18:45 ―大凶―


 今月末に催されるティディアの誕生日会で着る服のための仮縫い試着を無事に終え、その後、テーラーの前に集まっていた人々の目を盗んで無事に抜け出すことに成功したニトロは、その足で駅前のロータリーを臨むビルを訪れた。
 古くから服飾の街として知られる王都第三区・ゴッテオン。ここに立ち並ぶ建物は、いずれも歴史を感じさせるものばかりだ。ニトロがやってきたビルも例に漏れず400年の時をこの場でじっと過ごしてきたもので、レンガをふんだんに使った当時の流行のデザインも、今では時代がかった古着となっている。
 だが、ビルの内装は現代のものだ。
 一階から三階までを占めるのは、アデムメデス三大ファストフードチェーンが一つ『トクテクト・バーガー』である。
 朝からここで新しいジャンクフードを食べたいと思っていたニトロは、誰かに正体を見破られて騒ぎになることもなく、首尾よく店まで辿り着き、その二階の窓際に席を占めていた。
 夕食時ではあるが、店内はさほど混んでいない。
 とはいえ席の半ばは埋まり、大人の数は少なく、目立つのは学生や若者ばかりだ。
 年を通して比較的気候の穏やかな王都は残暑の季節にあっても過ごしやすい。日中はもちろん汗ばむ熱気が満ちはするが、夜は優しい。無闇に空調に頼るよりも窓を開けた方が気持ちの良いくらいだ。それもあって、トクテクト・バーガー・ゴッテオン駅前店の上階の窓は全て大きく開き放たれている。
 そこで涼しい風を受けながら、ニトロは、楽しみにしていた新製品『トクテクト・リララマ・バーガー』を齧っていた。
(うーん……)
 楽しみにしていた、からだろうか。
(辛いなぁ)
 ニトロは舌を痺れさせる特製ソースに、かすかに唇をへの字に曲げていた。
 この新製品のコンセプトであるリララマ地方で生まれたリララマ・ソースは、エシェスオンという地産のタマネギと、ケリップという香辛料をメインに作られる。その味は甘さが勝ち、その後にぴりっとした風味豊かな辛さが強まり、そうしてまたエシェスオン特有の香ばしい甘みが穏やかな後味を作る。それが肉料理に後を引く味わいを与えるのだと、ニトロはそう聞いていた。
 それなのに、これは辛味が勝ちすぎていた。甘みもあることにはあるが、常に主張する辛味がずっと舌に居座るために負け続けていた。
 果肉が多く噛めば爽やかな果汁が溢れるはずのラーマントマトも厚みが足りないために存在感が薄く、ビーフ100%のパテもやはり香辛料が強すぎて肉の味が薄い。これではレギュラーバーガーに使われているビーフとプランクトン由来の調整肉アジャストミートとの混合であるパテと大差ないし、テレビコマーシャルが誇張に満ちていることは理解してはいても、やはりそこで宣伝されていた肉汁の存在感が全くないことも不満になる。チーズも普段と全く変わりがない。宣伝に偽りなしであるのは、しゃきしゃきのレタスだけ。
 しかも、何よりも、存在感がありすぎるリララマ・ソースが全ての味を征服していることが問題だった。正直、何を噛んでもソースの味しかしない。というか、辛くて他の味をまともに感じられない。
(……うーん)
 良いところを何とか探そうとしてもレタスのしゃきしゃき感しか見つからない。ニトロは悟った顔で思う。
(大ハズレだなー)
 これで単品540リェン――トクテクト・バーガーの中で最も高いというのだから、評価も辛くなるのは当然だろう。少なくとも、店内に満足そうな顔はない。しかしあからさまにがっかりとした顔はわずかで、むしろ表情を無くした顔が多い。それらは明らかに、ジャンクフードだしこんなものか……という意思表明であった。
(それにしても)
 新製品を食べきり、手についたソースを紙ナプキンで拭き取りながら、ニトロは思う。
 リララマは、そう名の知られた地方ではない。北大陸のフォーデンや西大陸のクラケット地方のように広く知られている料理を知名度の第一軍とすれば、せいぜい四軍辺りがいいところである。それが今回、有名なチェーン店に取り上げられたことで飛躍的に名を上げた。が、その一方で、このバーガーの味がリララマの味として印象付けられてしまっては、地元の人間はきっと心外であることだろう。
(一度、ちゃんとしたのを食べてみたいな)
 ――それとも、もしかしたら、人に今の自分のように思わせることが戦略だろうか?
