5:01 ―大凶― (ティディア:スタート)


「それでは、行ってまいります」
 ネコ科由来の獣人ビースターへと変じたヴィタが頭を垂れ、ドアを閉める音もなく退出する。
「よろしく」
 ドアが閉まる直前、そう声をかけたティディアはブラウスのボタンを留めながら茶器の置かれた小テーブルの前に腰かけ、カップを手に取り、女執事の淹れていった紅茶を口にしながら、ちょうどティーポットの上に表示されている宙映画面エア・モニターに目を合わせた。
 画面には先ほどまでサインをしていた書類のフォルダがある。それは『王家』の運営――王城の管理をする部署や、直轄の事業を動かす組織等――に関わる書類だった。そのほとんどは今月末の『誕生日会』に最重要人物が二名追加されたために変更しなければならない諸々の事案への手続きであり、例えば当日の警備体制の強化などがそれであった。とはいえ、現場の者達が優秀に働いてくれているため今のところ大きな混乱はない。書類に関しても『あとは王女様がサインするだけ』といったものばかりだ。
 お陰で仕事も捗り、残す未処理の書類は一つだけ。
「さて」
 それは誕生日会当日の警備に王軍近衛騎兵隊(もっぱら式典専用である)を参加させるための書類であり、そしてその騎兵隊の一部に王家所有の馬を提供する趣旨のものであった。内容を確認したティディアが小テーブルの表面にタッチペンを走らせる。すると、画面中の書名欄にまさしく王女の筆跡が刻まれた。
 必要なだけのサインをし終えたティディアはペンを置くと、小テーブルの天板に表示したキーボードを軽やかに打った。騎兵隊に関する書類から王厩の調教師に当てる一揃えだけは携帯モバイルへ移し、他のサイン済みの書類は全て任意の場所に送信する。それに応じて役目を終えたフォルダが消え、と、すぐにまた新たなフォルダが表示された。
 新たに画面に表示されたフォルダは、全世界から届く王家及び王女宛のメール――アデムメデス星内に限らず時に銀河の果てからも毎日毎時送られてくる膨大なデータをA.I.達が捌き、選別し、さらに王家執務室の担当者が50人がかりで厳選した末のメッセージを納めたものであった。彼女が担当するその数は、週に1000通。これは彼女自身が進んで設定した数字であり、歴代でも飛び抜けた数字である。
(さあ、今回は――)
 ちょっとした思いつきで使いに出したヴィタが帰ってくるまでに、できるところまでやってしまおう、そして、朝の内に半分を処理してしまおうと、彼女は意識を集中させた。
(――面白いの、あるかしら)
 紅茶を一すすり、ティディアはフォルダ内のデータをスライドショーで展開させる。
 ぱっと、最初の文面が表れた。
 と、表れたその文面は一秒間そのまま停止し、そして半秒後には次のメッセージへと移り変わり、移り変わったかと思うとまた一秒半後には新しいメールへ移動する。
 大抵はノンスクロールで一通の文面全体が表示されるが、そうでない場合はやはり一秒単位で次項へとスクロールするようになっていた。稀に現れる外星語や銀河共通語に対しては、思考をそれぞれの言語に切り替える余白を取るために表示時間を二秒と設定してある。ティディアにとって銀河共通語はもちろんセスカニアンやラミラス、アドルル、クロノウォレスといった接触頻度の高い国々や全星系連星ユニオリスタにおいて主要な国の言語は読解可能だが、その他の習得していない言語の場合は事前に翻訳してあり、その旨が本文の前に付記されていた。
 そうやって活字で200通、それらに目を通し終えると、次に表れたのは手書きの文面だった。これまではメーラーにキーボード、ないしは音声で入力されたテキストを相手にしていたが、ここからはコンピューター上で手書きしたメールの他、メモ用紙すら電子文書に取って代わられたこの時世にあっても特別な時には未だに用いられている紙製の手紙――逆に言えばそのような時くらいにしか使われないからこそ高級で特別なものとなった『手紙』が相手である。
 といっても、わざわざ高級な便箋や封筒を用意した者達には残念なことではあるが、ここには全てスキャニング後のデータしか存在しない。後に『選出』されれば直接王女の手にも届くが、そうでなければそのまま倉庫にしまわれることだろう。
