アサリがたっぷり入ったクリームソースの生パスタは美味であり、食後に出された苺のタルトと名産地であるセルロンの紅茶はまた美味であった。テラス席で紅茶のおかわりを老人に注いでもらいながら、ニトロはテラスから見て最も美しくなるよう計算された花壇を見つめる。手前に背の低い花、奥に背の高い花、教科書通りとはいえ簡単には作り上げられない見事な立体感の中に調和の取れた色彩が置かれている。まるで風に吹かれてそよぐ名画だ。母の趣向とは違うが、母と話の合いそうな庭である。随分長居をしてしまっているが、それなのに長居をしているようにも思えない。庭が良いのもあるが、歳の離れた園芸友達の息子と話せることが嬉しいらしい老人との会話も楽しかった。
 テーブルの対面では、甘い豆菓子に楊枝を刺すハラキリが、部屋から流れてくるセスカニアンのクラシック曲に耳を傾けている。幻想交響曲、とか言ったか。ニトロも知っている有名なものだ。ここに来たばかりの頃はアデムメデスの有名な曲がかかっていた。パスタを運んできた老婆は、自分達が知っているのが有名なものばかりなもので、でもそれが好きなのだと笑っていた。ハラキリのカップの中では、老婆が昔のツテで手に入れたという希少なグリーンティーが澄んだエメラルドの輝きを日に照り返している。ハラキリは、その茶葉を少し分けてもらえるよう交渉し、それに成功してご機嫌である。口数の少ない老婆はグリーンティー好きの風変わりな若者に興味があるらしく、ぽつぽつと断続的にお茶談義を持ちかけていた。猫被りがうまいというか、そつがないというか、ハラキリは己の知識を曝け出すことなく、逆に言葉数の少ない老婆から上手く知識を引き出している。
 ――と、そのハラキリのモバイルに着信があり、それを一瞥した彼の眉目がにわかに翳った。
「どうした?」
 ハラキリの変化にニトロは敏感に反応した。既に心には警報が鳴っている。
「何があった?」
 最早トラブルが起こったことを前提にしているニトロの言葉にハラキリは困ったような一瞥を返し、今一度画面を見つめ、それから空を見上げる。ニトロも、老夫婦もつられてハラキリの見る方角へ目を向けた。すると、真昼の光に青い空の底に数台の飛行車スカイカーが見えた。まだ遠く、点にしか見えないが、それでも物々しさを感じさせる。頬を強張らせるニトロに、ハラキリが言った。
「ここらの管轄の警察署から出てきたものです」
「警察?」
 ハラキリはニトロの疑念には応えず、一つ息を挟んで、逆に問う。
「ニトロ君、何をしたんです?」
「俺?」
「ええ」
「何も悪い事はしてないよ?」
 何かしらの違法行為を行っているつもりはないが、面と向かって言われると妙に怖くなる。思わず上擦った声にハラキリは愉快そうに笑い、
「君が悪いことをしたとは言っていませんよ」
 携帯の画面を一瞥し――おそらく警察から情報を得てきた撫子からの報告があるのだろう――続ける。
「しかし、どうも君が何か“手柄”を立てたという話が出ているようです。例えば、何か見つけて通報したとか、そういうことは?」
「そう言われても……大体、さっきからずっと一緒にいただろ? 俺が何かを見つけて通報していたか?」
「だからこそ解せないんですが……ここに来る前に何かしたとか?」
「ここに来る前? 何もなかったなあ、あ」
「『あ』?」
「いや、つってもただ写真を撮っただけだよ?」
「それだけですか?」
「それを母さんに送った」
「はあ」
 ハラキリが相槌とも生返事とも取れない困惑の吐息を漏らす。彼よりずっと困惑しているのはニトロである。空の黒点は段々大きくなりつつある。相応の速度が出ているらしい。ニトロはモバイルを取り出し、その写真を表示して友人へ差し出した。
「これなんだけどね?」
 ハラキリはニトロのモバイルを受け取り、写真を眺め、やおら眉をひそめた。
「どうかしたか?」
 ニトロの問いにハラキリは首を傾げて、
「どうにも……どこかで見たような気がするんですが……」
「ハラキリも?」
「ニトロ君も?」
「だから母さんに送ったんだよ。何だろう? って」
「見せていただけますか?」
 と、横合いから入ってきたのは老人だった。画面に映っているものが植物であると察して興味を持ったらしい。ハラキリがニトロの了解を得て老人へモバイルを渡す。老人は写真を見るや、ハラキリと、さらにはそれを見つけた際のニトロと同じような顔をして、しばらくしげしげと写真を見つめた。老婆は老人の肩越しに写真を見るが、こちらは何の心当たりもないらしい。
 やがて、老人はため息をついた。
「これは、どちらで?」
 ニトロは背後に指を向け、
「そこを曲がって少しした所の、五階建てのアパートの下で」
「ああ、わたしはそちらを通らない。わたしは気がつきませんでした」
 老人はそう言いながらニトロへモバイルを返し、続けた。
「これは『ヴェザン』でしょう」

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