。花盛りである。人によって選別されてきた花々ではあるが、それが咲くのは人の価値のためではない。咲くが故に咲く。生殺与奪を人に握られてなお価値に踊らされるのは誰ぞとばかりに咲き誇っている。
ミリュウは、背筋を伸ばして座るヴィタに目を戻した。
「もちろんミリュウ様の仰る話と、私の言葉には齟齬があるでしょう。複雑な事をシンプルに語る時には欺瞞が生じるものです。それに、私もまた、花実を良くするために他の草や虫を駆除します。が、それは私が重きをなす花実の価値そのものが現実的物理的な力を有したからではなく、私の駆除という行為が草や虫から生命力を失わせるだけに過ぎません」
「『命は価値によって奪われるのではなく、価値に拠り行為する者によって奪われる』?」
「国教会ではそのように
「ええ、原罪の一因として。人間はただ生きるだけで罪を免れない」
「私の申し上げることをそれと同じに受け取ってくださっても構いませんが、付け加えるなら、私は“生きる価値”という物言いは好みません。何故なら大前提として“生きる価値”のあるものなど一つとしてないからです」
ミリュウはぐっとヴィタを覗き込む。ある面では暴言とも言える『王女の執事』の意見を責めるのではなく、むしろ相手の意図をしっかり掴もうと真摯に相手に心を差し向けて、そうして真剣に考えてから、
「逆に言うと」
彼女は伺うように言った。
「皆が生きる価値のないのなら、全ての者が生きていい――ということ?」
「この庭を夏の間、
明確な答えの代わりに非現実的な提案を持ち出され、ミリュウは笑った。実に姉の好みに合う
「ただ価値があろうとなかろうと、害になる愚鈍を放っておくわけにはいきません」
ふいに話が戻り、ミリュウの頬が引き締まる。その瞳に“王女”が現れる。執事は続ける。
「しかも彼の愚鈍は性質が悪い。善良であり、職務にも忠実であり、それが能力の低さを補えるとしても、残念ながらそれ以上に女が絡むと救い難い」
「どういうこと?」
「彼の刑務所に、昨年“大物”が入りました。その男の組織が女を使って彼の操縦を企み、その目論見は既に成功を約束しています。おそらく財産も
ヴィタは嘘をついた。その嘘をミリュウは見抜いた。喋りすぎたなどということはない。答えられること以外、きっと話していない。それでもそう言ったのは――
「ありがとう、ヴィタ」
「何のことでしょうか」
サクランボをまた食べて、執事は早くもすっとぼける。ミリュウは肩を揺らした。アデムメデスの中・高等学校の多くが制服を採用しているのは姫君の通う学校を模倣したためで、当初女子のものは修道服、男子のものは軍服を基にデザインされたという。制服は時代によってデザインを変えてきたが、その中で一つだけ変わらなかったものが女子のループタイだ。修道女が首にかけていた
「ちょっと心配だったけど、あなたと仲良くやっていけそうで嬉しいわ」
例え仲良くやっていけないと思っても仲良くするであろうミリュウの言葉に、ヴィタはありったけの親愛を込めて目礼を返す。そして、サクランボを食べる。
「……たくさん食べるのね」
「どうぞ」
「いただきます」
「『変身』すると特にお腹が空くのです」
「ああ、そうなんだ。それじゃあ悪いお願いをしちゃったね」
「いいえ、元々私は大食家ですのでお気遣いなく。便利な体に生まれつきましたが、燃費の悪いのが難点です」
ヴィタは、ミリュウが微笑むか気を和らげることを期待していた。そして実際、ミリュウは微笑んだ。しかしその微笑みには罰の悪さが裏貼りされていた。
「――ところで」
そこでヴィタはこの流れを切り替えるため、元より聞くつもりのなかった話題をあえて持ち出した。