16:00 ―後吉―


 王立馬事公園は、王都東部において、ケルゲ公園・ジスカルラ臨海公園と並ぶ三大公園の一つだ。年間を通して様々なイベントが行われており、馬術大会などを観るだけでなく、乗馬体験のように馬と直接触れ合う機会もふんだんに用意されている。ロディアーナ朝初期の馬車のレプリカに乗って公園を一周するアトラクションはいつでも人気があるし、季節ごとに行われる騎士の一騎打ちを再現したショーや煌びやかに着飾った人馬の行進等は多くの人出を呼ぶ。
 そして、馬事公園内では馬術に関係のない催しも頻繁に開かれ、また企画されていた。
 例えば北西の広場に常設されているフリーマーケットスペースがそうである。
 馬に興味のない人も呼び込み、その折に偶然でもいいから馬に触れてもらうことで興味を誘発しようという意図から設置されたスペースには、今日も十五ほどの出店があった。そろそろ陽も朱に染まり出した頃合。いそいそと閉店している者もあるが、まだ十近くの店は秋晴れの空に思い思いの品を広げている。客足はまばらだが、熱心に売り手と交渉している客もあった。フリーマーケットには関心がなくとも広場で憩う人も多く、平日の夕方であるというのに未だ売店もシャッターを下さぬほどにここは賑わっている。
 ――その光景を、スポーツキャップの庇の下からじっと眺める、黒曜石を思わせる瞳があった。
 楕円形をしている広場の辺縁に、よく手入れされた植え込みを背に置かれているベンチに座り、ティディアは久々の『お忍び』を楽しんでいた。
 公園内にある王厩での用事を済ませた後、自ら乗ってきた王家専用飛行車はから空のままで飛び立たせ、己は執事と共に馬運車に乗って一度公園の外に出て、再度戻ってきたのである。
 金と黒に染め分けた長髪ウィッグに人気のスポーツブランドのキャップを被せ、やはりそのブランドの黒いトレーニングウェアの上下に、若干サイズも大きく、さらに胸元の大きく開いた薄ピンク色のタンクトップを合わせている。足を組み退屈そうにややうつむき、そうして上衣のポケットに両手を突っ込みベンチに座っていれば、前髪とキャップの庇に隠れた顔を覗き込もうとする者はなく、またトレーニングウェアの上衣はジッパーを開ききっているため、タンクトップから覗く胸の谷間と“見せブラ”に男のみならず女も視線を誘導されて、ここに座る人物の正体が暴かれるような気配も未だない。もしナンパされるならドンとこいだ。その時は、きっと楽しい。
 ここにいられる時間は、あと10分前後。
 ティディアは束の間の戯れを――営業職だろう若いサラリーマンがこちらに気づかれないように胸をチラ見しながら通り過ぎていく――ぼんやりと楽しんでいた。
(ヴィタ、まだかしら)
 ちらりと左方を見ると、移動販売車ケータリングカーが距離を取って三台止まっている。その内の一台に行列ができていた。この広場に着くなり自分と同じく変装した執事はいそいそとその列に並びに行き、まだ戻ってこない。
(こらこら、そんなに凝視していたら怒られるわよー)
 手をつなぎ歩くカップルの片割れが、相手に話しかけながら、その実ティディアの胸を見つめていた。
(気づいているわよ? 彼女さん)
 ベンチ前を通り過ぎ、男はこれまでもずっと恋人にだけ集中してきたかのように会話を続けているが、ティディアは一瞬、女が目だけでこちらを一瞥したことを見逃さなかった。その瞳は、はっきりと敵意に満ちていた。
(怖い怖い)
 ティディアの正面にはフリーマーケットスペースでリサイクル品のようなアクセサリー類をシートの上に広げる若い女がいる。あまりやる気もなさそうに携帯を見つめる女の向こう、広場の反対側には公園の巡回員が相棒のポニーと掃除ロボットを引き連れ、子ども達に囲まれていた。ティディアの前を中年男性が汗を掻きながら通り過ぎる。その汗は穏やかな残暑によってのものか、それとも若い女の胸の谷間に火照ってのことか。
 高校生らしき少年が二人、通りがかった。
「――」
 ティディアは一瞬、体を動かしそうになった。少年達が制服を着ていて、そのズボンが『彼』の高校のものと同じ色だったから……しかし、すぐに聞こえてきた話し声から――いや、それを聞くまでもなく、こんな所を彼が制服姿のままで歩いているはずがないと思い至り、彼女はこれまで通りに退屈そうにぼんやりと公園を眺め続けた。少年の一人はちらりとこちらを見た後は努めて遠方を見つめ、もう一人は気づかず去っていった。
 また、スーツを着た男が通りかかる。
 この広場は大きな交差点に接していることもあり、ちょうど道のショートカットとして使えるため、そのためとしてもひっきりなしに人が出入りしていた。向こう側には大学生らしい青年たちが歩いている。少し酔っ払っているらしい老人が清々しくこちらを鑑賞しながらよろつき通り過ぎていく。恋人を連れた若者は、今度はまっすぐ歩いていた。ポニーとロボットを連れた巡回員はこちらを一瞥しただけで、近所住まいの子どもらしい数人を引き連れるようにして公園内の小道を蹄の音共に去っていく。少し遊び人風の男がちらちらと私を伺っている。また別の男が一瞥してくる。男が、男が、男が――ふと気がつけば、彼女は男ばかりを目で追っていた。
 ――いや、違う。
 男を追っていたのではない。
 気がつけば。
 彼女は、無意識にも、彼を探してしまっていた。
「……」
