19:45 ―中吉―


 副王都セドカルラまで『キモノ』や『ユカタ』の布を買いに出かけた帰り道。
 王都ジスカルラに向けて飛ぶ韋駄天の運転席で、ハラキリは腹を抱えて笑っていた。
「あっはっはっはっは!」
 彼の前には二つの宙映画面エア・モニターがある。一方にはドロシーズサークルで行われている『文芸祭』前夜祭でティディア姫に起こった事件の動画があり、もう一方ではインターネットに投稿されていたファストフード店内でのニトロ・ポルカトの大慌てが演じられている。二窓で双方のタイミングを合わせて流してみると、これがもう楽しくって仕方がない。
「あぁっはっは! ははははは!」
「ソンナニ笑ウト怒ラレマスヨ?」
 助手席に座る少女――イチマツ人形をそのまま大きくしたような少女型のアンドロイドが眉をひそめて言う。
「大丈夫だよ」
 荒れた息を整え、ハラキリは大きく息をついた。
「こっちは撮影されてないからね」
「『ディレイ録画』ニャ間ニ合ウゾ」
「やめてくれ」
 韋駄天の指摘に苦笑を返し、ハラキリはもう一度こみ上げてきた笑いを漏らし、そこでようやっと落ち着いた。
「全く……これはニトロ君が不運なのか、おひいさんが幸運なのか」
「ドチラモジャネエカ? イヤ、キットニトロガ凶星背負イスギテンダロウナ」
「韋駄天」
「オット、怖イ怖イ」
 撫子に叱責された韋駄天が笑いながら声を消す。
 ハラキリはエア・モニターを消し、フロントガラスの向こう、眼下に映る王都を――その大地に満ちる人工の星々を眺めやった。
 今、あの星の一つに親友がいる。
 今、あの星団のどこかに友達がいる。
 そのどちらかに、これから会いに行ってみようか。
 そうしてとても楽しかったと感想を言ってみようか。
 彼は怒るだろうか? きっと怒るだろう。だが、ちょっとフォローをしてやろう。
 彼女は喜ぶだろうか? きっと喜ぶだろう。だが、ちょっと皮肉を刺してやろう。
「進路ヲ変エマスカ?」
 ふいに、撫子が言った。
 心を見透かすような言葉に驚き、ハラキリは撫子へ顔を向けた。
「ソレクライハA.I.ワタクシデモ簡単ニ察セマスヨ?」
 秋色のキモノを着た撫子が小首を傾げると、肩の上で切り揃えられた絹糸のような人工毛髪がおどけて揺れる。
 ハラキリは、笑み、
「いや、まっすぐ帰ろう」
 そして肩越しに後部座席を見る。
 そこには買い付けてきた『タンモノ』が積まれていた。
「早く作りたいだろ?」
「――ハイ」
 撫子は一瞬の躊躇いの後、嬉しそうに微笑んだ。
「コレデ芍薬ニ、誕生日会ニ着テイク良イモノヲ贈ッテヤレマス」
 実際に地球ちたま日本人にちほんじんがタンモノからキモノを作るのに必要な日数は解らない。が、不眠不休で集中力も切らさず作業のできるA.I.アンドロイドの手にかかれば、約二週間後に迫った重要なイベントまでに一枚作ることは至極余裕だ。
「ウィーバー婦人との話は随分盛り上がったようだね」
 ハラキリは、それが皮肉にならないように気をつけて言った。撫子はうなずく。
「トテモ参考ニナリマシタ。『キモノ』ヤ『ユカタ』ノ縫イ方ニハマダマダ改良ノ余地――イエ、考察ノ余地ト言ッタ方ガ良イデショウカ」
「解るよ」
「現在ハトニカク形ヲ合ワセテイルダケト思エル所モアリマスガ、今後ハサラニ本物ニ近ヅケル予定デス」
 そこで撫子は言葉を区切り、ちょっと悪い顔で笑った。
「コウナッテクルト、是非『実物』ヲ手ニ入レタイデスネ」
「――ハッ!」
 ふいに韋駄天が短い声を上げた。驚きでもあり、笑い声でもあった。全星系連星ユニオリスタ非加盟国、かつ外宇宙進出もまだの辺境の星から物を持ち出したり、それ以前に『入星』したりすることは違法だ。それを承知の上で真面目な撫子は言ってのけたのだ。
 にやりとして、ハラキリは問うた。
「それは教唆? それとも予告?」
「モシ、ハラキリ様ガアノ星ニカレルコトガアレバ、ソノ時私ハ必ズオ側ニイルデショウ」
「わざわざ行かなくても、手に入れることはできるかもしれないんじゃないかな」
「エエ」
 撫子は、口に片手を当てて笑った。それはどこか意味深な笑みだった。
 そして意味深といえば、先の言葉もそうである。
 ――お側にいる
 ハラキリは腕を組み、
「……珍しいな。撫子がそんなことをはっきり口にするなんて」
「ソウデスネ。少々、芍薬ガ羨マシクナッタノカモシレマセン」
「芍薬を?――いや、本当は、ニトロ君をかな?」
 目を細めたハラキリに、撫子はわずかに目を細めただけで応えない。
 ハラキリは、困ったように眉を垂れた。
