「さあメルシー! 踊りましょう!」
「はい! 踊ります!」
「気を取り直せメルシーさん! 踊れば見える! 絶対見えちゃう! ていうか既にホントにヤバイ! ここには俺もスタッフさん達もいるんだよ!」
「そんなの気にして女ができるか!」
「お前はもう黙ってろバカ痴女!」
「踊ります! 踊って見せますニトロ様!」
「何を見せる気!?」
「決まっているじゃなあい? お・ま」――ハラキリは、ニトロの血管が切れる音が聞こえる気がした――「芍薬! ハンマー!」
 バガン! と、凄まじい音がした。ドアが蹴り開けられたかのような音だ。
「ドウゾ主様!」
 芍薬の声がした。
「本当に買ってきちゃったの!?」
 ティディアの驚愕の後ろに重なった複数の声は番組スタッフの声だろう。ここまで徹底して無言だったプロフェッショナル達も、流石に声を出さずにはいられなかったらしい。一体どんなハンマーを持ってきたのか芍薬は。
「ティーディーアぁぁァ」
「待って! やめて! そんなおっきいのぶちこまれたら私本当に死んじゃう!」
「ぬあああああ!」
「きゃああああ!」
「さー、始まりましたティディア様VSニトロ様の一本勝負」
 ティディアの悲鳴に続いて聞こえてきたのは恐ろしく冷静なメルシーの声である。冷静であるが壊れたまんまであるらしい彼女は驚くべき早口でありながら恐ろしく聞き取りやすい、実に見事な滑舌で続ける。
「ニトロ様がハンマーを振るいます。ティディア様は身軽にかわします。ハンマーは長い柄のついたおっきいものでございます。スレッジハンマーでどうぞご検索ください。ホルリマン・ホテル自慢のスイートルームは大型ハンマーを振り回せる快適な空間にてフレンドリー&ラグジュアリーな安らぎをお約束いたします、皆様どうぞご利用ください。さてニトロ様はただハンマーを振り回すだけではありません、重く扱いがたくもあるようですが突く突く薙ぐ突く、それはさながら槍のごとく、そして執拗に顎を狙っておりますが、させません、ティディア様、さながらボクサーのごとく頭を上下左右前後に振って華麗にかわします。おっとハンマーがティディア様のお耳をかすめました! 手に汗握る攻防です。ワタクシメルシー、脱ぎたてのパンツを握り締めて実況しております。ティディア様、またもひらりとかわされます。なんということでしょう、あんなに動いているのにティディア様はスカートがめくれるのを巧みに防いでおられます。素晴らしい。パンツが見えません、失礼しました、パンツを穿かれていらっしゃらないのですから見えるはずがありません。その代わりお臀部が見えるのでしょうか? それともお陰部まで見えてしまうのでしょうか? ニトロ様以外に見せつけてしまうのでしょうか?」
「何言ってんのメルシーさん!?」
「ニトロ様はこちらにツッコまれる余裕がおありのようですがワタクシにはつかず離れず実況する他に余裕はありません。近づきすぎれば危険です。お声は拾えていますでしょうか。大声は明瞭かと存じます。しかしニトロ様の勇ましい吐息は聞こえますでしょうか、ティディア様の楽しげな吐息は聞こえますでしょうか、この臨場感をお伝えできるようワタクシメルシー可能な限り努めさせて頂きます、ティディア様また避けアッ!―失礼しました、スカートがついにと思われた瞬間なんとニトロ様が足で抑えました、これぞ神技! ティディア様甘い声! ニトロ様怒り声! ティディア様身をひるがえす! 振り下ろされたハンマーが後ろ髪をかすめる! とうとうニトロ様は攻撃範囲を頭にまで広げました。しかし当たればどうなってしまうでしょう? ティディア様はお腰を左右に振っておられます。挑発しておられます。ひらひらとスカートがひるがえります。ワタクシの仲間、ディレクターはカメラを構えております。ノーパンノーガード。職務に忠実なのです。けっして己が欲望でローアングルを狙っているのではありません。ジリジリと這い寄ります、おっと近づきすぎですディレクター、ニトロ様のハンマーが目の前に、危ない! ディレクターは悲鳴を上げて飛び上がり、その際カメラを落し、おや、カメラを見失っている。後ろです、あっ! 踏まれたカメラ、カメラが壊れた。皆様お嘆きにならないようお願い申し上げます。これ以上の撮影は続行不能。持込みが許可されたカメラはその一台。ディレクター大失態!――いえ? もしやニトロ様は狙ったのでしょうか? きっとそうです、やはり恋人の痴態を見せたくないのであります、これは愛が故の正当な攻撃そしてこれこそが勇敢なる騎士の精神!」
「ちょ、違う! ッこんの、逃げるなティディア!」
