「すいません」
 ニトロはおかみを呼んだ。こちらもすぐに応答し、ビールをなみなみと注いだジョッキを二つ隣のテーブルに置くと端末を手にやってくる。
「レスキズパをお願いします。それと――」
 メニューに目を落とし、
「このおすすめのチーズプリンを食後に」
「いやあ、ポルカトさん、あんた分かってるね!」
 ふいにカウンターから声が飛んできた。
「ルッドランに来だらレスキズパを食わねぐっちゃなんねいよ!」
「グラドっさん飲みすぎよ!」
 おかみが笑いながら言い、ニトロへ振り返る。
「でも、その通り。うちの自慢です。そうだ、パンはどうなさいますか? 柔らかいものもありますが」
「もちろん『くそ石パン』を」
「えらい!」
 またカウンターから声が飛んでくる。
「グラドっさん!」
 おかみが叱責すると、そのやり取りに客達が大笑いした。
「――かしこまりました」
 ニトロに向き直り、笑顔でおかみは訊ねる。
「煮込みますか? 浸しますか?」
「煮込んでください」
「はい。それでは少々お待ちくださいね。お飲み物は?」
「食後にプリンと一緒にルッドランティーを。あとは水をお願いします」
「あら、お酒は召し上がりませんの?」
 そう問われてニトロは苦笑した。
「残念ながら、未成年ですから」
「おかみ、失敗したな!」
 グラドっさんが耳聡く茶々を入れてくる。それにも客達は笑い声を上げる。
「すみません、今はもう“満席”なんですよ」
 二人組が――その視線からして『ニトロ・ポルカト』目的らしい――入ってきたところを店主が応対していた。既存の客達はこちらに注目はしているが、先ほどの店主の態度がうまくブレーキにもなったようでずけずけと話しかけてはこない。おかみはニトロのために水を持ってきて、すぐに厨房から厚切りベーコンをかりかりに焼いたところへ熱で溶かしたチーズをとろっとかけた一皿をグラドっさんの隣に座る中年女性に運んでいく。
「……」
 明るい店内の片隅でニトロは水を飲み、いい気分だった。
 最初は驚いたが、今はもう落ち着いた。
 しばらくして、芍薬もやってきた。異星いこくの衣装に身を包み、今や象徴ともなっているポニーテールを揺らして切れ長の目に凛とした立ち居振る舞いの女性型アンドロイドが入ってきた時、店内には思わぬほどの歓声が上がった。
「――ドウシタンダイ?」
 ニトロの対面に座った芍薬が、流石に驚きを隠せず問うてくる。ニトロがかいつまんで説明し、芍薬が得心のうなずきを見せたところで、注文の料理が届けられた。
 厚く、底も深い皿の中で赤茶けたスープがなみなみと湯気を立てていた。スープのベースになっているものは、もはや形をなくしたタマネギとワイルドトマトだ。野生種に近いトマトの赤に他の具材の色が溶け込んで、それが味の奥行きの深さ、複雑さを目に伝えてくる。煮込まれたことでとろりとしたスープからはごろっとしたマトン肉が、また見るからにぷるんとした羊の内臓モツが、今にもほろりと崩れそうなニンジンやジャガイモの間にその肌を見せている。スプーンの腹で容易に潰せるほど柔らかなカンガラ豆はまるでクリーム色をした玉石にも見え、それが作る敷石の上で肉とモツから出た旨味たっぷりの脂が絶えずきらきらと艶めき、輝き、立ち昇る湯気には様々な香りが混じり合う。中でもルッドラン原産のウィッチマリーというハーブ独特のスパイシーな香気が一際華やかに食欲を刺激してくる。
 そして、肉と野菜から出たダシとコクと旨味を存分に吸い取りながら波間に浮かんでいるのが、通称『くそ石パン』……冷蔵庫もない時代から作られているパンだった。それは保存優先のために皮が石のように固くてそのまま食べるにはとても向かない。味自体も非常に酸っぱく、生地はぱさつき粗い舌触りだ。正直、くそ不味いパンである。だが、どういうわけか、これをこの煮込み料理でふやかして食べると驚くほど旨いのだ。直前に浸して食べるのもいい。しばらく一緒に煮込むことで石のように固い皮が焼き麩のような食感に変わったところを食べるのもいい。
