「ああ、なるほど」
 老人の言葉にハラキリが大きくうなずく一方、ニトロは呆気に取られていた。うめくようにして、なんとか問いを言葉にする。
「ヴェザン――ですか? 本当に?」
「おそらく間違いないでしょう。しかも驚くことに実をつけようとしているようだ」
「実を!?」
 驚きのあまり、ニトロは素っ頓狂な声を上げてしまった。ハラキリの目がニトロに合図をして、それを察したニトロはモバイルをテーブルに置く。老人の枯れた指が示したのは写真の隅、ぼやけてはいるが……確かに、花托かたくが肥大し始めている。しかし――
「でも栽培が許可されている『ヴェザン』は結実しないように……」
「そう、遺伝子操作されているはずです。ということは、誰かが実をつけられる苗を持ち込んだか、発芽可能な種を持ち込んだか」
「あるいは原種の一部を持ち込んでそこから培養したか。そうして育てたヴェザンの実から弾けた種がどうしたことかそこにやってきて、しかも花実までつけてしまった――というところですかね」
 言葉をいだハラキリに、老人がうなずく。
「栽培用に輸入された苗が突然実をつけた、という例は報告されていませんからな。その可能性が高いでしょう」
 バトフ星原産の『ヴェザン』は、猿孫人ヒューマンが食すると強烈な幻覚作用を引き起こす実をつける。見た目は少し刺々しい大振りの苺、というような形をしたその実は一粒で三日トリップできるとも言われ、『麻薬苺』という通称でアデムメデスでも知られている。ヒューマンの住む星では実の所有だけでなく、栽培はもちろん取引自体も軒並み厳しく禁止されているものだ。しかしその独特の魅力を持つ花には愛好家が多く、過去には密輸されたものが高額で取引されていた歴史もあり、そこで輸出品に乏しいバトフこくはヴェザンの遺伝子に手を加え、実をつけられないようにした上で売り出した。一般流通に載せて星間取引される植物は以前から星外来種の繁茂を防ぐために子孫を残せないように遺伝子操作をすることが常識であり、また非常に厳格な基準があり、そしてそれに合格した故に、バトフ星の悪名高い毒果は花壇で親しまれる花としてたちまち銀河中に広がったのである。アデムメデスでも、ヴェザンは『ドランツェ』という名で流通していた。
「そのような形状も、色も初めて見ました。実に素晴らしい」
 老人はため息をつく。ヴェザンといえば黄系が主流であり、一般的にヴェザンと聞いて思い浮かべるのも黄色である。それも、山吹色だ。その山吹色に斑に入った光沢が光を照り返す時、その色彩は慎ましやかにも黄金に見える。耐陰性があるため木陰や丈の高い植物の影に植えることができ、そこできらきらと閃く様は得も言われず美々しいのである。
 他の色では白やオレンジが知られているが、赤系は少なく、ピンク系となればさらに珍しい。またグラデーションがかっているのは幾種か知られているが、それも黄色と白、黄色とオレンジといったように二色ばかりで、写真のもののように三色というのは聞いたことがない。花の形もここまで丸くなるとは、老人だけでなく、もちろんニトロも、さらには“この手”のことにはやけに博識なハラキリすらも知らなかった。となれば、考えられるのは、グラデーションのかかった黄系にピンク系の花をつける株を掛け合わせることで、この種が偶然の中の偶然にも作り出されたということだろう。これまでにない新しい花の形をも併せ持って。それは本当に奇跡的なことだ。――が、
「しかし、悲しいことです」
 老人はしみじみと言う。
 ヴェザンは繁殖力が強い。熟しきった実は刺激を受けるとぱちんと弾けて、果肉に詰まった微細な種を周囲に撒き散らす。種は人の服や動物の毛に付着して運ばれた先で芽吹き、それがアスファルトの隙間であって逞しく育つ。目立つところに生えればまだ良いが、人知れずに咲かれては困ったことになる。種子は強く、長い乾燥に耐え、またさらわれた沼の泥から発芽した例もある。一度決定的に繁殖してしまえば、根絶のためには十数年あるいは数十年がかりの根気と努力が必要となるだろう。
