(真面目なんだなあ……)
 メルシーことメルミ・シンサーは。そう、とても真面目なのだ。集中力も相当に凄い。アイドル業への情熱もきっと凄い。もちろん、真面目であることや情熱のあることが成功への約束手形ではないにしても、しかしそのような態度には自然と好感を引かれるものだ。
(……)
 ニトロはティディアが言っていたことを思い出した。――『この相手に関してはむしろ遊んでやった方がいいと思うわ』――その理由はすぐに解るとも言っていたが、あれはどういう意味だったろう。
 そこで関心を深めた彼は携帯に目をやった。マスターの表情を見て芍薬がうなずき、どうやら生出演を受けた際に既にまとめていたらしい『メルシー』の情報を画面に表示した。ニトロは早速目を通し、
「……」
 彼の顔は、複雑に曇った。
 芍薬のレポートによると、元々メルシーは三人ユニットにてデビューしたらしい。幸いすぐに注目された。が、いよいよブレイクという時に、人気の中心人物が致命的な不祥事を起こしてしまった。ユニットは解散。不祥事を起こした者だけでなく、もう一人の仲間も芸能界から離れた。
 一人残ったメルシーは、ユニットでの印象を完全に払拭するために高飛車なアイドルとして出直したそうだ。そのキャラ付けが失敗し、その失敗がまた次の失敗を呼び、以降、ダウナーキャラへの転換を試みたり、裁縫が得意という要素をつけてみたり、雑学に強くなってみたり等々紆余曲折を経て、最終的に『崖っぷち清純派アイドル』に至った。
 最近の活動履歴を見ると彼女は『清純派』を宣しながら常にパンチラ必至の服を着ていて、それは今日も例に漏れない。どうやら“清純派なのにこの格好”というギャップを狙ったものであるらしい。が、狙った効果が上がっているかは甚だ疑わしい。特徴あるしゃべり方は前のキャラの名残で――何か嬉しい手応えでもあったのだろう――されどそれを残してしまったために『清純派』はますます名ばかりとなる始末。唯一目立って『清純派』らしい点は下ネタに非常に弱い(ということは現在のシミュレーションはその面でかなり頑張っている)ところだが、残念ながら『気まぐれ』という追加要素が逃げ道を作ってしまってそれを機能不全に陥らせている。彼女はプロダクションに所属していて、ならばプロダクションからマネージャーを配されているはずだが、こうなると彼女もマネージャーも共々にどうしたらいいのか分からなくなっているとしか思えないし、事実そうなのだろう、とにかく『崖っぷち』なのだ、もう限界なのだ。
(童顔だけじゃ、武器にはならないか)
 メルミ・シンサーの芸歴は今年で10年になる。見た目には自分と同年代、あるいは少し年下に見える彼女がティディアよりも年上らしいことはニトロを驚かせた。しかし、それだけで戦えるなら、彼女は今ここにいるはずもない。
 ……10年……
 本当に区切りのいい年数だ。
 彼女の立場でラジオの箱番組を得たのは望外、いや、それこそ奇跡に等しいチャンスであろうから、この仕事へ期する思いもそれだけ強いことだろう。
「というわけで、今回はティディア様とニトロ様に突撃しましたッす。お二人とも素敵ッす。あんなにラブラブで、うらやまメルシー!」
「!?」
 崖っぷちアイドルの思わぬセリフにニトロはカプチーノを吹き出しそうになった。堪え切ったのは奇跡である。
「それでは皆さんまた来週の火曜日に♪ メルシーからラブをこめて、メルシーキーッス!」
 メルミ・シンサーは目を閉じた。
 ニトロは、カプチーノを飲み終わった。というより急いで飲み切った。時間だ。
「みなさんこんばんはーっ崖っぷち清純派アイドル・メルミ・シンサー、略して伸ばしてメールーシーっだとぼんやりちゃん☆なのでメルシーでッす」
 メルミ・シンサーが再び目を開き、また繰り返し始める。これまで唇と瞼以外に動かされたところはない。全身は緊張感に漲り、顔色は青白いままで、そこにはシミュレーションを何万回繰り返そうとも拭えないだろう不安が塗り込められている。
