「キリがいいところで。
 100」
「100!?」
 ハモンは信じられないとばかりに声を上げた。隣席の老人二人が驚いてしゃべる口を止め、一瞬、店内の注意が全て彼に集まった。
「……本当にか?」
 店内にまた喧騒が戻っていく中、未だ信じられぬと目をむいてハモンが囁くように言う。
「『ガラクタ』の山にあったもんだぞ? 爺さんだって本物を買えるような金持ちじゃなかった」
 そう、15万から9万へと値を下げたのは、彼が三枚のレコードを疑っていることに尽きる。そして彼には、偽物と疑いながらその値段を口にする疚しさがあった。しかし、
「本物だったらこちらがぼろ儲け、ガラクタならそちらがぼろ儲け、というだけです。文句はないでしょう?」
 ハラキリはそう言って、微笑んだ。
 嘘は言っていない。
 本物だったら、広い銀河には阿呆みたいな収集家がいるものだ、うまくオークションにかけられればこの倍でも利かない。さらに、これがもし『“違法”な本物』だとしたら……ブラックマーケットにでも流せば倍どころの話ではない。十倍、五十倍でも手に入れられるか分からない。広い銀河には、ド阿呆な上に金に飽かせた収集家がいるものなのだ。
 そして、ハラキリは強い確信と直感を以て、このレコードが少なくとも『真品』であることに賭けたのだ。無論転売するつもりなどさらさらないが、逆に言えば100万リェンで手に入るなら破格に過ぎる。
「ああ……うむ」
 客の言葉に圧倒されたハモンは、呻くように鼻を鳴らすと腕を組んで考え込んだ。
 今、彼の頭の中では客によって促された真贋への疑惑が、もし本物だったら――という期待が引き寄せる欲望と共に大きな渦を巻いていることだろう。
 ハラキリは、ポニーテールを細いリボンで飾ったホール係を呼びとめ、まだ何も頼んでいなかったハモンのためにアイスティーを頼んだ。ホール係はやけに表情豊かに返事をして、すぐに厨房に向かっていった。
 はっとハモンが顔を上げる。
 が、ハラキリは先んじて、
「いえ、勝手に頼んだのですから、こちらが払います。ああ、それからもちろん、もしガラクタだったとしてもこちらはガタガタ言いませんので」
 ハモンは二の句が継げなかった。言い値の十倍以上もふっかけられて、計算の最中に余計な情報を放り込まれて、しかもそれは世間体にも関わるようなことで、さらに、彼にはそもそも客との約束を忘れて迷惑をかけた……という負い目がある
 やがてハモンは、
「――――わかった!」
 バン、と両手で両膝を叩き、大声で断言した。
「俺の方もガタガタ言わねえ。いや、そんなに出してくれるんなら文句なんてあるはずもねえ!」
 ハラキリは、にっこりと笑った。
「母が喜びます。ありがとうございます」
 ハモンには実際に購入するのは母だ、ということで話をしてある。自分は名代。そもそも異星趣味は母のものという前提の話題であったし、大金を扱うのだから、やはりこうしていたほうが何かと都合がいいのだ。
 そしてハラキリのその言葉に、ハモンは笑顔を引き出された。
「こちらこそだ」
 商談は成立した。ハラキリはうなずき、
「では、早速ですが、こちらが代金です」
 と、ブリーフケースの中から100万リェン札を取り出し、テーブルの上に置いた。
「お納めください」
 ハモンの目が大きく見開かれた。
 ちょうどアイスティーを持ってきていたホール係がびっくりしてコップを落としそうになり、何とかコップそのものは落とさずに済んだものの、冷たい紅茶を隣席の老人に派手にぶっかけてしまった。
「つめっちぇ!」
「ご、ごめんなさい!」
「ああ、いいよいいよ、サマナちゃん。こんなん拭けゃいいんだから」
「すぐタオル持ってきますね!」
「いいって、それよりちょっとおっぱい触らせてくれりゃ」
「もう! セクハラじじい!」
 隣席に大きな笑い声が上がり、それにつられて周囲も笑う。サマナと呼ばれたホール係はポニーテールを左右に振りながら肩を怒らせ厨房に戻っていく。タオルを取りに行ったのだろう。実際、戻ってきた彼女の手にはタオルがあり、やり取りからして顔馴染みらしい客の頭を拭き始めた。
「うちの孫娘もこんだけ優しけりゃあなぁ」
 と、老人が言うと、ホール係は苦笑いを浮かべながら何事かを言っていた。彼女に代わって、太った初老の女――どうやらこの店の女将らしい――がアイスティーを持ってきた。
 その間、ハモンはずっと目をむいたままテーブルの100万リェン札を凝視していた。
 女将はハモンのことを知っているらしく、不可思議な様子を見せる彼を不思議そうに見つめ、それからやっと紙幣に気がついてぎょっとした。が、ベテランの経営者らしく、そのまま何事もなかったかのように厨房に戻っていった。
「商売柄、たまにゃ現金キャッシュも見るが……これは驚いた」
 六代前の王の肖像が描かれた紙幣を凝視したまま、ハモンは言う。
「初めて見たよ」
「実は、拙者もです」
 ハラキリは嘘を言った。だからといってどういうこともない嘘だった。しかし、目を細めて言うハラキリの様子に、ハモンは何やらため息をつき、それから目の前に座る『助演男優』をじっと見つめ、やおら、大きな右手を差し出した。