 手書きのメールは、先よりも余裕を持って三秒間隔で流されていった。全てが同じフォントで表示できるテキストファイルと違って、こちらにはそれぞれに手の癖がある。アデムメデス書道のハイマスター級の達筆もあれば、文体は美しいのに恐ろしく悪筆なもの、まさに文字を習い立ての子どもの手跡も存在する。三秒ごとに文字通り一変する字面を、しかしティディアは惑わず、時には口元に微笑を刻み、それぞれに個性豊かな200通を優雅に紅茶をすすりながら淡々と走破していった。
 一区切りがついたところで、彼女は一度伸びをした。
 と、その時、居室のドアがノックされた。ヴィタの叩き方だった。
「あら」
 指の動きで部屋付きのオリジナルA.I. ピコに合図し、執事を招き入れる。ロックの外れたドアを静かに開けて入ってきた彼女の姿は、ネコ科の獣人から藍銀あいがね色の髪の麗人へと戻っていた。その両手には大きな袋が提げられている。
「随分早かったわね。食べてこなかったの?」
「折角ですから、ご一緒したいと思いまして」
「そう? 折角出来立てなのに、もう少し待たせるわよ?」
「お待ちします」
 ヴィタは傍に歩み寄ってくると、アデムメデス三大ファストフードチェーンの一つ『トクテクト・バーガー』の袋をティディアの邪魔にならないよう小テーブルに乗せた。
「新しいお茶をご用意しましょうか」
「お願いするわ」
 主人のうなずきに女執事は一礼し、部屋の隅に置いてあったワゴンへと歩いていった。
 そこでティディアはエア・モニターへ目を戻し、最後のカテゴリにあるメールデータを走らせた。
 最後のカテゴリ、それは『選考漏れ』したメールであった。
 王家のA.I.や担当者達のことは信頼しているが、それでも主人と感性を同じくしているわけではない。彼ら彼女らにとっては心の琴線に掛からずとも、ティディアにとっては『ぴんとくる』ものが廃棄の中に埋もれていることが極稀にあるのだ。そのため彼女は、軽く万を超える廃棄の中から50通……幸運に恵まれたたったそれだけを、手心なしのランダムセレクトで表示させるのである。
 それらのメールは、なるほど選考漏れしただけあって内容の薄い、下衆で、下品で、くだらなくて、場合によっては陰謀論や悪い電波に彩られ、最悪に至れば単なる誹謗中傷に過ぎないものも数多い。しかしそれらに時間を食われてもなお、ティディアは一万エーカーの砂利置き場の中からあるかないかの素晴らしい光を放つ宝石を探し出したいのだった。
 さあ、さあ、今回は、どうだろう。望むべく輝きはあるだろうか!?
「……」
 全てのメールに目を通し終えたティディアは、爽やかに微笑んだ。
「――ふふ」
 残っていた紅茶を飲み干し、音を立ててカップをソーサーに置く。ワゴンを押して戻ってきていたヴィタの視線に応えて、彼女はおどけるように肩をすくめた。
「今週も大ハズレ」
 ティディアは相変わらず微笑を浮かべたままであったが、その口角には影があった。
『選考漏れ』の一通に、『彼』などやめて俺と――というものがあったのだ。それに対しては怒りというよりも呆れを感じるばかりだが……いや、やはり腹が立つ。わざわざ自らランダム表示させておきながらこう言うのも何だが、それでもやっぱり憤怒が渦巻く。その『手紙』には知性もユーモアもなかった。筆致も悪く、ラブレターというには詩情に欠け、しかも決まり文句も使いこなせていない。それなのに、悪口雑言を並べた挙句にニトロ・ポルカトなど俺の足元にも及ばぬ男だと? ならば、さあ証明して見せろ――と、ネチネチ地獄を見せてやりたい気もするし、卑しくも『クレイジー・プリンセス』としてはそうしてやるべきだと思いもするが、とはいえそれもきっと面白くない結果をもたらすだけだろう。結局、どうしたって『彼』以上に楽しめる人はなく、私を満たしてくれる男もないのだから。
「……」
 ティディアは、また一つ息をついた。
 そして、その一呼吸だけで、胸中に吹き込まれた悪感情を、悪文の最後に目に飛び込んできたその悪しき名前を、つい今しがた脳裏にかすめた悪巧みをも含めて吐き捨てた。つまらない人間にかかずらっている時間は、何よりも無駄だ。もう既に数十秒も無駄にされたことを思えば新たに憤怒も募る。だが、一度そうやって切り捨ててしまえば、彼女の心がその一通のもたらした影に煩わされることは、もはやコンマ一秒たりとてあり得なかった。
