16:25 ―吉―


 王都第三区にあるゴッテオン街は、古くから服飾の街として知られていた。昔は多くの布問屋で栄え、現在は有名なブランドショップやオーダーメイド専門の個人店が軒を連ね、そして時に最先端、時に今も昔も変わることのないスタンダードを人々に提供し続けている。
 その中の、王家御用達のテーラーに、ニトロはいた。
 何着ものスーツが並び、何幅もの服地が幅広の棚に整頓されている。木材――それも合成木材ではなく無垢の木材をふんだんに用いた店内はしっとりと落ち着いて、明るい照明に照らされながらも決して浮薄とはせぬ風格が漂っていた。
「いかがでしょうか」
 大きな姿見の前に立ち、生地に白い糸の目立つ仮縫いの着せ付けに臨むニトロは、店内に漂う糸と布と鋏の匂いを嗅ぎながら、
「とてもいいです。何だか服じゃなくて、自分の体みたいです」
「ありがとうございます」
 真っ白なシャツ、濃灰のズボンを太目のサスペンダーで支える初老の男が紳士然と頭を垂れる。
「しかし、ポルカト様、もう少々肩のお力をお抜きになってくださいませ」
「ああ、すみません」
 三度目の来店となるニトロだが、こういうところはやはり慣れない。
 このテーラーの店主に言われてやっと自分が緊張を体に出してしまっていることに気がついた。息を吐き、肩を、それから全身を楽にする。
「ほんの少し、こちらを詰めましょうか」
 店主はニトロではなく、傍らに控えるアンドロイドに言った。紺のユカタを着るアンドロイドは店主の示したシルエットを吟味し、
「御意」
 と、うなずく。
 芍薬は店主が待ち針を使って修正を加えるのを待ってから、
「主様、動キヤスサハドウダイ?」
 問われたニトロは、仮縫い時に許されるであろうと思う範囲で体を動かしてみた。
「うん、動きが妨げられることはないよ。というか、こんなにフィットしてこんなに動きやすいのは信じられないや」
 普段着ている制服や、時々舞台で着ることのあるスーツ――それにしたって高級品であったはずなのだが――とは雲泥の差のある着心地に、ニトロはもう感嘆しか示せない。彼にはこの仮縫いは“仮”などではなく、既に完成しているとしか思えなかった。しかし店主は念入りに確認を行い続け、芍薬も妥協しない。布地の選択からニトロではなく芍薬が前に出ていたからだろう、店主はニトロを立てながらも芍薬と相談を深めていく。
 たっぷり時間をかけて調整を終えた頃には、18時を回っていた。
「急がせてしまって、すみません」
 ここに着てきた学校の制服ではなく、芍薬が持ってきてくれていた替えの服を着ながら、ニトロは何やら板晶画面ボードスクリーンに書き込んでいる店主へ言った。すると店主は穏やかな笑みを浮かべ、
「とんでもありません。お気になさらないで下さい」
 そうは言っても、ニトロが燕尾服を必要とすることにしたのは今月の頭、そして納品は今月の末でなければならないのだから、オーダーメイドでそれを作ってもらうための時間は一ヶ月を切っていた。いくら王家御用達のテーラーで、王女直々の頼みであったとしても、これは明らかに無理がある。店主には他にも顧客がいるはずなのだ。
 だが、店主は朗らかに微笑み、
「これが私の仕事です。必ず当日に、ご満足のいく品をお届けいたします」
 彼の声には紛れもないプロフェッショナルの誇りがある。ならばこれ以上申し訳なさを抱き続けるのは失礼にもなってしまうだろう。ニトロはそれに気がつくと、笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします。心から楽しみにしています」
「お任せください」
 店主は深々と頭を下げ、それから前もって頼まれていた通りニトロを店の奥、通常は店員しか入れない場所へ案内した。
「それでは私は店に戻ります。ポルカト様、またのご来店をお待ちしています」
 地下に繋がるドアの前に来ると店主は再度深々と頭を下げ、仕事場へと戻っていった。こっそり店を抜け出そうという客を相手にいつまでも見送りなどしていたら、かえって邪魔になるためだ。ここに『ニトロ・ポルカト』が来ていることを知っている人々がたむろする正面入り口からわずかに見える位置で、彼はまだしばらくはニトロ・ポルカトを相手にし続けているように振舞い続けてくれるだろう。
「急がないとね」
「御意」
 ニトロに言われた芍薬は早速マスターの頭にウィッグをつけ、黒から茶色、少しばかり長髪に変える。次に彼は暗い青のカラーコンタクトレンズを入れた。芍薬が、頬がわずかにこけて見えるよう変装用のメイクを施す。それから『つけ不精髭』を付けて、それもメイクで肌に均し、
「――ウン」
 芍薬のうなずきに、鏡を見るまでもなく十分を悟ったニトロは最後にハンチング帽を自然な程度で深めに被った。コットンパンツにテーラードジャケット、高校の制服から印象を変え、靴も布のスニーカーから皮のスニーカーへ変える。
「ユックリ味ワッテキテネ」
「うん、何かあったらすぐに連絡するよ」
 芍薬が裏口のドアを開ける前に、テーラーの店主に今だけ与えられたアクセス権を用いて店前の監視カメラから周囲を探り、
「右ノ方ガ少ナイ」
「了解。それじゃあ、後で」
「御意」
 ニトロはドアを通り抜け、地下へと潜っていった。
 芍薬は店に残り、店主ともう少し話していく。めくらましの意味もあるが、実際にまだ話したいことがあるのだという。
 王家御用達のテーラーは、事情のある顧客が忍び去ることにも良い条件を備えていた。
 どうしてこういう作りになったのかは店主も知らないらしいが、この店の地下からは、左右の建物に抜けることができるのだ。
 そして、
「失礼します」
 地下に降りてから右の建物に移り、テーラー店主の親戚が営むメンズブティックに上ったニトロは、連絡を受けていた店員に通されて、その店の横口から表へ出た(左に行っていたらシューズショップを抜けることになっていた)。
 表通りに面し、ニトロがテーラーを見ると、そこには人だかりができている。
(――さて)
 そちらから目をそむけ、ニトロは足早に歩き出した。
 期待に胸を躍らせながら、彼が目指すはアデムメデス三大ファストフード店が一つ『トクテクト・バーガー』であった。

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