「拙者は彼とは違うよ」
「承知シテイマス」
 撫子はうなずき、それ以降はもう何も言わなかった。
「ところで」
 ハラキリも無論、話題を継がなかった。
百合花おゆりはちゃんと仕事を?」
「ハイ。結果ハ帰ッテカラ伝エルト」
「そりゃ意地悪だ。焦らさなくてもいいだろうに」
「『人遣イ粗イ旦那ダンサンナンテ逸ル心ニ苛マレナンシ』――ト」
「そうか。それじゃあご褒美も少し焦らしてやらないとね」
「アンマリ意地悪シナイデヤッテ下サイ」
 困ったような撫子のセリフにハラキリは笑い、ややあってから、うなずいてみせた。
「トコロデ」
 すると、撫子がエア・モニターを起動させながら言った。
「コチラモゴ覧ニナリマセンカ?」
「何?」
 ハラキリが目をやると、モニターに映像が流れた。
 映像に付随している投稿時間を一瞥すると、こちらも友人達の動画と同じくつい先ほどインターネットにアップロードされたものだった。
 映っているのは……ケルゲ公園駅のロータリーか? あそこは『劣り姫の変』の舞台の一つとなったため、最近はその手の観光客も増えているという。どうやらこの映像もそういう類のものらしい。マイクは雑踏の音を拾っていた。バスの発車アナウンスが聞こえ、母親にアイスをねだる子どもの声が近づいて、遠ざかっていく。日の光は夕焼けの頃の暖かな色をしている。
 しばらく大して意味のない映像が続いていたが、やがて、大柄な男が慌てた様子で画面に駆け込んできた。
[ソーニャ!]
 彼が呼び止めたのは、長い金髪を悲しげに揺らして駅に向かっていた女性であった。
[待ってくれ! 聞いてくれ!]
 男は必死に叫んでいた。
 女は、止まった。
 振り返った女の顔には怒りはなく、そこには失望と、諦めに似た影があった。
 その暗い眼差しに男は怯んだようだったが、ぐっと唇を噛み、意を決したようにハンドバッグから何かを取り出し、それを大きな手で握り締めたまま、百を軽く超える衆人環視の中で声高に叫んだ。
[愛している! 愛している! ソーニャ! 俺は、お前を心から愛している!]
 女の顔から失望が剥がれ落ちた。諦めに似た影も消え、瞳に光が射した。
 男は手に握りこんでいたリングケースを差し出した。
 蓋を開けると、夕映えの光を受けて、ダイヤモンドがきらりと閃いた。
[俺について来てくれ]
 そう言ってから男は首を振り、言い直す。
[俺について来い! 絶対に幸せにしてみせる!]
 女は手で口を覆っていた。その目には宝石よりも輝かしい涙がきらめいていた。
 やがて――女は、答えた。
 周囲で拍手喝采が爆発した。
 それを眺めるハラキリは、ただただ苦笑していた。
「まあ、良かったですね」
 彼には、それ以外に言うことはない。
 早くも興味を失いつつあるマスターに、撫子は悪戯っぽい目を送った。
「ソレダケデスカ?」
「それだけだね」
「コチラヲ」
「?」
 撫子の言葉に眉根を寄せたハラキリを誘うように、動画が巻き戻る。
 男が再び女を必死に呼び止め出した。
[待ってくれ! 聞いてくれ!]
 必死に叫ぶ男の後方に、ふと、白い矢印が現れる。
 その矢印が示すのは、ほとんど画面から見切れている一点。
 そこに、ハラキリの通う高校の制服を着た男女が小さく写っていた。少女は黄色いラインの入ったスニーカーを履いていた。
「――あ」
 ハラキリは短く声を上げた。
 動画が少し早回しされる。
 拍手喝采が沸き起こる中、人々の陰に再びあの少年と少女が映り込む。
 彼と彼女は、先ほどは二人並んで歩いているだけだった。しかし、今はしっかりと手を握り合っていた。
「以上デス」
 すまし顔でそう言って、撫子はエア・モニターを消した。
 ハラキリは呆然と画面のあった空間を見つめたまま、うめいた。
「なるほど、これは観察が足りなかった」
 画面が消える寸前、二人はどうやら公園に向かって歩いているようだった。映像ではこれから夕暮れとなり、やがて夜を迎える。ケルゲ公園、あそこはメジャーなデートスポットでもあるから――
「ソレ以上ハ、下世話デスヨ?」
 顔をしかめて撫子が言ってくる。ハラキリは口角を引き上げた。
「おや、また何を考えているのか解った?」
「大抵ノ人間ノパターンデス」
 そう言われては立つ瀬がない。ハラキリは肩を揺らして笑い、それから王都の纏う数億の電飾の煌きを見つめ……やおら、妙に悦ばしい心地を目元に浮かべてつぶやいた。
「まあ、良かったですね」

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