「改めてお詫びするよ。待たせてすまなかった。そして、改めて感謝する」
 ハラキリは、にこりと笑ってその右手を握った。
「こちらこそ」
 ぐっと力を込めて手を握り合い、清々しく離したところでハラキリは言う。
「で、領収書をいただけますか?」
「あ、そうだな。分かった」
 ハモンは携帯を取り出し、流石に慣れたもので素早く領収書を作成した。ハラキリが携帯を差し出すとすぐに赤外線を通じてデータが送られてくる。ハラキリは眉をひそめ、
「ハモン果実店名義でよろしいのですか?」
「――ああ! そういやそうだな。それだとあれだな」
 言って、慌てて作り直す。ハラキリは一枚目の領収書のデータを消し、改めて受け取った。店名に代わってホレンゾ・ハモンと書かれている。ハラキリはうなずいた。
「確かに受け取りました」
「呆れるくらいしっかりしてるなあ」
 笑いながら、とはいえ震える指で丁寧に折り畳んだ紙幣をおそろしく慎重にカードケースに入れ、次いで少し早口にハモンは言った。
「ところで、ジジさん、時間はあるんだよな?」
「?」
 いそいそとレコードをブリーフケースにしまっていたハラキリはハモンを見返し、その双眸に妙な光……尊敬? 敬意? とにかくそれに近い光を浮かべる男を怪訝に思いながら、
「ええ。まだ少しは」
「なら、せっかくだ、是非あんたに一杯奢らせてくれ。ここの酒はうまいんだよ」
 その言葉に、ハラキリは流石に苦笑した。ハモンはまたしてもうっかり忘れている。
「折角ですが、拙者はまだ未成年ですので」

9:49 ―凶―


 二限目、ニトロは現代国語の授業を受けていた。
 今日は一年生時に学んだ範囲の復習の三回目で、女性教師が現在のアデムメデス語に見られる感情表現がどの時代に、どのような文化を背景に醸成されてきたかということを語っている。文法を中心とした論理的構造についてのおさらいだった前回と違って、教師は適切な豆知識だっせんを交えて時代背景を説明しながら、アデムメデスがロディアーナ朝に統一された後、各地の言語が次第に共通語――現代語――に纏まっていく過程をダイナミックに描いていた。ざっと近代までの重要事をさらった彼女は、明日からドロシーズサークルで開かれる『文芸祭レトワーザート・フェス』は元々アデムメデスの言葉を収斂させる目的から設立された委員会が元になっているという豆知識を披露した後、ここで大古典時代に戻り、ロディアーナ朝初期の重要な文学史的事件としてルカドーの戯曲『魂の家』についての大論争を語り出した。
 その概要は、それまで文学において国教会の影響もあり一貫して『心』は魂に依拠するものとして扱われていたところにルカドーが『心』を物質として扱う表現を持ち込んだ、というものだった。当時の価値観からすれば悪魔の発想である。しかし作品の持つ魅力がその悪魔的な視点に救いを与え、国教会のみならず当時の王まで巻き込んだ大論争の結果『そのような思想も一つの価値観』として受容されることとなり、それはやがて、アデムメデスにおいては『心』の座は魂――つまり精神にあるのではなく、肉体――脳にあるという医学的な見地への発展に寄与することとなった。
「ちなみに当時、心臓は魂と肉体をつなぐ中心器官とも考えられていたわ。『神梁』というのが、その場合の名称ね。最近はあまり言われなくなったとはいえ聖典には何度も出てくるし、小古典・大古典にも頻繁に出てくる重要語よ」
 教師は、ここでルカドーが当時どのようにしてそのような『心』への思想を持つに至ったかを語り出し、彼が大陸各地の文学作品を読み漁っていたこと、さらにアデムメデスの医学の進歩に多大なる貢献を果たした覇王の息子、初代第一王位継承者である『無冠王』の研究文献が少なからぬ影響を与えたことを語り、そこから少し先回りして王家がアデムメデスの言語の変遷にどのように関わってきたかのポイントを流麗に語り出して、総復習だからこそ可能な文学史を俯瞰するコツを生徒に教えていく。
 と、その時だった。
「?」
 ニトロの前の席に座るミーシャが、ふいに窓の外に注目した。
 それに気づいたニトロも外へ目を向けると、この教室のある第一教室棟の校庭に面した非常階段の出入り口付近に哨戒無人機ドローンと警備アンドロイドに行く手を遮られる三人組がいた。その三人組はドローンとアンドロイドに囲まれ、非常階段から遠ざけられるように校庭の片隅に追いやられ、ちょうど校庭で体育の授業中の――そして授業を中止した教師に呼び集められている生徒達の注目を集めている。続けて見ていると、現場に人間の警備員と教職員も加わってきた。三人組は間違いなく第一教室棟内に侵入を試みた連中らしい。大学生くらいだろうか。男が二人、女が一人。いずれも大口を開けて何事かを主張しているが、その声は防音に秀でた窓に遮られてこちらまでは届かない。
 表向きには平然としながらも内心ではため息をついていた彼は、ぼんやりと思った。
(卒業生かな?)
