その計画が発表された時、マナラン市役所前広場に集まった群集は水を打ったように静まり返った。
 無理もない。演壇に立つ『町おこし』を担った王女様は、こともあろうに彼らの集まる広場にこそ糞を垂れる女の像を建てると言ってのけたのだ。唖然とするほかにない。中には理解が全く追いつかない者もいるだろう。実際、演壇の王女の両脇にいる市長をはじめ名士達はぽかんと大口を開けている。
「目指すはアデムメデス一の大きさよ。色は黄金、全部金色、全裸の女も全力のアレも物の見事に真ッ金々、夜はもちろんライトアップ! 微妙な光量でぼんやり不気味に浮かび上がらせるわ。ひょっとしたら幽玄厳かに見えるかも」
 王女は嬉々として語り続ける。
 誰も彼女を止められない。止めようとすることもできない。
 シンと静まり返った広場でただ一人、あらゆる視線の集まる壇上で笑顔を弾けさせる姫君――クレイジー・プリンセス・ティディア――希代の王女にして、色んな意味で無茶苦茶な第一王位継承者。彼女に疎まれることは即ち社会的な死を意味し、つれて実際の死にもつながる恐怖の存在!
「臭いも再現しようと思うの。流石に常にそれだと厳しいだろうから、日に三度、スメル放出って感じで、こうプ〜ンって」
 瞳を輝かせる最強にして最凶のお姫様に、何か反対意見をぶつけるなど誰にできようもない!
 沸き立つ希望から一転、マナランは失望の底にあった。未来図を描く声が愉快気であればあるほど絶望の色が増していった。
 しかしその頃から、一方、失望の底にある一つのものが芽吹き出していた。絶望の色の裏側から透き抜けてくる光があった。
 そうだ。ただ一人、この悪夢を修正し得る人がいる。彼がいる!――誰もがそう思い始めたその時だった。
「あほーぅ!」
 市役所玄関から広場へと、期待のツッコミがえらい剣幕で飛び出してきた。
 歌うように流れていたティディアの饒舌がぴたりと止まった。
 同時、マナランの群衆は駆けつけてくれた期待のツッコミの効力に歓喜し、歓声を上げようとしたところでまた、同時に、一様に、息を飲んだ。驚き? 無論それもある。しかしそれ以上に群衆は大きな戸惑いをもって彼を――声と物言いからして間違いない、ニトロ・ポルカトを迎えていた。
 皆の作る広場の得も言われぬ空気に気づいた少年が足を止める。どこか気まずそうにもじっとする。が、彼はすぐにその感情を別の形に変換することに成功したらしく、気を取り直して肩を怒らせると棒立ちの警備隊の間を縫ってずかずかと王女の立つ演壇に登った。
 一段高い場所に上がった彼を、陽が明るく照らした。
 すると彼は、見事きらびやか、黄金に輝いた。
 上から下まで過度にラメった真ッ金々のシャツとスーツとシューズに身を包み、同じく金色の蝶ネクタイを喉元に煌めかせ、日当たりの良い衆人環視の中心で、彼は実にゴールデンに光を放ったのだ。
 あまつさえ髪はショッキングピンクに染められている。派手に派手が合わさるコーディネートには一種奇妙な収まりがあるものの、しかしそれでも彼には似合わない。ひどく似合わない。いや、解っている。それは間違いなくこの後のイベント、そこで行う漫才のための衣装だ。しかし、だからって、ニトロ・ポルカトの性質を思えばこれは「どうしちゃったの?」と精神にお伺いを立てるレベルである。市役所前広場が息を飲むほど戸惑ったのも、無理のないことだった。
 ニトロが演壇の王女と並び立つ。
 ニトロを迎えた王女ティディアは、おかしなことだが、彼女も聴衆らと同じく戸惑っているようだった。今にも「どうしちゃったの?」と問いかけそうに深い困惑を眉根に潜ませ、じっと『相方』を見つめ、
「やだ、こんなに似合わないなんて!」
「うっさいわ! 分かってるわ! 俺だってスタッフがこれ持ってきてから小一時間悩んだわ!」
 ティディアはふむとうなずき胸を張り、
「その時間を計算してスケジュール組んだ私、大正解!」
「黙れこの馬鹿!」
 怒鳴るニトロに対して、ティディアはぶりっ子ぶって口を尖らせ、
「何よぅ、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない。第一それ、ここの市旗を元にしてるんだから文句があるなら元市長に言ってほしいわ」
