00:01(王都時間11:01) ―小吉―


 ルッドラン地方は標高の高いこともあり、平地に比べてずっと早く秋の装いに身を包んでいる。夜風はもはや初冬の吐息だ。かたかたと鳴る窓から内へと染み込んでくる夜気は物寂しく冷え冷えとして、空調を効かせた部屋にいながらも、古い書き物机に向かうミリュウの胸には秋愁の気配がそっと忍び込んでくる。
 ドアがノックされた。
 応じると、第二王位継承者の女執事が入ってきた。
「そろそろお休みになってはいかがですか?」
 そう言う彼女の手には盆があり、厚い陶器製のカップに湯気が立っている。ミリュウがそれを見ると、
「ホットミルクです」
「ありがとう」
 目を細める王女の前にことりとカップが置かれる。
 ミリュウは手にしていた本に栞を挟むと、そっと机の上に置いた。その本もまた古い。紙はとっくに黄ばみきり、保護のためのカバーフィルムが貼られているため装丁は無事だが、中身には所々に補修の後がある。タイトルは『牧童歌』――昔、ルッドラン地方の羊飼い達が歌っていた牧歌の中でも代表的なものを集めた歌集だった。郷愁を感じさせるものから、少し卑猥な要素を含めたものまで幅広く網羅され、中には現在でも民謡として残っているものもあった。
 ミリュウはカップを両手で持ち、舌を火傷しないように少しだけ口に含み、砂糖をいれずとも甘みを感じる濃厚な乳に頬を緩めた。つい今まで読んでいたのは切ない恋の歌だったが――
「『おらのねえちゃん』は聞いたことがあったわ」
 それは、飲み屋で上機嫌になったチーズ職人達が歌っていたものだった。ちょうどそこに自分が入っていくと、皆して慌てて歌をやめ、さらに誤魔化し笑いを浮かべてそのまま合唱までやめてしまったことはとても残念だった。内容は確かに喜んで聴けるものではなかったが、あの楽しげな雰囲気には心が躍り、できることなら仲間入りしたかったのに。
 一方、ミリュウの言葉を聞いたセイラは、困ったように、それとも怒ったように眉を寄せていた。――そう、本当に、あの歌は『王女』が喜んで聴けるものではなかったのだ。
(でも、お姉様なら喜んで聴いたでしょうね)
 その上、一緒になって歌ったことだろう。もしかしたら歌詞に合わせてお尻をふりふり踊りもしたかもしれない。そうして、もし、そこに『彼』もいたら? きっとその人は色々ツッコみ回って忙しいだろう。その時、弟もその場にいるだろうか? いてくれたらどんなに嬉しいことだろう。もしそうなれば、私は弟と、姉とニトロさんの即席漫才を一緒に大笑いして見ていたい。
「……お姉様のことでも考えてらっしゃいますか?」
 ふとセイラに言われ、ミリュウは少し目を見開いて彼女を見た。
「それとも――パティ様でしょうか。そんなお顔をしていらっしゃいます」
 ミリュウは何も応えず、ただ微笑みだけをセイラに返した。セイラにはそれで十分であり、嬉しそうな主人の顔に、彼女の心は主人以上に嬉しくもなるのだ。
 そして、
「ところで、王都から報告はあった?」
 ホットミルクをすすりながら、ミリュウは声に真剣さを滲ませて訊ねた。
 その気配にセイラも真剣みを含んでうなずき、
「いずれも大好評、とのことです」
「そう」
 ミリュウは先とは違う形に目元を緩めた。
 彼女は、セイラの兄の知人が王都で営んでいるルッドラン料理の店に、ここでお世話になっている人達の商品を――あくまでセイラの兄を通して――いくつか仕入れてみてもらったのだ。臆病なお爺さんの作るチーズ各種、商魂たくましいお婆さんのチーズプリン、チャレンジスピリットしかない父子が作った燻製と新しい調味料……
「良かった。みんなに良い報告ができるわ」
「とても自信になるでしょう」
 王都で好評を得たからといってそれが成功に繋がるとは限らない。しかし、王都で好評を得るということはやはり一つのステータスとして存在する。特に衰退の一途を辿るこの場所から発信した物が、さらなる栄華を極めんとする王国の中心で認められたとなれば、そうだ、自信になるのだ。そして自信は気持ちを引き上げて、引き上げられた気持ちはそれだけで前進する。前進し続けるための力を得られる。
(――私も、そうだったように)
 ミリュウには、ニトロに『えらい』と言ってもらえたことが忘れられなかった。それ以前にも、やはり姉に認められたことがどんなに自分を支えていたか、今となっても忘れられようはずもなかった。
 かたかたと窓が風に鳴る。
 秋愁がミリュウの心に沁み、彼女のたなごころにはホットミルクの熱が沁み込む。
「明日……ううん、もう、今日ね。早速知らせなくっちゃ」
 物思いに耽るようにつぶやく主人の横顔に、セイラは母性にも近い感情を抱きながら静かにうなずいた。そして――またかたかたと窓が鳴る――
「さ、ミリュウ様、そのためにもそろそろお休みになってくださいませ。明日は朝から訪問客もございますから」
「ええ、そうね。お姉様にメールを送ってから――」
「あ、もう今日ですたな」
 間違いに気づき、真面目にも慌てて言い直したセイラが思わず訛る。
 ミリュウはホットミルクをすすり、微笑んだ。
「ええ、そうね。セイラ」

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