 騒動の起こりやすい状況にある昨今、それ相応のセキュリティが設けられた現在では学校敷地内に入り込むのは難しく、入ったところですぐに警備システムに補足されてしまう。今月に入ってからも『ニトロ・ポルカト』を――またはスクープを――求めて侵入を試みる無謀者は何人もいたそうだが、全て校舎に辿り着くことはできなかった。
 だが、正規に敷地内に入ってくれば、そしてこの学校の構造を熟知しているのなら、あの三人がいる場所まで侵入することは不可能ではないだろう。そう、例えば母校を訪問する卒業生としてなら、事務棟前の正門を通ることができる。
 ただ、この母校訪問にも現在では大きな壁がある。『ニトロ・ポルカト』が世に出た初期、母校訪問をしようという卒業生が増えたために(それまではある程度緩かったのだが)事前予約が必須となり、また、授業中に廊下を歩き回られるのは迷惑なため、放課後になるまでは事務棟一階、及び職員室のある二階までしか移動を許可されなくなった。しかしそれでも問題が出たため、さらに移動制限がつき、特別な許可――例えば部活動やサークルの指導・手伝いとして招かれる――がなければ、放課後でも職員の付き添い無しで自由に見学できることはなくなった。入校の際に渡される許可証は、職員の付き添いがない場合、移動可能区域外に入ると警告音が鳴るようにまでなっている。
 おそらく。
 あの三人は正門に入るまでは正規の手続きに従っていたのだろう。しかしそこから受付に行かず、直接第一教室棟を目指した。
 第一教室棟の一階出入り口は、校門(最も生徒が利用する西の門)正面の昇降口と、棟の東端(事務棟側)にある昇降口の二つが主で、加えてちょうど棟を左右に分かつ線に沿って据えられた非常階段を加えて三択となる。校門側の昇降口は正門からは最も遠い。最も近いのは校庭に面した東の昇降口で、おそらく三人の第一目標もそこだったのだろうが、彼らと彼女がそこに辿り着くより先に哨戒ドローンが行く手を遮ったのだろう。そこで慌てて非常階段を目指したものの、そちら側からも哨戒ドローンもしくはアンドロイドがやってきて、あえなく失敗と相成った。
 もし、この推測が当たっているのなら、あの三人はそこに辿り着いただけでもかなりの幸運があったと思う。普通なら正門から校庭側に出てくる前に警備に捕まっていたはずだ。
 対応に引っ張り出された教職員は、明らかに困惑していた。その態度を見ると顔見知りらしい。
(……あくまで、母校訪問で押し通す気かな?)
 母校訪問については学校のWebサイトに詳細が記されている。禁止事項にいくつも引っかかっているからには、彼らは不法侵入にも問われるはずだ。それを避けるには、やはり、自らが悪用した『卒業生という立場』を最大限使うしかないだろう。泣き落としを試みているのか、それとも激しく後悔したのか、女性が手で顔を覆っている。
「ばかだね」
 その声は、明らかに指向性のあるものだった。目を落としていたニトロがそちらを見ると、半身に振り返ってミーシャが目を細めていた。
「……」
 ニトロも、目を細めた。
 母校訪問で押し通せるかどうか、それとも情状酌量を得られるか、あるいは余地なく不法侵入と判断されて分不相応なほどに痛い目を見るか……それは、きっと、自分の考えるべきことではないだろう。
(……)
 だが……それでも、どうしてもこの事態の因果に関わる身としては、彼らと彼女とが罪分不相応なほどに裁かれることには、どうしても……心に重いものを感じてしまう。
 ――と、
「おい」
 ふいに二人に小さな声がかけられたのと、
「それでは――」
 ほぼ同時に飛んできた現代国語の女教師の声は、これもまた明らかに指向性のあるものだった。
 はっとしてニトロが前を見、ミーシャも慌てて前に振り返る。二人に気づかせようとしていたクレイグは、間に合わなかったことを悟って残念そうに口を歪めた。
 教師は、いつの間にか窓際にいた。
 彼女も外の様子に気づいていたが、もちろんそれは授業に集中していない二人の生徒から察したからであるらしい。
「話を戻して『魂の家』の問題の場面を誰かに読んでもらいましょう。……ジェードさん? アトリアニを。ポルカトさん? ギュリーを」
 ミーシャが再び半身を振り返らせる。
 ニトロはミーシャと目を合わせ、共に呻いた。

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