20:00 ―後吉―


 楽しみにしていた食べ物が全くの期待外れに終わってみると、そのダメージは意外にも後を引くものだ。
 有名ファストフードチェーンであるトクテクト・バーガーが本日0:00より発売した新製品に落胆したニトロは、やはりダメージを引きずったまま帰ることは忍びなく、そこで何をどうして心を癒そうかと考えたところ、件の新製品はリララマという地方の料理をコンセプトにしていたため、ならばどこかの地方料理で敵討ちをしようと思い至った。
 そこで芍薬に良さそうな店を調べてもらうと、彼が入ったトクテクト・バーガー・ゴッテオン駅前店から5kmほど西に走った王都二区と三区の境界線上に、二人共に馴染みのあるルッドラン地方の料理を出す店が見つかった。
 ルッドランという響きには、ニトロは良い印象を持っている。
 その場所と縁を持つことになった一件についてはともかく、実際に訪れたその地では楽しい思い出が勝っている。
 ――ニトロには、トクテクト・バーガーでの落胆のみならず、その店内で自分の不注意もあって引き起こしてしまった出来事トラブルのため、折角芍薬が成功させてくれていた変装を無駄にしてしまったという己への不満も少なからず存在していた。芍薬はもちろんそんなことを気にしてはいないし、マスターの失態よりも、そのトラブルを引き起こした根本である『あのバカ』に対してばかり気を尖らせていたのだが……こういう憤懣を解消することにも、やはり食道楽こそ適切な手段だろう。それが良い印象の地方の料理となればなおさらだ。
 目的の区境くざかいには国道3号と7号を連絡する道路が走っていて、その店は、交通量の多い道の脇にふいに現れる飲食店の集合地帯の一角に居を構えていた。『銀の背の羊亭』と書かれた看板が、山小屋を模した外観の上で青く輝いている。
「いい感じだね」
 近くの地下駐車場から歩いてやってきたニトロは、街灯の光を浴びて紺色のユカタを夜陰に浮かび上がらせる芍薬に笑いかけた。
 芍薬――という今では勇名高きオリジナルA.I.、そしてそれの駆るアンドロイドを共にするニトロは、今、自身も正体を隠そうとしてはいない。立ち止まった二人を追い越したスーツ姿の男が、通り過ぎ様に「あ」と口を開けて、それからはちらちらと振り返りながら歩いていく。
「一応評判ハ良イ店ダヨ。実際ニモ、味ガヨカッタライインダケドネ」
 芍薬はちらと『銀の背の羊亭』の隣の店を一瞥した。そちらは『串刺し肉!』と黄色い地に赤文字を煌かせるBBQ&網焼きステーキの店だった。もうもうとした煙が物凄い勢いで換気扇に吸い込まれていく店内には大勢の客がいて、窓際には大きなビールジョッキを掲げるようにして飲み干す中年男性達がいる。一方で『銀の背の羊亭』はとても静かだ。
「当たり外れも食べ歩きの醍醐味だよ」
 笑みながら、ニトロは言った。
「さっき外れを引いたから、今度はきっと大丈夫」
「逆ニ不安ニナラナイカイ?」
 悪戯っぽく言われ、ニトロは笑みを深めた。一歩進み、
「いや、絶対大丈夫――」
 そう言いながら芍薬へと振り返った時、ニトロはふと歩道の隅、車道間際に鈍く閃く物を認めた。
「?」
 何かと思って歩み寄ってみると、それは真鍮製らしいペンダントだった。かなりくすんでいて、光を照り返すのも車道を行く車のライトがうまく当たった時くらいなものである。
「『太陽ヲ抱ク蹄鉄』ダネ」
 ニトロが拾い上げた物を見て、芍薬が言う。それは確かにアデムメデスで『縁起物』と呼ばれる物の一つだった。少したわんだU字の蹄鉄で燃え盛る太陽を拾い上げているようなデザイン。普通は表裏のないように作られるのだが、これは違った。表側には細かい彫刻で飾られた太陽が勢いよく燃えているが、さながら未加工にも思える扁平な裏側にはどうやら手彫りしたらしいイラストが太陽の中に描かれている。
「鳥の巣に眠る猫?」
「抱卵シテイルノカモネ」
「ああ、なるほど。そうかも」
 これが本当に手彫りであれば随分しっかりしたものだと感心しながら、ニトロは芍薬に言った。
「まあ、まず落し物だよね」
「御意」
 となればやることは一つだ。ニトロは芍薬にペンダントを渡し、
「写真をここの『街角拡張現実ディストリクト・AR』に掲載してくれる?」
「承諾」
 ペンダントを受け取った芍薬はそれを撮影のしやすいように持ち上げ、光の加減のよいところで一時凝視した。そうして画像データを作ると、マスターに命じられた通りに自治体のインフラである『街角拡張現実ディストリクト・AR』のサーバーへアクセスし、その落し物コーナーへペンダントを拾った時間・位置情報と共に投稿する。
「近くに交番は?」
「スグ先ニアルヨ」
「届け先はそこで」
「承諾」
 芍薬は送信した情報に付記を加え、アクセスを切った。芍薬がうなずくと、ニトロもうなずき、
「それじゃあ、行こうか」
「ドコニダイ?」
 芍薬は思わず苦笑した。ニトロはきょとんとして、
「どこにって、交番にだよ」
 さも当然と言うマスターへ、芍薬はおかしそうに肩を揺らして言う。
「あたしガ行ッテクルヨ。主様ハ、委任状ダケ送ッテオクレ」
「でも」
「イクラスグ先ニアッテモ、主様ヲ連レテ行ッテ手続キヲシテ、戻ッテ……ナンテシテタラ遅クナッチャウヨ。主様ガ食ベタイッテ言ッテタノハ煮込ミ料理デモアルシネ? 大丈夫、料理ガ出テクル前ニ戻ッテクルヨ」
 芍薬の言うことはもっともだった。
