9:50 ―小吉―


 商談を終えた後、その商談相手に食事に誘われて、初めは遠慮しようとしたところがふと『この店の料理は話のネタになるかも』と思ったことは大正解。
 王都の美食家達も唸る食材集まるジスカルラ中央市場そばの小さな料理店で、ハラキリは舌鼓を打っていた。
 この店に目玉料理は特にない。だが、上質な食材を用いた全てが美味しい。フライドポテト一つ取ったところでどうしたことか、チェーン店のものとは比べ物にならず、まさにこれだけでも絶品と言える。市場近くの料理店でこれほど素晴らしい思いをしたのはこれで二度目であるが、しかし、それはきっと運が良いことなのだろう。ハラキリは、少し厚めに切られたスティック状のジャガイモ――鮮やかな黄金色で、塩加減も絶妙に、さくっと齧ればほっこりほわりと実がほどけるフライドポテトを堪能しながら、そう思う。
「……ッだからですね、何でなのかが分からないんですよ!」
「はあ」
「だって俺はね、頑張ってたんですよ? 俺は色々雑だからちゃんと気を配って、優しくしてたつもりなんですよ! だって前はそれができなくて大失敗したもんですから? でも今回はうまくいってたはずなんですよ、ソーニャだっていつも喜んでくれてたんですから!」
「はあ」
「どう思いますか! ジジさん!」
「……はあ」
 そして、商談を終えた後、その商談相手に食事に誘われて、初めは遠慮しようとしたところがふと『この店の料理は話のネタになるかも』と思ったことが大失敗。
 商談相手であった若旦那がメレンゲのように滑らかな泡を戴くビールを二杯飲んだところで、そのアルコールが、どうやら“悪いところ”に入ったのである。
 そのキッカケは、会話の流れで何気なく辿り着いた、若旦那が今朝犯してしまった失敗の原因について。
 その時、既に顔を真っ赤にしていた男は三杯目をぐっと飲み干すと、聞かれてもいない恋愛談義を怒涛の勢いでぐわっと吐き出したのだ。あっちこっちに脱線する話をまとめると、要は結婚を心に決めていた相手が急に別れたいと言い出した……ということだった。
 ハラキリにとっては大して付き合いのあるわけでもない相手の痴話喧嘩の内容など聞く趣味はないし、酔っ払いの相手をする趣味も全く持ち合わせていない。しかし、最近付き合いのある連中がことごとく意志の強い人間で、さらに一筋縄ではいかない人間ばかりであったため、こんなにも情けなく弱音を吐露して年下相手に管を巻く大人を眺めるのは逆に新鮮だ――と、そんなことを思ってしまったことが、ハラキリの第二の大失敗であった。
(そういや、恋愛絡みじゃ昨日面倒を被ったばかりでしたねぇ)
 内心嘆息し、反省するハラキリの面前では長い管が巻かれ続ける。
「おかしいんですよ。だって、最近は喧嘩なんてまったくしてなかったんですよ? あいつが怒った顔なんて、もう何ヶ月も見てないんですよ? それとなく結婚の話題をふったら……ぅッ……かわいい笑顔だったのに」
 ところで、ハラキリには、相手がこの話題を始めた時からずっと気になっていることがあった。
 肉汁溢れること堪えられないメンチカツを切り分けながら、彼は訊ねてみた。
「ところでハモンさん、何故に敬語になっているんですか?」
「だって! ジジさんは伝説の『恋の守護天使』じゃないですか!」
「ゴフッ」
 メンチカツのあっつあつの肉汁を堪能しようと舌に乗せたところに予想だにしないことを言われ、ハラキリは思いっ切りむせた。危うく咳き込みそうになるのを数回の咳払いで何とか堪え、眉根を寄せてハモンを凝視する。
「はい?」
「だってジジさんがティディア様とニトロ様をくっつけたって話じゃないですか!」
「――ああ」
 なるほど、と、ハラキリは合点した。確かに、あの『映画』で共演した関係上、そういう説が少しだけ噂されたことがある。それがどうやらハモンの中では真実と化し、なおかつ、その説を信奉する者には『ハラキリ・ジジ』は守護天使扱いまでされているということか。無論、そうとなるのも馬鹿みたいに影響力の強いお姫様の威光を賜ってのことだろうが――
(まったく、迷惑な話ですねぇ)
 胸の中では愉快気に、しかし表では苦笑いを浮かべてハラキリは言った。
「いいえ、その話は違いますよ。あれは王太子殿下が自ら引き当てたんです」
「ほんとーですかぁ?」
「ええ」
「……それならそれでいいんですけど……」
 いまいち釈然としない、否、一応表では納得して見せながらも、胸の内では絶対に納得していない顔でハモンはビールをちびりとやる。そのビールは確かに美味そうで、ハラキリはおおっぴらに酒が飲めるようになったらもう一度ここに来ようと決心していた。――それはともかく、
(ということは、初めからこの話がしたかったんですかね)
 初めからではなくとも、少なくとも途中からは間違いなく。
 そして、そういえば、と自分を食事に誘った時の彼の目に閃いていた光の意味を今更ながら理解して、ハラキリは勉強になったとメンチカツを飲み込んだ。その脂の甘みが香り高く消えていく後味の素晴らしさに、自然と頬が緩んだ。
「それじゃあ、お疲れ様でした」
 ふいに聞こえてきた声にハラキリがそちらを見やると、そこには帰り支度を整えたホール係がいた。サマナと呼ばれていた彼女とハラキリの目が合う。すると、彼女は彼に親しげな笑みを送ってくる。それは一人の客に対するものというよりも、有名人に対する眼差しであった。
(目立つのは好きじゃないんですけどねぇ)