 ニトロは、ミリュウの成人祝いのパーティー会場でこれを食べ、以来、いたく気に入っていた。
「いただきます」
 目を輝かせてニトロが言うと、店主とおかみが郷土を誇るように「おあがりなさいませ」と笑顔を返した。
 食事は楽しかった。
 レスキズパは前に食べたものとはまたちょっと違いながら、しかしとても美味しく、家庭によって違うと聞いたその味わいを深く堪能できるものだった。
 芍薬が来たことで、客達もそれをきっかけに頻繁に話しかけてきたが、それをすべてニトロが相手をすることもない。芍薬が同席していると、質問や話題の向きが『ニトロ・ポルカト』だけではなく『戦乙女』にも分散するからだ。もちろん芍薬にとってはマスターと食事の席で談笑することも楽しみだが、本人の意思としてはむしろこのためにこそ同席していると言っても過言ではなかった。話が『恋人』のことに及ぶのは厄介だが、それも芍薬は強く否定することはなく、ただやんわりと否定的な言い回しを続けて場の空気を壊さない。本来なら頑固に否定したいところではあるのだが、その否定はあのバカ姫のせいでどうあっても『照れ隠し』に受け止められる段階に至ってしまっているし、その段階に至っては強くしつこい否定はかえって惚気のろけにも受け取られ、それどころか――謙虚も過ぎれば嫌味となるように――最悪傲岸な自慢にも取られてしまう。それはマスターにとって不利益以外の何ものでもない。
 希代の王女と『ニトロ・ポルカト』のロマンティックな出会いを口にしてきた隣席の女性へ芍薬は微笑みを返し、
「“ロマンティック”ナルモノハ、イツモソレガ“夢”ダカラト存ジテイマス」
 耳まで真っ赤にして酒に酔い、ロマンティックな恋物語に酔う女性は意味を解さなかったようだが、彼女の上司か何かだろうか、同席している年かさの男は何か引っかかるものを感じたらしく興味深げな眼を芍薬に寄せた。が、その引っかかりが何かまではほろ酔いの頭では察しきれなかったらしく、女性が芍薬に質問する王城や高級ホテルの様子に興味を移して耳を立てる。
 芍薬は、流石はA.I.の記憶力、まさしく見たものを寸分違わず語った。その語り口も見事なもので、ただの説明には陥らず、言葉で絵を描くような語りっぷりは同じ光景を見てきたはずのニトロでも惹き込まれてしまうほどだった。
 そして、そうしている内に、次第に会話の中心は芍薬となっていく。
 話題も主にマスターと共に出向いた先の風光明媚を語ることになる。
 あるいは絢爛な貴族のパーティーを、素朴で温かな地元の人達との触れ合いを、今一度この場に蘇らせてみせるのだ。
 今日の主題となったのは、自然のごとく、ルッドラン地方に出向いた時のこと、山道を歩きながら見た風景のこと、そこで見た人々のことだった。
 質問に合わせて『戦乙女』は語る。
 ミリュウ姫のためのパーティーのことにも少し触れ、最後には列車に乗って山脈を去ったところまでを、レスキズパをおかわりしたニトロの食事のペースに合わせて語っていく。
 マスターへの忠節と愛情に満ちた言葉遣いは聴衆に感動を与え、そして聴衆に感動を与えている芍薬を眺めることはニトロにとってはこの上ない誇りでもあり、また幸福でもあった。それが美味い食事を伴っていれば、なおさらであろう。
 セイン・ルッド・ヒューラン――セイラ・ルッド・ヒューランの兄の紹介で取り寄せたというチーズプリン(これがビックリするくらい美味しかった!)と、ルッドランティーで晩餐を終えたニトロは、腹も、胸も、大満足だった。
「是非、またいらしてください」