(いや、それは邪推ってもんか)
 内心で己に苦笑し、厚手の紙コップに注がれたコーヒーをすする。こちらはちょうど淹れ立てであったらしく、とても美味しい。粉も工場から届いたばかりだったのだろうか、香りも高く、今までファストフード店で飲んだものの中でも一番とも思えた。
「……」
 朝からの期待は大ハズレに終わったにしても――
(――うん)
 一息ついたニトロは、満足だった。
 店内は、ざわついている。
 ニトロは窓際の隅の二人用テーブル席から、ちらと店内を見渡した。
 フロアの真ん中付近で五人で固まり、談笑する学生達。隅のテーブルで向かい合ってひそひそと話す恋人達。それとは逆に、窓際の、ニトロとは反対側の奥のテーブルで何やら大声で語り合う恋人達。本を読んでいるのか、それとも勉強をしているのか、板晶画面ボードスクリーンを注視している一人、一人。何やら熱心にモバイルコンピューターを覗き込んでキーを打っている若いサラリーマンがいて、それとは対照的に、彼の後ろの席では中年と青年の間といった男性がくたびれた顔でコーヒーを飲んでいる。
 他にも多種多様の客達が、広く、古びた趣のあるフロアの三分の二を埋めていた。――気がつけば客の数も増えている。だが、急ぎ出て行かなければならないほどではないだろう。
 開け放してある窓から聞こえてくるのは街路のざわめき。
 雑踏、車両の往来。
 街路樹の葉が風に吹かれて揺れ鳴く声。
 一つ一つは意味のある音も、混然一体となってざわざわと響けば何の意味もないノイズとなって空間を包みこむ。
「……」
 ニトロは、心地良かった。
 最近は心ならずも大きなざわめきの中心にいることが多かった。
 けれど、こうして中心のないざわめきの中にいると、何故だろうか、とても安心する。
 今日は変装もとてもうまくいって、今もまだ誰にも気づかれた様子はない。
 ニトロは安くて美味しいコーヒーを楽しんでいた。
(――もしかしたら)
 ふと、彼は、今朝の芍薬とのやり取りを思い出していた。
 トクテクト・バーガーの新製品を食べたいと言ったニトロに、芍薬はすぐに変装の用意を口にした。思えばそれは不思議なことだった。もし、ファストフードを食べたいだけならドライブスルーを使ったり、それともデリバリーを頼んだりすれば、こんな変装などする必要もなく、車内なり家なりでそれをゆっくりと食べることができるはずである。なのに芍薬は――マスターの安全を第一に考えるはずの芍薬は、どうやら初めからその選択肢を外していたらしい。
 彼は思う。
 芍薬は、
ここで食べてこそ、っていうのも、解ってくれてたのかな)
 ――きっとそうだろう。
 そしてそう思い至れば、どうにも口元には笑みが浮かんでしまう。
 ニトロは安くてとても美味しいコーヒーの香りに、目元を緩めていた。
 外を見れば、何百年も前からの街並みが現代の照明によって照らし出されている。まだ西の空にしがみつく残照がその光の色合いに微妙な影響を与えていて、夕と夜との境にある時刻、過去の景色と現代の光が混ざるこの光景は奇妙なほど幻影的に感じられる。レンガで飾られた駅舎の中からは、今にも大古典復古時代リストアーリズムの馬車が走り出てきそうに思えてならなかった。
 だが、そう思えるのも、一瞬のこと。
(……あれは、多分やめた方がいいよなぁ)
 ニトロの視界の中、一箇所だけ、やけに現実的に見えるものがあった。
 それは、こぢんまりとしたロータリーを挟んだ向かい側にあるビルの壁面に大きく設けられた街頭スクリーンだった。
 街頭スクリーンに映し出されるものは、全てが現代のことで、それもコマーシャルばかりである。折角この街並みに馴染もうとする感傷も、商売というあまりに人間的な営みを前にしては抵抗することもできずに現実へ引き上げられてしまう。
 一つ、ゴッテオン街にも店を置くブランド店のコマーシャルが終わった。
 すると19:00となり、にわかにスクリーンの様子が変わった。『生中継』の文字が上隅に入り、カメラが何やらとても賑わうパーティー会場を映し出す。ぐるりと会場が一望された後、その映像は次第に薄れていき、代わって会場前の光景が映し出されていった。会場入り口からは道路へ向けて真っ直ぐにダークインディゴ――大昔、最高級であったインクの色――のカーペットが敷かれていて、やたらと興奮を示す女性キャスターのナレーションが始まると共に、その上を有名人が歩いている姿がダイジェストで流れ出す。画面に現れる者は皆、いわゆる文化人と呼ばれる者ばかりだった。俳優や女優もベテランが多く、文化に造詣が深いとされる政治家やコメンテーターが堂々と歩き、アイドルや売出し中の人気タレントの姿は見えない。
 そこに映し出されているのは、現在ドロシーズサークルで行われている『文芸祭レトワーザート・フェス』の前夜祭、そのメイン会場前の光景だった。
 文芸祭はアデムメデスで最大の文学の祭典である。
 明日、国民の祝日である『文化芸術の日』から一週間に渡って、ドロシーズサークルでは様々な賞の発表、文芸に関わる学会、また戯曲や朗読など文芸に関わる(広義には特に『言葉』に関わる)多様な芸術活動が行われる。文学賞等の式典は一般人にはあまり関係がないが、舞台や劇場で行われるイベントには参加可能であり、それには超一流とされる芸術家達の出演があり、また新進気鋭のアーティスト達は我こそ次代をリードするものだと青空劇場等自主的な企画・興行で盛り上がる――それらを格安で鑑賞できるということもあり、全地域から多くの人出のある一大イベントだ。
 ニトロもティディアと並んで『言葉の芸術家』として出演を打診されていたらしいが、それは前もって丁重に断られていた。
 正直、ここに出演者として参加するとなると、ぞっとする。
 自分は芸術家なんかでは決してないし、それに文芸に秀でた人々と会話をするほどの知識もない。恥を晒すだけだ。いや、
(既に恥の晒しっぱなしか)
 そう思えば苦笑を超えて悲しくもなるが――
「あ」
 と、誰かの声が、ニトロの耳を打った。
 それは明るい声で、何かを発見し、それを歓迎する声だった。
 一瞬どきりとした彼がそちらをこっそり伺うと、傍のテーブルに座る女子中学生らしい二人組みの片方が、街頭スクリーンを見て瞳を輝かせていた。
 ニトロは、そちらへやや険のある双眸を向けた。

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