 それを自覚したティディアは自然と浮かぶ苦笑いを禁じることができなかった。
 先ほど高校生が通り過ぎた時に面影を想起したことがいけなかったのか、彼が今こんな所にやってくるわけがないと思いながら、心のどこかでひょっとしたらと期待してしまっている。
 そして彼女は思うのだ。
 もし、今ここに彼がやってきたとしたら……私は、彼に、きっと私を
(見つけて欲しい)
 そう思った瞬間、ティディアは芯を奮わせた。
 そう空想する自分が急に恥ずかしくなり、頬が自然と赤らんでしまう。
 唇は勝手に歪み、照れ隠しの笑みへと緩もうというのか、それを堪えようとへの字に固まろうとするのか、相反する形を同時に示そうとしてもにもにとしてしまう。
 それを人に気づかれないよう、ティディアは組んだ足に頬杖をつくようにして体を前に屈めた。帽子の陰により深く顔を隠し、驚くほど大きく脈打ち出した胸も人目から隠す。
 落ち着こうと思った時、ティディアは自分が存外に慌てていることに気づいた。
 また、それと同時に自分の耳に周囲の音が戻ってきたことを悟り、そこで初めて彼女は外界の音を忘れるほどに――ぼんやりとしているつもりだったのに――真剣に彼を探していたことにも気がついた。
「――」
 頬杖をつく手も、手に添えられている頬も、どちらもひどく火照っている。
 そして、
「うん、だめだった」
「!?」
 異常に近い所から声が聞こえて、ティディアは内心ひどく驚いた。その驚きを声にも体にも出さず、どうにか内心だけに留めることができたのはまさに奇跡だった。
「買えなかった。売り切れちゃってたよ、お兄ちゃん」
 同じベンチ、つまり隣に大学生くらいの女性が座っていた。つい今しがた座ったばかりなのだろうが、彼女が接近してくることに気づけていなかったことを考えると、自分は聴覚だけでなく視覚までいくらか失っていたらしい。
 流石に苦笑いを浮かべてしまうティディアの横では、突然の同席相手が、最近巷で『キモノ地』と呼ばれている布で飾ったポニーテールをしょんぼりと揺らしていた。
「ちょっと前に最後の一個が売れちゃったって。実習が少し長引いちゃったから……うん、残念」
 革製の洒落たクラシックスタイルのミニトートバッグを膝に置き、うつむき言葉を紡ぐ女性は対話型の独り言を続けているようにも見える。ちょうど彼女が言葉を発した際に前を通りかかったスーツ姿の若い女がヒールの音を一瞬強めていた――話しかけられたのかと誤解してドキッとしたのだろう――が、すぐに相手が『電話』をしているのだと察して歩み去っていく。
(……)
 ティディアは、『接着型』や『埋め込み型』のマイクロテレフォンが普及している現在でも、人が何やらぶつぶつ言っている姿はいつまでも人に“ぎこちなさ”を引き起こす様をおもしろく思いながら聞き耳を立てる。
「……うん、そうだね……」
 隣に座る王女の興味を引いていることに気がつきもせず、ポニーテールを揺らして顔を上向けた女性はもしや涙を堪えているのだろうか。おそらく兄から送られてきているのだろう慰めの電波を一心に受け取り、
「しょうがないけれど……お兄ちゃんから聞かなかったら気づきもしなかったしね。――ううん! そういうのじゃないの! だって実習さえ長引かなかったら……それも私のせいだったんだけどさ、ちょっと失敗しちゃってね、怒られちゃって……散々といえばそうだね、あはは」
 笑う声に、力はない。
 もし、彼女が隣にいる女の正体に気がついたら――ティディアは思った――その買い逃したという何かを手に入れさせてやろう。それが何であっても手に入れてやる。困難であればこそ『クレイジー・プリンセス』は大暴れだ! その時の彼女は、きっと見ものであることだろう。
「――ほんと?」
 と、少しだけ、女性の声に力が戻った。
「でも悪いよ、うん、――うん、そうだね」
 その頬に笑みが浮かぶ。
「それじゃあ、ご馳走になっちゃおうかな。たくさんお肉食べるよ?――あはは、冗談冗談、え? いいの? うん、じゃあ楽しみにしておくね」
 女性は元気をある程度取り戻したらしく、うなずきと共にポニーテールを跳ねさせる。
「後でまた、連絡してね。急がなくていいよ、お仕事終わるまで『トック』で課題でもやってるから。それじゃ」
 言って少し待ち、女性は左右の人差し指の爪を打ち合わせた。そして空中で右手の指を数回躍らせる。きっと彼女はディスプレイ・コンタクトレンズをつけていて、前者の動作はメニューの呼び出し、後者はメニュー操作であったのだろう。が、彼女の爪は見た目には普通の爪で、瞳もただ黒い。
「……はあ」
 通話を終えた女性は立ち上がり、そこで一度ため息をついた。兄の厚意で多少の元気を取り戻せたとしても、何かを買い逃したことが相当ショックであるらしい。そして彼女はそのまま右方に去ろうとし、何かをふと思い直したらしく、正面のフリーマーケットスペースへ歩いていった。
(――本当に『残念』ね)
 折角至近距離にありながら、彼女は大チャンスを逃してしまった。……いや、ニトロには「逆だ。チャンスをしっかり掴んだんだ」とでもツッコまれてしまうだろうか?
「お待たせ、ティナ
 ポニーテールと入れ代わり、今度はファストフードがやってきた。
「……」
 ティディアは、笑うしかなかった。

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