5:30 ―中吉―


 朝の身支度を終えたニトロはエプロンを着け、キッチンに立っていた。
 彼の前にはパンや、卵、ジャム、ハムとチーズ、それからレタスやジャガイモ、タマネギ、鶏のモモ肉といった食材が調味料共々さながら料理番組のように並べられている。
 ――いや、実際、彼はこれから料理番組を行うのだ。
 視聴者は、一人。
 そしてその視聴者も、これらと同じ食材を使って弁当ランチボックスを作るのである。
「こんなに早く、ありがとね」
 カウンターキッチンから良く見えるよう角度の調節された壁掛けのテレビモニターに映る少女が照れ臭そうに言う。彼女は明るい茶色のボブカットを三角巾バンダナでまとめ、真新しいピンクのエプロンを着けていた。エプロンの下に覗くのは、半袖の白シャツと、落ち着いたグレーの地にダークブルーを基軸としたチェックのスカート――ニトロの通う高校の、女子の制服である。
「構わないよ。そっちはやけに眠そうだけど、大丈夫?」
「授業で寝るから、問題ない」
 ニトロは笑い、傍らに立つ芍薬に目をやった。芍薬は主の携帯モバイルを持ち、そのカメラ機能を使って並べられた食材を映している。同時に、キッチンに立つ自分の姿も、天井にある部屋付きのA.I.のためのカメラを通して先方に送られている。
「どうかな、よく見えてる?」
 社交辞令として確認すると、クラスメートはうなずいた。
「オッケー。こっちはどう?」
「ばっちりだよ」
 あちらは多目的掃除機マルチクリーナーが携帯を持っていた。オリジナルA.I.は持っていないと言っていたから、全景のカメラと併せて汎用A.I.が動かしているのだろう。普段使いではない作業に少し動きが惑う時もあるが、十分許容範囲だ。ニトロは改めてハンドソープをつけて手をよく洗い、そして言った。
「それじゃあ、ミーシャ、始めようか」
「うん、よろしく」
 ニトロが手を洗うのを慌てて真似するように、あちらも手をハンドソープで洗い出す。手を洗うことなど何でもないはずなのに、その様子はどこかぎこちない。これから行うことへの緊張感が現れていた。
「まずは卵を茹でよう。鍋に卵を入れて、水を入れて」
「このくらい?」
「そう。それを火にかけて」
「これを火にかけて……火?」
「ああ」
 ニトロは驚くと同時に得心した。
 そうか、これは全く料理をしない人には専門用語にも聞こえるのか。
 もちろん通常なら彼女もすんなり理解を及ぼすだろうが、初めての料理で卵を触るのにもガチガチな状態では――加えて、教え手の言う通りにしようと集中している状態では、おかしな混乱を招くのも無理はないだろう。
「単なる決まり文句だよ。クッキングヒーターに置いて、スイッチを入れる」
「置いて、スイッチを入れる」
 一つ一つの挙動がおっかなびっくりな友人を見て、ニトロは元より一番作業数の少なく簡単なレシピを教えようとしていたものの、より一層解りやすく、しかも余計な豆知識など挟まずに教えていこうと心に決めた。無事に鍋を“火”にかけることができて嬉しそうにしている彼女へ、彼は言う。
「それじゃあ、次はね」
「うん」
「一度、深呼吸をしよう」
 昨日の放課後のことだった。クラスメートの、そして今ではニトロにとって数少ない気の置けない友人の一人であるミサミニアナ・ジェードが、『お弁当作りを教えて欲しい』と頼んできたのは。
 彼女はこれまで一度も料理をしたことがない。彼女の家族にも料理が得意な者はなく、もっぱら――そちらの方が一般的なのだが――レトルトやデリバリーを使い、たまに作るにしてもスーパーやフードショップの仕込み済みの食材セットを利用する……ニトロはそれを知っていたから、正直驚いた。しかも、この間まで陸上部のリーダーを務め、普段は男勝り、悪くすればツンケンしていると印象取られる彼女からそんなことを頼まれたのだからなおさらだった。あんまり驚いたから、ちょっと機嫌を損ねて怒られてしまった。
 それでも彼女はニトロへの頼みごとを撤回する気はないらしく、それではと理由を聞いてみたら、何のことはない、晴れて恋人となったクレイグに手作り料理を食べさせたいというのである。
 現在、折からの手料理ブームが、その勢いも衰えることなく盛り上がり続けている。
 それを、ニトロはこれまで他人事のように眺めていた。
 だから、よもやミーシャから『クレイグに手料理を食べさせたいから』なんていじらしく頼まれることになるとは、本当に思いもしていなかった。
 彼女も彼女で仲の良い男友達に、しかも『ブームの発生源』に“流行に乗って恋人らしいことをしたい”と告げることには相当勇気が要ったらしい。快諾した後の喜びようは相当なもので、しかし本人は鶏の胸肉とモモ肉の違いも解らない。そこで買い出しにも付き合おうかと提案したところ、彼女はそこまでしてもらっては悪いと辞退し、かと思えば、たまたま通りかかったハラキリを――あのハラキリ・ジジを、有無を言わせぬ勢いでアドバイザーとして連れて行ってしまった。
「何笑ってんの?」