 口角に浮かんでいた影も消え、それを見たヴィタが言う。
「今日は良い天気になりそうです。外で食事などしたら、気持ちが良いでしょう」
「ピクニック?」
 ティディアは、笑んだ。
 瞼の裏に昨晩見た映像が蘇る。それはルッドラン地方のローカルニュースだった。そこでは白い長袖のシャツにオーバーオールを着て、つばの広い麦わら帽子を被った少女が地元の幼児達を引率している光景が好意的に伝えられていた。
「そうね。きっと気持ちがいいわ」
 そう言いながら、ティディアはエア・モニターの可触領域に指を躍らせた。特に気になったメールを再び呼び出すためである。4番、59番、71番、123番、166番……と指定していくと、今回は合計9通あった。これらは改めて精読し、直々に返事をする。物によってはこちらも『手紙』で返信するし、場合によっては記載された希望を叶えることもあるだろう。もちろんランダムの50通はこのまま再び廃棄するだけだが、それ以外のものは執務室に戻し、そこで名代の判断によって何十通かは執務室から返信されることになる。その作業をキリのいいところまでし終えたタイミングで、ヴィタが言った。
「青い芝の上でニトロ様のタマゴサンドを食べたいものです」
 ティディアは苦笑した。
「やあねぇ、今そんなことを言わないでよ」
「ハムチーズサンドもよろしいですね」
「んー、まー、オーソドックスは確かに正義よね」
「はい。ただ、定番からはかけ離れてしまいますが、わたくしとしては、コルサリラペッパーのサンドイッチも一度食べてみたいところです」
「やー、あれはね、流石に地獄よ?」
 軽く頬を引きつらせて言うティディアを……しかし口ではそう言いながらも、もし再び彼から地獄を差し出されてもきっとまた、いや何度だって食べ切ってみせるだろう女性を眺め、ヴィタは小さく微笑み、それから茶器を扱い出した。
 主人と自分のカップを淹れたての紅茶で満たした彼女は次いでワゴンから大皿を二つ取り出すと、それらを主人と、主人の対面の席に置く。それから『トクテクト・バーガー』の袋からオレンジ色のペーパーホルダーに盛られたフライドポテトを取り出し、それぞれの皿へと移す。次に取り出されたのはプラスチックカップに押し込められたサラダだ。プラスチックのフォークとドレッシングを充填した小さな容器がその脇に添えられ、最後にそれ専用の箱に入れられた新製品が並べられる。ヴィタの前にはそれが2セットあり、さらにレギュラー商品であるトクテクト・バーガー・ザ・ビッグとモモ肉をパリッと揚げたフライドチキンが二本追加されていた。
「本日0:00より発売の、トクテクト・リララマ・バーガーのサラダセット、ドリンク抜きでございます」
 まるで最高級店のギャルソンのような素振りでヴィタが言う。
 ティディアは目を細め、小さなうなずきを見せて執事に席を促した。一礼して対面に座る執事のどこかネコを思わせる柔らかさに目を楽しませながら、ティディアはファストフードの箱を開け、少し大ぶりのハンバーガーを片手でしっかりと掴んだ。
 これは、南大陸の一地方、リララマの郷土料理を元にした期間限定品。
 話のネタにでもなればとふと思いついて朝食にした、ライバル会社に水をあけられかけているトクテクト・バーガーの自信作。
 ティディアは大口開けてかぶりついた。バンズと具を齧り取り、もりもりと咀嚼し、飲み込み、
「……」
 そして、派手に宣伝されていたジャンクフードに残った己の歯の跡をじっと見つめる。
「……」
 やおら彼女は対面に座る大食淑女に目を移し、
「どう?」
 既にリララマ・バーガーの三分の二を食べ終えていたヴィタは、涼やかな目元を細めた。
「ティディア様と同意見です」
 そうしてヴィタはポテトを一齧り、それからさっさと新作バーガーを二つとも食べ終えてしまった。次にサラダに取り掛かるが、彼女はドレッシングをかけていない。しかし、それでちょうどいいかもしれない。
「そうねー……」
 ティディアは手のハンバーガーをまた一口頬張り、手にこぼれた辛味の勝ちすぎているソースを舐めとり、眉を垂れた。
「こっちも大ハズレだわ」

→おみくじ2014-3へ
←おみくじ2014-1へ
メニューへ