 ――と。
 その一字一句違わず繰り返された不安を見つけた時――
 そこに『恐ろしい王女』の傍にいることで嫌でも見覚えた内向的な色を見出した時。
 ニトロは、ティディアの言葉の意味を理解した。
 芍薬のレポートの中に、彼女への寸評として印象的なものがあった。『イレギュラーへの対応力が劣化の一途』――元はそうではなかったのに、最近の彼女は想定外の事態に脆くなっているという。それはおそらく、その不安、失敗への怯えのためだ。そのために彼女は萎縮して、以前にはあったはずの彼女の力を自ら削いでしまっている。思えばシミュレーションの内容が無難なものばかりなのも失敗しないためにと守りに入っているからだろう。
 それ自体は無理もないと、ニトロは思う。だが、とも思う。イベントやら慰問やら何やらと身勝手な王女に引きずり回されながら見てきた景色に、それで希望を得た人はいくらいただろう? 親友も、戦いの中で『居つく』ことは致命傷を招きやすいと教えてくれてはいなかっただろうか。
 適切な守勢はもちろん必要だし、守らずに死しては愚挙というにしても、守りを固めるために“無難”という楯の下で身を縮め続けていてはいつしか視界までもが縮んでいく。するとかえって防御も上手くできなくなり、しかも彼女は以前からの失敗の積み重ねに退路を断たれている。『崖っぷち』という袋小路。崖の下には闇、周りには血を流す不首尾の山、脳裡には固執にも似た次の失敗への予感。動けない。されど動かなくてはならない。そこでその状況を打破するために彼女が選んだのは距離を取ることでも攻めに出ることでもなく、打破するためにこそさらに守りに入ること。――悪手だ。その悪手は悪循環を加速させ、そしてその速度を彼女の情熱と真面目さが支えてしまっている。そう、彼女の長所であるはずのものが明らかに悪い方向に働いている。焦りもあるだろう、悔しさもあるだろう、しかしそういった感情もまた彼女の周囲から遊びをなくして、周囲に遊びのなくなった彼女は首を回して活路を見定めることも思い切った方向転換を試みることもできなくなってまた身をすくめてしまう。身をすくめては、さらに視界が狭くなる。失敗のデフレ・スパイラル。だが、いくらチープになろうとも失敗を贖うのは以前にも増してより難しくなっていく。
「今日はメルシー、なんと、ホルリマン・ホテルにやってきたッす。メルシーッ!」
 彼女は音声データを再生するように、トーンが1mm上がる箇所もまるきり同様に口にする。そうでなければ困るというように。
 ニトロはウェイターを呼んで、代金を支払った。
 崖っぷち清純派アイドルに色々思うことはあるにしても、自分にはアドバイスできることなどない。いや、そもそもアドバイスするなどおこがましい。
(それではメルシーさん、後ほどに)
 ただ胸中で声をかけ、目礼だけを残してラウンジを去る。
 ニトロはエレベーターホールに向かいつつ、メルシーに余計な感情移入をしないよう心に決めていた。現在の彼女にとってティディアは相性も最悪の相手だ。しかし、だからといって下手に彼女を慮れば逆に彼女の仕事の邪魔をしてしまう。そうなれば間違いなく良い結果がもたらされることはない。無論、自分のこの選択は彼女に荒療治を強いることになるかもしれない。だが、そうならなければ『メルシー』には今日死ぬか後日死ぬかの選択肢が残るだけとなろう。ティディアが生出演を決めた時点で、もっと言えば番組があいつに依頼をした時点で、どうしたって彼女は二つに一つなのだ。だから、こちらはいつも通りの『ティディア&ニトロ』として突撃インタビューに臨むことにしよう。
「それで貴女のお役に立てればこれ幸い」
 舞台口上のように小さくつぶやき、彼は老若男女から送られてくる眼差しの中を足早に横切っていった。

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