 ニトロは了解した。それに、あまり一所で立ち止まっていては――努めて気にしないでいたが――この場所に人垣を作ってしまいそうでもある。
「それじゃあよろしく頼むね。委任状はすぐに送るから」
「御意」
 芍薬は『太陽を抱く蹄鉄』を懐に、何かしらの撮影機能を働かせている人々の作る薄い壁を一礼しながら通り抜け、ポニーテールをふわりと浮かせて音もなく走っていく。
 フラッシュが一つ、二つ、光った。
 ニトロはもう慣れたことだと思いながら、しかしやはりどうしても慣れないものを懐に、一人『銀の背の羊亭』へと歩を進める。
 隣の『串刺し肉!』店の窓際で赤ら顔を並べる中年男性達が、ニトロへ大ジョッキを掲げて見せた。その陽気な様子にニトロは笑顔を返して、ルッドラン地方料理店の厚い木の扉――実際には厚くともコルクのように軽い合成木材の扉を開いた。
 外から見ては静かな店だったが、入ってみると店内には朗らかな賑やかさがあった。七人掛けのカウンター席と、四人掛けの丸テーブルが三セット、一番奥に二人掛けのテーブルが二卓ある。空席はカウンターに二つと、奥に一つしかなかった。外に『ニトロ・ポルカト』がいると気づいていなかったらしい、来店した新規客に顔を向けた皆が一様に驚きの色を酔いに重ねてその目を見開いた。
「おお!」
 中でも驚きの声を上げたのは、カウンターの中にいる店主だった。歳は四十前ほどだろうか。固太りで、くせっ毛の髪の下に丸い頬をつけている。彼は双眸をその頬よりも丸くしてカウンターの中から飛び出てきた。
「これはこれはニトロ・ポルカト様! ようこそ『銀の背の羊亭』へ! これはこれは、光栄です!」
 言葉の勢いそのままに強く熱い握手まで受けて、今度はニトロが驚く番だった。
 あまりの歓迎振りに彼が目を丸くしていると、店主は客の疑念を察したらしい。
「ルッドランの人間であなたを歓迎しない者はありません。あなたはミリュウ様をお救い下さったのですから!」
 白いエプロンの前で拳を握り、感激に瞳を輝かせる店主のその言葉を聞いてもニトロにはいまいち合点がいかなかった。確かに、ミリュウ姫とルッドラン地方には縁がある。しかしその縁は、ここまで土地の人間の心を揺さぶる性質のものだったろうか? もちろん、現在はそういった性質の縁も培いつつあるのだろうが……
 呆気と疑問に囚われているニトロへ、店主はなおも笑顔で言った。
「お分かりになりませんか? あなたは、セイラ・ルッド・ヒューラン様のお仕えする御方をお救い下さったのです」
「そうだ! よくやってくださった!」
 と、どうやらルッドラン地方の人間らしい五十絡みの男がカウンターでジョッキを掲げた。
 なるほど、そういうことかとニトロはようやく納得した。
 王家の人間に直接仕えるということは、この星にあっては最高のステータスだ。特に貴族にとってこれ以上の誉れはない。ルッドラン地方は、田舎だ。悪くいうのではなく、正しく田舎なのだ。そのような土地から王家に抜擢されたとなれば、確かにその大出世は個人のみならず土地にとっても最高の誉れとなるのだろう。
「あれはただ、何事もうまくいっただけです。僕はそのお手伝いをしただけですよ」
 とはいえ、これほど歓迎されることには照れがあるし、少し心苦しくもある。ニトロが眉を垂れながら言うと、店主は首を小さく振り、しかしそれ以上は何も言わず、ただ快く『英雄』を迎え入れた。
「さあ、どうぞ。カウンターになさいますか?」
「あ、一人ですが、二人席でお願いします。アンドロイドの同席が駄目ならどうか遠慮なく言ってください。こちらは大丈夫ですので」
「ああ、芍薬様ですね? もちろん大歓迎です! さ、ではあちらへ!」
 店主に席へと通されるニトロにそこかしこから声がかかった。大抵の者は常連客らしく、ほろ酔いの者も完全に酒の回っている者も、もはやこの星で知らぬ者のない少年に好意的に声をかけてくる。それらに会釈を返しながら席に着いたニトロへ、店主が人の好さそうな笑顔をにっこりと浮かべて、
「ご注文は何になさいますか? 当店自慢の料理、腕を振るってお作りいたします!」
 流石にニトロが苦笑いを浮かべかけた時である。
「あんたはいい加減厨房に戻りな。お客さんを待たせてるだろ」
 と、ほっかむりにエプロンをした細身の女性が店主の尻をすぱんと叩いた。注文を聞かずに戻ることを渋る店主を強引に厨房に追いやった女性は、どうやら店主の妻らしい、ニトロへ少し垂れ気味の細目を寄せて、
「すいませんね、うちのものが興奮しちゃって。ただ、腕はいいんでご安心を。こちらメニューです」
 ボードスクリーンをニトロに渡し、おかみは満面の笑顔を――それもきっと店主と同じ性質の歓迎の表明だろう――残してホールの仕事に戻っていく。
「……」
 ニトロの注文は、店に入る前から決まっていた。しかしすぐに言うのは何だかはばかられて、メニューを見る。
(あ)
 そこで彼は芍薬との約束を思い出した。携帯を取り出し、A.I.に落し物を届けさせたことを証明する――つまり落し物に関わる責任・権利を人間マスターが有していることを証明する委任状を作成、署名して送信する。すぐに応答があった。後は遺失物の所有権に関すること等にも芍薬が適切に対応してくれるだろう。

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