「お逃げくださいティディア様! 命中したら放送事故になってしまいます!」
「もう事故ってるだろこんな放送!」
「さーその事故放送も残り3分を切りました。果たして決着はつくのでしょうか。決着がついてしまうとメルシーの人生にも決着がつく気がいたします。タオルを投入したいところですがタオルは持ち合わせていません。ワタクシ、パンツしか持っておりません。パンツを投げ込めばタオル代わりになるでしょうか。きっとニトロ様はタオルだと思ってくださるでしょう。ところでニトロ様のパンツはベージュです」
「誤解を招く! パンツはパンツでもボトムス!」
「そうコットンパンツでございます。ご興味のある方は当番組公式サイトで是非ご確認ください。ティディア様ぴょんとソファを飛び越える! スカートは手で押さえ、しかしついに片尻チラリズム! まことにノーパンノーガード! ディレクター他スタッフ総前屈み! ワタクシも目が離せません、ハズカシ姫様お可愛らしい! ニトロ様はあざといとのご指摘! 巻き込まれそうになったお高そうなソファは無事! それにしてもパンツ、パンツ、パンツとは一体なんでありましょうか。ワタクシ解らなくなってまいりました。ワタクシ現在パンツを手にしております。これはタオルにもなるでしょう。パンツは殿方を興奮させます。しかしパンツがなくとも殿方は興奮されます。パンツの存在意義とは何でしょうか。存在意義を持つパンツとは何でしょうか。概念でしょうか、崇高なる理念でしょうか。あなたにとってパンツとは何ですか? ティディア様がくにゃりとハンマーを避けられます、何と柔軟なのでしょう、そしてニトロ様は何て容赦のない……愛、これもお互いの信頼があって初めてなせる愛!「ち「超素敵!」
「超素敵なこの放送も残り1分でございます。ワタクシにとってパンツとは希望でした、お笑いになるかもしれません、しかし確かに輝く夢へ至るための希望だったのです。それも今は脱ぎ、ワタクシお股がスースーします、解放されています。――解放? ワタクシ何から解放されたのでしょうか。希望? ワタクシは希望に囚われていたのでしょうか? ワタクシはパンツを穿いていたのではなく、もしかしたらパンツに穿かれていたのでしょうか。ならばパンツに穿かれた時、その人は何になるのか――そう、パンツとなるのです!」
「何その哲学! くそティディアこの期に及んでたくし上げようとすんな!」
「パンツはパンツでありパンツである時にこそパンツなのです!」
「メルシーさん!?」
「パンツは希望ではありません! 人はパンツによってのみ輝くのではありません! ワタクシの目の前には今、パンツを穿かずとも活き活きと誰よりも輝くお方がいます! 嗚呼、ティディア様! 貴女様は何故それほど輝いていらっしゃるのですか!?」
「それはニトロを愛しているから!――ゎお!」
 その時、激しい破壊音がした。その音と失態への呻きと小躍りしている声に重なって、何か鋭い呼吸音が聞こえた。そして、
「『崖っぷちアイドルの気まぐれ突撃インタビュー』本日は麗しく微笑まれるティディア様、お高そうなランプシェードを壊してしまって頭をお抱えになられたニトロ様にお相手頂きましてメルシーことメルミ・シンサーがお届けいたしました」
 責務に突き動かされているように極めて口早にメルシーが言う。その声には少しの落ち着きが戻っている。
「番組が生きていましたらまた火曜日に。それでは皆さんよい週末をお過ごしください。
 ――メルシー!!」
 番組は、そこで終わった。
 途端にやけに明るい男女の会話が始まる。結婚支援会社のコマーシャルだった。
「……」
 ハラキリは、そっと、ニトロの父を覗き見た。
 ニルグは、心底から嬉しそうに微笑んでいた。
「仲がいいことは、良いことだねえ」
 ハラキリの目に気づいてニルグは言った。彼は上機嫌にビールをくっと一口飲む。フライドポテトを齧って、ハラキリに、ラジオの最中に届けられていた牛スジ肉のワイン煮込みを勧める。
「……」
 ハラキリは何と返したものか解らなかった。ニトロなら的確にツッコンだろうか? それとも素直にうなずいたろうか……とかく判るのは、親友の父君もまたおもしろい人だ、ということだ。
「そうですね」
 ハラキリはとろける牛スジ肉を驚きと共に味わい、それから続けた。
「仲がいいのは、良いことです」
 ニルグの幸せそうな赤ら顔を眺めつつ笑みを返し、そして彼は思う。
 なおさらに、この夕飯のことはニトロ君には話せないな――と。

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