 しかし、声の大きなハモンがこうして喋っているのを前にして素性を隠すことなどできはしない。そして――
(……ああ)
 ハラキリは、気がついた。
「サマナちゃん、もう上がりかい?」
「もう行かないと授業に遅れちゃうんだ」
 ポニーテールにしているサマナがその髪を飾っているリボンは、最近巷で『キモノ地』と呼ばれているものだった。その髪型からしても、彼女はニトロ・ポルカトか――あるいはオリジナルA.I.芍薬のファンなのだろう。であれば、先の笑みにもより理解ができる。
「勉強頑張ってな、単位落としちゃだめだぞ」
 隣席の老人がサマナに満面の笑顔を向けて手を振る。他の客も彼女を陽気に送り出す。
「皆も飲みすぎちゃ駄目だよ――って、こんなこと言ったら怒られちゃうね」
 古洒落ふるしゃれた革製のミニトートバッグを片手に、その反対の手を客へ振ってみせるアルバイトのセリフに苦笑しているのは店の女将と厨房を担う旦那だ。顔つきに似たところがあるのを見ると、店主とアルバイトという以上に親戚だろうか。
「ジジさぁん、どうすればいいんですかね、俺……。ソーニャ、俺が本当に嫌んなっちゃったんですかね……」
 あまり酒には強くないらしく、だんだんぐっちゃりし始めたハモンを見、おそらく大学に行ったのだろうサマナを見送ったハラキリは、ふむと鼻を鳴らした。
 美味しい食事で腹も膨れた。人間観察にしても腹一杯だ。自分も今から学校に向かえば四限目に間に合うだろう。早く手に入れた品の中身を確かめたい気持ちはあるし、ここまできたら全休と行く手もあるのだが、あちらにも昼休みに確認しておきたいことがある。
 となれば、ここが潮時だった。
「そうですねぇ」
 そのためには、とにかく目の前の酔っ払いを片付けなければならない。何も言わずにこの場を仕舞うことはできないだろう。メンチカツの残りを食べながら、ハラキリは脳裡に適当な『結論』を組み立て出した。
「拙者にはよく分かりませんけれど、いっそ乱暴なくらい強気にいったらどうですか?」
「強気ですか……? でも「話を聞くに」
 ハラキリはハモンの反論を断ち切り、続けた。
「どうやらソーニャさんは、あなたのことが嫌になったのではなく、あなたの優しさに不安にさせられているように思えるんですよ」
 よどみなく、しかも適当に言いながら、ハラキリはこの路線で進めることに決めた。
「優しさと愛とは近しくともイコールではありません。ソーニャさんは、だから不安なんじゃないですか? あなたに優しくされればされるほど、この優しさは本当に愛情なのか? 優しくしないことで失敗することを恐れているだけで、実は、本当にはわたしのことを思っているわけじゃないんじゃないか――あなたは、『前』がどうのこうのと仰ってましたがね」
 ハモンは、真剣にハラキリを見つめている。
 飄々と、ハラキリは続ける。
「言ってみたらどうです。
 はっきりと、愛していると。
 その上で『俺について来い、絶対に幸せにしてみせる』くらい断言してみたらどうです。聞いている限りじゃ、相手の様子を伺いながら、それは結局相手の心を疑って探ってばかりで、その調子ではどうせはっきりした言葉は一つも言っていなかったんでしょう? 『分からない』というのは彼女の言い分ですよ。あなたは彼女をどうしたいんですか? 彼女がどうこうじゃなく、あなたが」
 ハモンは、酔いも醒めたかのようにハラキリを見つめている。
 当のハラキリはしれっと言う。
「ちょうど臨時収入があったんです。ちょっといい指輪が買えますよ?」
 すると、バン! と大きな音を立ててハモンがテーブルに手をつき、立ち上がった。
「ジジさん! ありがとう!」
 そしてハモンはそれだけを言い、深く頭を下げると一目散に店を出て行った。
「……」
 そうして取り残されたハラキリは、メンチカツの最後の一切れを食べた後、苦笑した。
「雑、というよりは、単に粗忽者ですねぇ」
 ここの食事は彼が奢ってくれるはずだったのだが、支払いもしないで行ってしまった。
「お勘定をお願いします」
 食い逃げするわけにもいかないのでハラキリがホールに出てきていた女将にそう告げると、太った初老の女はじろりと彼を睨むように見た。
「いいよ、あのマヌケにつけておくから」
 それだけを言って、テーブルの上の空いた皿を片付け出し、
「あんた、適当言ったろ?」
 ふいに、囁くように女将は言った。
 ハラキリは答えず、飄々とミネラルウォーターを飲んでいた。
「でもね、間違っちゃないね」
 にやりと笑って、女将は重ねた皿を持っていく。と、途中で振り返り、
「成人してからまたおいで。今度はわたしが一杯奢ってやるよ」
「おお、オレも奢ってやる。にいちゃん、あんたやるねぇ」
 女将に続けて言ったのは隣席の老人だった。
「あのバカの煮え切らないのにはそろそろ我慢の限界だったのさ。ソーニャちゃんがかわいそうでなぁ、あんた、よく言ってくれたよ」
「はあ」
 突然、立て続けに好意を受けたハラキリは生返事を返し――マヌケだバカだと言われつつ、あの威勢がよくも情けない若旦那は周囲から良く愛されているらしい。
「そうですね。また来ます。しかし次は友達も連れてきたいんですが……それでも奢りは有効ですかね?」
 返ってきた答えは、応。
 ハラキリは、声を立てて笑った。

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