チャコールグレイに変えた長髪を大きな団子シニヨンにしたジャージ姿のヴィタが、大きめに作った擬耳を赤らめ、ぱっちりとした目に作り変えた双眸をさらに大きく輝かせ、両手に嬉しそうに大袋を提げてそこにいる。
 基本的にその場で食べるか、持ち帰るにしても多くて三・四人前程度を想定しているであろう移動販売業だ。おそらく、この大袋はその三・四人前のために店が用意していた最大のものに違いない。ティディアは納得した。
「そりゃ遅くなるはずねー」
「スケジュールが押したわ。急ぎましょう」
「誰のせいよ」
 こういう『お忍び』のための口調で言う執事に、それでも楽しく笑いかけながらティディアは立ち上がった。
 と、ふいに彼女は胸に痒みを感じてほとんど無意識にそれを掻き、あ、と気づいて見下ろしてみると、ブラジャーの際、左の乳房をモスキートに刺されていた。
「薬を塗らないといけないね、赤くなっちゃってる」
 ティディアはぽりぽりとまた少し掻き、
「ま、いいわ。これくらいならすぐに治まるだろうし、後で着るやつでも隠れるから問題ないでしょ?」
「あなたがそれでいいなら」
「ええ、十分よ。もしかしたら何かに使えるかもしれないしねー」
 涼しい風も吹いてきた。『何か』ではなく『誰か』を思いながらトレーニングウェアのジッパーを上げて前を閉じたティディアがふいに横を通り過ぎていった人影に誘われるように目を動かすと、フリーマーケットスペースで先ほどのポニーテールが何やら真剣に屈みこんでいた。例のリサイクル品のようなアクセサリーの前で退屈そうにしていた店員も、今は携帯をしまい込み、閉店間際にやってきた客を相手に真剣に商談している。二人の間には、ポニーテールの女性の手にするネックレスがあった。
「……『太陽を抱く蹄鉄』だね」
 主人の視線に気がつき、ヴィタが言う。ティディアはうなずいた。アデムメデスで『縁起物』とされているデザインの一つで、ネックレスとしてもありふれている。少し汚れているようだが、かといって汚れを落としてみたら実は純銀でした――なんてこともなさそうだ。
「何か、えらく気に入ったのかしらね」
 それとも、欲しかった物を買い逃した憂さを別の買い物で晴らそうとしているのだろうか。
「……」
 まあ、いい。何にしろ、さっきよりも元気になっているようだから、それでいい。
 ティディアは視線をヴィタに戻し、訊ねた。
「『グィンネーラ』はあった?」
「『ヴオルタ・オレンジ』も確保した。他にもアドルル・ペッパーを使ったホットドッグや、ゲァヌヮドヮラュンドという“彼”の故郷のスパイスを使ったローストビーフサンドとかも取り揃えてきたわ」
 アデムメデス人には難しい音を綺麗に発音してみせたヴィタは、付け加える。
「で、その“彼”もいたわよ?」
「おや」
 一方の袋を受け取ったティディアは、袋の重さにも少し驚きつつ、
「あれは1号車だったの?」
「1号は他に任せてるんじゃないかな。単に2号車の手伝いに来てるみたいよ? でも、だとしたら幸運だわ。あのおじさんだけだとアタシをまだ捌けていなかっただろうから」
 ――そのおじさんは、ニトロに命を救われたと思っている人物だった。そしてどういう奇縁か『隊長』とつながり、再就職先を見つけて頑張っている。
 ティディアは目を細め、
「『グィンネーラ』は?」
「そっちの袋。書いてあるよ」
 言われた通り、大袋の中、大きな箱の一つにそうシールが貼ってある。
「アタシにも一つ」
「ほれ」
 箱から取り出したグィンネーラを一つ、ティディアはヴィタに差し出した。変装中といっても主人の指を噛まないよう、ヴィタはその軽食スナックを唇で柔らかく挟み込む。ティディアが指を離すと器用に口内に放り込み、やおら満足そうに目を細めた。
 ティディアも一つ食べてみる。
「――うん」
 なるほど、いくら『話題性』があったとはいえ、早くも支店を出すわけだ。
「いけるわ」
「他のも楽しみ。さあ、早く行きましょう」
「はいはい」
 踵を返すや歩き出す食いしん坊の部下を追いながら、ティディアは問うた。
「ところで、どれだけ買ってきたの?」
「フードは全種類一つずつ、サイズは最大」
「いくらなんでも買いすぎじゃない?」
「せっかくなんだから出来立てをたくさん食べたいじゃない」
「今朝とは主張がちょっと違わない?」
「食べるということは、誰と食べるかということも含むのよ。一人がいい時もあれば、二人の方が美味しい時もある」
「――そうね」
 それは、もちろん解っていることだ。しかしこんなにも活き活きと主張されたらさらに理解できることだ。
「あなただって、誰と食べたいって、あるでしょう?」
 突然がれたそのセリフに、ティディアは口を引き結んだ。肩越しに振り返る彼女にはからかいの笑みがある。むっとしてティディアは、言う。
「否定はしないわ」
「ピクニックなんかがいいわね。タマゴサンドにハムチーズ、アタシは、お茶くらいは用意しようかな」
 さらに継がれたそのセリフに、ティディアは笑わずにはいられなかった。
「そういう場を作るために、協力しなさいよ?」
「ええ、そんな美味しいランチのためならいくらだって力を惜しまない」
 ヴィタは作ったキャラを演じて笑う。ティディアは大声で笑いたいのを堪えながら、やがて、大口客ヴィタのいなくなった後にも三人の並ぶケータリングカーの前を差し掛かった。
 その店の名の由来は、銀河共通語で『魅惑的な=ディアフォズィ』と『調和=ポルト』を合わせたということになっている。
 二つ並んだテーブル席にはいずれも客が座っている。
 車の中にはまだ不慣れな様子で一生懸命立ち働いている中年男性と、それを助けながら指導を行う獣人ビースターの大男がいる。
 ティディアは立ち止まった。
 じっと見ていると、ふと、獣人がこちらに気がついた。スポーツキャップを目深に被り、自分に顔を向けて佇む女を怪訝な様子で眺めている。
「いただくわ」
 ティディアは一言、それだけを言って、微笑を残すとその場を足早に立ち去った。
 ヴィタを追い越す。
 すると同好の士は愉快気な顔で追いついてくる。
 やおら、
「こここっコっこここ光栄であります!!!」
 背後からとても大きな声が轟き渡り、次いで、ドシーンという、何か大きなものの倒れる音がした。

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