「ニトロ君が見たのはこの一株だけですか?」
 空の黒点は、もう間近に迫っている。ハラキリは立ち上がっていた。
「うん、これだけ」
「ということは、可能性が高いのはそのアパートの住人が部屋で育てていることでしょうかねえ。それで例えば洗濯物を干す時に、服かタオルかに種がついていることに気づかずにいたとか」
「その種が下に落ちて?」
「そして芽が出て膨らんだ」
「それは可能性と言うよりは、希望ですね」
 老人が寂しそうに言う。子孫を残すことが許されぬ徒花あだばながすぐにも抹消されることが心苦しいのだろう。それとも、ひょっとしたら写真で見ても美しいこの花の姿をどうにかして残してやりたいという気持ちがあるのかもしれない。だが、バトフ星が権利を持つこの花をアデムメデスで勝手にどうにかする、ということはできない。警察も違法な外来植物を保護するなどということはすまい。
「同時に、その希望は恐ろしいことでもあります」
 老人の目には不安の影があった。長年連れ添った妻に視線を送る。それも無理はない。近場で犯罪が行われている可能性があるとなれば、老いた夫婦が恐れを感じることはむしろ自然なことだ。
 サイレンを鳴らさぬ五台の警察車両が、静かにカフェの上を通過していった。遅れてやってきた風が庭に咲く花々を揺らして、たおやかに揺れる花々の陰に山吹色の星々が奥床しく輝く。ニトロは何と言っていいか解らない。が、
「まあ、いつの世もいつになっても物騒なものですものねえ。どこにでも悪人がいて、どこにでも善人がいる」
 生意気な若者といった口調でハラキリが言う。すると老夫婦はテラスから部屋に足を踏み入れる少年に目をやり、一拍置いて、その物言いが急に面白くなったかのように皺の数を増やした。ハラキリはそれには一向気づかぬ様子で、
「しかし希望は何にせよ希望ですから」
 彼はコート掛けに引っ掛けてあるニトロのスポーツキャップを取りながら、
「それに、どうやらこの近くにコレは他には無いらしい。もし他にもあればご老人の目にはきっと触れる機会があったでしょう。ですが、そうではない。となればこの希望はまんざら分の悪いものではないと思います。もちろん遠くから運ばれてきたともなれば元凶を突き止めるのは絶望的でしょうし、そのアパートに希望通りに元凶があったところで数年は警戒が必要でしょうけどね」
 ハラキリはスポーツキャップをニトロに手渡す。このままこの場にいたのでは老夫婦に迷惑がかかりかねないことに気がついていたニトロは立ち上がってキャップを受け取り、足元に置いていたバッグを持ち上げる。すると、ハラキリが言葉は老人に向けながら、目はこちらに向けて意地悪そうに笑いかけてきた。
「それと、彼の『恋人』が彼の“手柄”をみすみす枯させはしないようにも思えます。おひいさんの執事もこの手には通じている。無論、希少性を知っていましょう。一応バトフ星は友好的な貿易相手でもありますからね、生き残る目もあることでしょう」
 ニトロは、ハラキリの言葉に歯噛みしていた。が、老人の頬が“希望”に染まる様子を見ては彼を妨げられない。この老人は花が本当に好きなのだ。希望に思いを馳せる夫を見る老婆も幸せそうで、この光景を壊すことは、自分には絶対にできない。それどころか、ニヤニヤとしたハラキリの目が促すことを断れない自分に対して呆れもする。
 ニトロは促されるまま、
「コレは、きっとこの庭に届くと思います」
 園芸友達の息子の言葉に、老人の瞳が輝いた。ハラキリはニヤニヤとしている。時々、本当にこの友人は、時ッ々本ッ当に意地が悪い。
「その時は、母とこのことについて楽しく話してください」
 ただ、ニトロはせめて老人の心の向く先を自分から別のところへ反らそうとした。それは効果があり、老人は楽しい未来を想像して嬉しそうにうなずいた。