 ふいにそう言われ、ニトロは我に返った。モニターに目を戻すと、先ほどまで仇敵を睨むような目でジャガイモの皮を剥いていたミーシャが、今度はこちらに険のある目を向けている。どうやらたどたどしさを笑われていると思わせてしまったらしい。
「いや、昨日のハラキリの顔を思い出してたんだ」
 そう言うと、ミーシャはすんなりと合点した。
「最後まで嫌ッそうな顔をしてやがった」
 皮を剥き終えたジャガイモを年季の入ったオールマイティスライサーに入れながら彼女は言う。その調理家電には皮剥き機能もあるのだが、それくらいは自分でやりたいと彼女は己の手をかけたのだ。
 年季の入っているとはいえ使用頻度が低いからだろう、真新しく見える器具の蓋を閉めたところで、彼女はふと宙を見つめ、
「でも、助かった」
 そう言って、スイッチを入れる。たちまちジャガイモが均等にカットされた。そこでニトロが――こちらは皮剥きから全て包丁で――同じくらいの大きさに切り揃えていたジャガイモをプラスチック製の蓋付きの器に移すと、ミーシャも彼に倣い、それを電子レンジに入れた。
「メニューの『ポテトサラダ』・『ジャガイモ』――判らなかったらA.I.にコマンドさせればいいよ」
「えっと……オッケー、判った、で、スタートだね?」
「そう、スタート」
 双方のキッチンでレンジが動き出す。あとは家電に任せておけばいい。食材の重さも自動的に計測し、適切に“火を通して”くれる。
 次にニンジンに取りかかるが、ジャガイモで幾分慣れたらしいミーシャはピーラーで皮を剥きながら、
「ずっとめんどくさそうだったけど、あいつは変に親切なところがあるよな」
「ああ、ハラキリ?」
 話題が戻ったことに気づき、ニトロは相槌を打つ。
「食べ物って高ければ美味しいだろ? だから、初め高い店に行っていいのを買おうとしたんだよ……まずいの作っちゃったらヤだし」
「うん」
「そしたら、値段に頼ってたら小遣いいくらあっても足りませんよって。値段を食わせたいわけでもないでしょう?」
 後半は完全にハラキリの口真似だった。ニトロは笑い、
「それで?」
「何事も適正が一番だって、こっちの財布も考えて、その中で一番いいのを選んでくれた」
「そう」
 ニトロは、笑みを消すことができなかった。ハラキリは、いい奴だ。自分は親友のことをそう思っている。だから、こうして彼が他の友人にも良く思ってもらえるのは、本当に嬉しい。
「主様」
 と、芍薬がニトロに声をかけた。前もってタイムキーパーを頼んでいたのだ。彼はうなずき、
「ミーシャ、先にゆで卵の火を止めよう。スイッチを切って、お湯を捨てて、殻が剥きやすくなるように冷水につけるから――」
 ニトロの指示を追いかけるようにミーシャは慌ててスイッチを切る。あちちと言いながらお湯を捨て、
「うわ!」
 卵が一つ、シンクに落ちた。それを慌てて拾おうとした彼女の顔が瞬時に強張り、
「あつッ!」
「慌てないで」
 悲鳴を上げたクラスメートへ、穏やかに、しかし少し語気強くニトロは言った。彼女の片手に持った鍋は傾いていて、下手をすればなおもシンクの卵を拾おうとしている腕に熱湯を注いでしまいそうになっている。
 と、その時、あちらのマルチクリーナーの持つカメラ経由のクローズアップ映像が激しく乱れた。全景で見るとマルチクリーナーのアームが卵の入った鍋を支えに動いている。やっと『撮影』という命令コマンドを危険信号が上回り、汎用A.I.のサポートプログラムが働いたらしい。
「火傷してない?」
「――うん、何とか」
 流水で少し指を冷やして、そしてミーシャは誤魔化すような照れ笑いを浮かべた。
「失敗するにしちゃ遅すぎたな」
 そのセリフに、ニトロも笑った。
「どれだけ失敗すると思ってたんだよ」
「いきなり卵を割るんじゃないかってびくびくしてた」
「そこから?」
「でもね、実はもう一個割っちゃってたんだ。……冷蔵庫に入れる時に」
 ニトロは映像の隅に見切れている冷蔵庫を見た。その拍子に封の開いたクッキーミックスが目に入る。それは粉と卵を混ぜるだけ、というタイプだった。もしかしたら、ミーシャは昨夜の内にクッキーも恋人のために作っていたのかもしれない。
 興味はあったが、ニトロはそこに探りを入れることはせず、
「俺はワンパック全部やっちゃったことがあるよ」
 あまりのんびりしていては登校時間に余裕がなくなる。ニトロはミーシャに鍋をシンクに置いて、そこに冷水を入れるように言い、
(初めからそうするように言っておけばよかったな)
 思えばつい手早くやらせそうになってしまったと内心で反省しつつ、卵はそのまま冷やしておくようにして、そうこうしている内にジャガイモが仕上がったので、次にニンジンも同じようにカットしてからレンジに入れる。
「そういえば、ニトロはもう進路は決めたのか?」
 キュウリをスライサーで薄切りにしながらミーシャが言う。

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