 我を押し通して支払いを終えたニトロへ、店主が言った。
「いつでも歓迎いたします。もちろん芍薬様も。またルッドランのことを語っていただきたいものです」
「グラドっさんね、こっそり泣いてたんですよ?」
 おかみが、カウンターでこくりこくりと船を漕いでいる男性を肩越しに示して言う。
「思い出しちゃったんでしょうね、故郷のことを色々と」
「本当によいお話を聞けました。わたしも帰りたくなっちゃったもので……いえ、まだまだ王都で頑張らせていただくつもりなのですが!」
 ニトロは芍薬と一瞬目を合わせ、そして微笑み、
「ご馳走様でした。とても美味しかったです。いずれ機会があれば、もちろんまた立ち寄らせていただきます」
 感激の目で手を差し出してきた店主と握手を交わし、ニトロは『銀の背の羊亭』から外へ出た。
「うわ」
 店の前には人だかりができていた。思わずうめいたニトロの前に芍薬が立ち、そこかしこでシャッター音が鳴る中、丁寧な物腰で、しかし力強く断固として道を作っていく。
 どうにか地下駐車場に辿り着き、車に乗り込んだところでニトロは一つ大きく息を吐いた。
「まさかあんなに“出待ち”がいるとは思ってなかったよ」
 時間は21:43――店には一時間半ほど滞在していた。
 車を出しながら、運転席の芍薬は言った。
「キット暇人バカリナンダヨ」
 ニトロは笑い、それから助手席のシートに深く腰を沈めた。
 地下駐車場を出ると、少し先に交番の明かりが見えた。
「あ、あそこにあったんだ」
 地下からの出口は入り口とは別のところにある。位置関係を思い描き、本当に“すぐ先”にあったのだとニトロは悟った。
「聞き忘れたけど、どうだった?」
「万事問題ナク。所有権放棄デ手続キシテオイタヨ」
 それなら謝礼やら何やらと煩わされることもない。ニトロはうなずいた。
「ありがとう」
「御意」
 芍薬はすぐには空へと飛行車を浮かび上がらせず、交番の前を通った。
 その明かりをぼんやりと見つめていたニトロは、つぶやくように言った。
「何かあったのかな?」
 交番には人がいた。警察官は元より、他に四人。
 ちょうど赤信号となり、交差点の角にある交番の前で車が止まる。
 そこでよく見てみると、警察官は何やら興味深げな顔をしていた。
 他の四人の内訳は男が二人と女が二人。それぞれ男女で組を作っているらしい。片方は初老の夫婦であるようだ。もう一方は、兄妹、だろうか。ポニーテールを朱に輝くリボンで飾る若い女性が、揃って頭を下げる初老の夫婦へ、困惑しているような、驚いているような、それとも感動しているような……そんな複雑な表情を向けて、何やら互いに熱心に話し合っている。
 信号が青となり、車が動き出す。
 交番の中で繰り広げられている人間模様が後ろへ去っていく。
 通りにはまだ人が多くあり、皆それぞれに、思い思いに歩を進めている。
 ニトロは目を車内に戻したところで肩の力を抜くように息をつき、
「さて、家に着くまでお勉強をしようか。
 芍薬、銀河共通語のヒアリングに付き合ってくれる?」
「御意。ソレジャア――エァ・ウ・シィア? ワミ・マストレア」
「ミャ.ワ・オ・シィア」
 早速言語を切り換えて話しかけてきた芍薬へ、ニトロも同じ言語で答えを返す。
 そこで、ふと、二人は同時に言葉を止め、何とはなしに同時に互いを見やりあい、
「……」
「……」
「「プッ」」
 そして同時に、何故だか笑い出してしまった。
 笑いながら芍薬は今日の出来事について銀河共通語でゆっくりと話し出す。
 ニトロも笑いながら芍薬の言葉を聞き取っていく。
 二人を乗せた飛行車は、王都の夜空へとゆるやかに浮かんでいった。

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