 瞬間、マナラン市役所前広場が一つの理解に支配された。
 マナラン市の市旗は、二代前の市長の手で金とショッキングピンクのチェック模様に改められた。中央にはビビッドカラーで七色に染め分けられた、輸送の拠点であった過去を誇る、トラックを図案化した市章。
『町おこし』の一手、とにかく注目を集めるための奇策。そして確かに注目を集め話題になったが、それもすぐに忘れられ、今では悪趣味な市旗・市章として笑い物になっている負の遺産。
「スタッフに伝えるよう指示していたけど?」
「聞いたよ」
 歯噛むようにニトロは言い、そこで大きく息をつき、
「それで思い直した。金とショッキングピンクのチェック柄な全身タイツに車の被り物をさせられないだけマシかと思ったんだ」
 肩をすくめ、洒落めかせてそう言った。その口調と様子とに、聴衆の気が和らいだ。彼の言うことはもっともだ――と、安堵にも似たものが皆の心を緩ませる。幾らかの人には笑顔も見られた。そして一人だけ、険しく――渋面を作る者がいた。ティディアだ。
「しまった。その手がもっと嫌がらせになったか」
「嫌がらせだったのかい!」
「え? それ以外に何があるの?」
「いや半分判ってたけども! ここは誤魔化しでも『マナラン縁に合わせまして』ってことにしとけよ!」
「いやだから、マナランへの嫌がらせなんだってば」
「そいつぁ全然判らなかった!」
「何でよ! 私がニトロに嫌がらせするわけがないじゃな−あ痛! え? 何でビンタ?」
「二重にド肝を抜かれて思わずな!」
「そんなに驚くことかしら!」
「何をちょっとキレ気味か! あれか、人の振り見て我が振り直せの逆用か、悪用か? 見てみろ、皆さん思わぬ上に遠回し過ぎる攻撃にビックリ眼だ。市長さんたらあんなに目が丸くなってら!」
「あら、そんなに目が開くなんて立派な芸だわ」
「感心しろって言ってんじゃないわ! 大体『大便女の像』だけでもとびきりの嫌がらせだろう」
 その指摘に皆がはっとした。自分たちでもどうかと思う旗印への揶揄は正直――ニトロの対応のためもあって――苦笑いだ。しかし『大便女の像』は笑っていられない。この王女はやると言ったらやってくる。止められるのは、おそらく、君しかいない!
 聴衆の望む本題に入り、演壇に集まる眼差しがニトロへの期待に変わる。しかしそれらはすぐに戸惑いの色に再度染まった。今度はティディアが目を丸くしていたからだ。
 その様子にニトロまでもが困惑する中、彼女はいたく傷つけられたように叫んだ。
「嫌がらせだなんて、ひどい! 真剣に考えた一発ギャグなのに!」
「なおさら悪いわあ!」
 スパン! と、ニトロの振るった平手がティディアの額と小気味良い音を奏でる。
「言うに事欠いて一発ギャグ!? しかも下ネタとかお前マナランの皆さんの期待と税金使って何さらそうとしてんだ!」
「まあ、お聞きなさい」
「何だ、いきなりそのキャラは」
「ギャグと言ってもそれなりの集客効果は見込めるのよ」
「その心は」
「まず話題性は抜群よね」
「まあ王族が音頭をとって建造するもんの中じゃあトップクラスのバカ物だろうからなあ」
「銀河規模で笑えるわよね」
「笑われる、だ。解ってるだろう」
「でも芸術にもなると思うんだ」
「思うだけなら何だってな」
「根拠はあるのよ?」
「聞きましょう?」
「排泄を必要としない種族がいるでしょう? 少ないけれど。あちらから見ると排泄行為は生命が互いに支え合っている連鎖の象徴で、摂取したものを完全にエネルギーとして消費できる自分達に比べて非効率の象徴でもあるけれど、それがかえって不完全な生命の連帯を強めて神秘的にさえ感じるって。もちろん全員が全員そう考えているわけでもないけれど」
「つまり芸術はそれに因んで、継いで穀倉地帯のこの場で『我々も食物連鎖の中に』と高らかに示すと」
「そういうこと」
 思わずのため息がそこかしこに流れた。ニトロも感心顔でショッキングピンクの髪を揺らし、
「おお、意外にしっかりした理屈が出てきてビックリした」
「つってもウンコはウンコだけどね」
「台無しだー!」

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