7:25 ―小吉―
クラスメートへの
(……ミーシャは、これを作る時も塩を入れすぎたんじゃないかとうろたえていたな)
そして味見をして、実は塩を入れすぎたなんてことは全然なくて、自分で思っていたよりも美味しくできたらしくて顔を輝かせていたな……その頬の明るさとその瞳の輝きは、きっと恋人の顔に見ようとしているものへの期待に他ならなかったんだろう――
「ニヤニヤスルノモ程々ニシテオキナヨ?」
と、キッチンの片付けをしてくれている芍薬がにやにやしながら言った。
「デナイトソレガ『癖』ニナッテ、学校デミーシャ殿ニ脛ヲ蹴ラレチャウカラ」
ニトロは笑った。
「あれは痛いんだよなあ」
「中距離走者ノ脚力ダモンネ」
「そうそう」
彼女に初めて蹴られた時は驚いたものだった。それは自分が既に『ティディアの恋人』として名が広まってしまった後のことで、その頃は学校での立ち居地のみならず社会的な立場も変わってしまって、それがもたらした交友関係の激変に心がしょぼくれていた頃で……頼みのハラキリも『映画』の宣伝だとかで
あの時のクレイグの顔は忘れられない。
自分も鉄砲を食らった鳥のような顔をしていたのだと思う。
あまりに意表を突かれた彼と自分が顔を見合わせてしまった時、その顔の対照が面白かったらしく、彼女は大口を開けて笑った。それにつられて他の友人も笑い出し、最後にはクレイグも、自分も、大笑いしていた。
「……ミーシャが、あんな顔をするとは思わなかったよ」
作り終えたサンドイッチと簡単なおかずを詰め終えた弁当箱を手に、カメラ越しに礼を言ってくる彼女の表情はまさに恋する乙女だった。頬を期待に桃に染め、反面、細められた目には不安が揺らめいている。それは――人の脛を蹴って、その後にさばさばとした気持ちの良い笑い声を上げていた少女とは似ても似つかぬ顔だった。
「『先生』トシテハ、昼休ミガ楽シミダネ」
「そうだね……」
ニトロは、ミーシャがおかずにどうしても入れたいと言っていた『パチパ』という野菜をフォークですくった。これはオオナズナモドキというイネ科の植物の実で、その形は直径1cm程のハート型をしている。一番厚いところで5mm程度あり、食感としてはスナップエンドウに似ていて、味はトウモロコシに近い。様々な料理にアクセントとして使われるが、最も人気なのはシンプルにサラダにすることだ。栽培が容易で病気にも強いためアデムメデスでは一般的な野菜であり、また、その形状から夫婦・恋人・家庭円満の縁起物としても好まれている。
ニトロはフォークの上の青いハートを眺めながら、
「でも、ちょっと不安もあるかな」
言って、『パチパ』を口に入れる。パチッと弾けるような歯応え、口内に広がるほのかな甘さ、こればかりはティディアの弁当に入れたくない(実際、今まで一度も入れたことのない)美味しい野菜を噛みながらハムとチーズのサンドイッチに手を伸ばす。
「ミーシャ殿ガ予定ヲ変更シナイカドウカガ不安ナンダネ?」
キッチンの拭き掃除を終え、お茶の用意をしながら芍薬が言う。
ニトロは真面目な顔でうなずいた。
ミーシャは、いざ恋人と手作り弁当を一緒に食べようという段になって、ちゃんと怖気づかずに彼を誘えるだろうか。こういうことに不慣れで、そもそも告白を決心してからも一ヶ月近く躊躇し続けていた彼女だ。ここでまた急ブレーキをかけて、その上、毎昼校内売店でサンドイッチを買うのが定番のクレイグと一緒にパンを片手にレジに並ぶというオチまでつけかねない。――だが、
「その時は、さすがに尻を叩くよ」
サンドイッチを齧り、咀嚼しながらニトロは言った。
「ソレナラ
悪戯めかせて芍薬が言う。
「それとも拍車でもかけようか」
今では言葉にしか残らぬ物を、洒落めかせてニトロは口にし返す。
芍薬は口元に笑みを浮かべると、ニトロの制服のシャツにアイロンをかけ出した。その間にヤカンのお湯が沸騰する。芍薬はアンドロイドの体でアイロンをかけ続けながらも器用に
「ああ、そうだ」
ハムチーズサンドイッチを食べ終え、紅茶の入ったカップを差し出す芍薬にニトロは言った。
「時間に余裕があったら帰りに『トック』に寄りたいんだけど……」
すると、芍薬が切れ長の目をついと細めた。
「サッキ話シテイテ、食ベタクナッタ?」
ニトロは少し照れ臭そうに笑い、
「ちょうど新作が出たはずだしね」
「『リララマ・バーガー』」
「そう、それ」
ニトロは紅茶を一口含み、頬を緩めた。その様子に芍薬は幸福そうに唇を緩め、
「ソレジャア服ト変装セットヲ用意シテオコウカ」
「うん、そうしてくれる?」
「承諾」
ニトロは熱い紅茶を静かに一すすりし、それからミーシャが最も苦戦した鶏肉のバターソテーをフォークで突き刺した。
「……いくら家庭料理って言っても、オーソドックスばかりだし、やっぱりその道のプロを差し置いて俺なんかが料理を紹介するのもなぁって思ってたけれど……
こうしてみると、嬉しいもんだね」
感慨深げな主の言葉……それはほとんど独り言であったが、芍薬は着替え用の服を見繕いながら、ポニーテールをふわりと揺らした。
「御意」