 二人が手早く会計を済ませた頃、警察に続いて保健所や環境庁等、外星の植物を管轄する組織の車両が急行してきた。どこから沸いてきたのかマスメディアの車両も空に見え始めている。そこに手配良くジジ家の車――韋駄天が迎えにやってきた。韋駄天に乗り込んだ二人が見送りに玄関の外まで出てきた老夫婦に会釈をすると、速やかにアクセルが作動する。にこやかに手を振る老夫婦はすぐに後方に去り、角を曲がって二人が完全に見えなくなったところで、ニトロは運転席に座る親友へ鋭い目を送った。ハラキリは助手席から突き刺してくる視線に気がつく素振りすら見せず、
「つまり、ニトロ君のお母上がヴィタさんに報せたんですね」
「どうもそういうことらしいな」
 応え、ふと気になってニトロは携帯を取り出した。母からの着信もメールも無い。おそらく母はヴィタに確認した後、王女の執事から十全な対応を取る確約を得たところで安心してしまい、そこでこちらへの返事はうっかり忘れてしまったのだろう。
 何とも言えぬ顔で携帯をしまうニトロへハラキリは目をやり、
「ま、手柄といっても大した手柄ではありませんよ。いやまあ結果次第じゃ実際凄い手柄ではあるんですが、こういうことは地味ですからねえ、メディア受けも芳しくない。おおよそ“危機を防いだのは親子の絆が生んだ結果、という形の美談”とかそんな形にまとまるんじゃないですかね」
 ニトロはハラキリを一瞥し、前方の一時停止線を眺めながら嘆息する。韋駄天が滑らかに停止し、またタイヤが動き出し、
「それは、慰めてるつもりか?」
「そのつもりです」
「いいや、むしろ知らぬ間に出来てた切り傷をさらにぱっくり開こうとしてるよな?」
「しかしお姫さんがこの話題をどう扱うかを抜きにしても君が発見したことには違いありません」
「だとしても、同定したのは母さんだぞ?」
「だとしても、息子と母の連係プレーにもやはり違いなく」
「てことは結局、行き着くところは親子の絆?」
「さて?」
「ああ、チクショウ。いっそハラキリの予想が悪い方向に当たってくれたらただ見つけただけで全ッ然“手柄”じゃなくなるのに」
「その場合は広範囲で大騒ぎになるでしょうねえ、ちょっと面倒臭い」
「その大騒ぎを願う俺は悪い奴かな?」
「そう思うのならそう思う程度には善人なんじゃないですかね」
「善人なら善人に相応しい良い事があってもいいと思うんだけどなあ」
「その良い事が世間の大騒ぎってのはなかなかのアイロニーですねえ」
「何ノ話ヲシテルノカハ知ラネェガ、ドウヤラ善人ニ相応シイ『美談』ガ成立シソウダゾ」
 住宅街を抜けてスポーツジムへ向かう大通りに入りながら、車載スピーカーを人工音声が震わせる。
「え?」
 ニトロのかすれた声に反して、A.I.韋駄天は無情にも粛々と告げる。
「五階、夫婦ガ住ム部屋、ドウヤラソコガ発生源ダ。室内ニハ鉢植エガ沢山アルッテヨ」
「おや素早い。しかし、どうしてこんなに早く? 強制捜査も礼状取れるような状況じゃないでしょう」
「無線ノヤリ取リカラスルト、ドウモ降下中ニ警察ト容疑者ノ目ガバッチリ合ッタヨウダナ。ソシテソイツノ背後ニャ問題ノ花ガ満開ダ。即座ニ現行犯逮捕サ」
「そりゃまた不運なことで」
「ようし貴様ら、それ以上関わりたくない会話はその辺でやめてもらおうか」
「ああ、そうか、もしこれがキッカケになって大きな組織が芋づる式に摘発されたりしたら、それならメディア受けもいい“手柄”になりますかね」
「そんなの手柄どころか逆恨みを得るだけになるだろ」
「お姫さんならそれも含めて「ようし貴様、それ以上不安を煽ろうってんならぶん殴ってやる」
 愉快気なハラキリにニトロが険しく言うと、ハラキリはさらに愉快気に笑った。それから肩をすくめ、一つだけ問いかける。
「宝くじでも買いに行きます?」
 ニトロはふて腐れたように顔を背け、ニヒルに言った。
「俺にそんな希望があるわけないだろう?」

←凶03へ
メニューへ