「子どもの頃からさ」
 ニトロが一歩踏み出す。ハラキリも後に続いた。
「色んなフラワーフェスタに行ってたんだけど」
「お母上に連れられて?」
「まあ先頭切るのは母さんだけど、いつも家族で行ってたよ。それでいつも花に夢中になった母さんが迷子になるから迷子センターに迎えに行くのがお決まりでね。センターについたら母さんは呑気に他の迷子と仲良くなって遊んでるし、大抵母さんを引き取ってる頃には父さんがはぐれてるから、今度は迷子センター付近の美味しそうな料理を出してる店に捕まえに行って、最後には種や苗を大量購入しそうになる母さんをなだめるのがお約束だった」
「それはまた、昔から苦労してたんですねぇ」
 実際にニトロの両親に会い、ニトロと両親のやり取りを見聞きして家族間の『役どころ』を知るハラキリは、友人の昔話に楽しそうな苦笑を返した。
 ニトロは――本当はハラキリがこちらの言葉にツッコんでくれるのを待っていたのだが……しかし気づいてもらえなかったからには仕方がない。一つ息を挟み、
「どのフラワーフェスタにも見所があって、中には何これ? ってのもあったけど、やっぱり有名なところとかは子どもながら圧倒されたりしてたんだ。ほら、メルロア宮殿の『薔薇の庭園』とか、グランデロッカスのアデムメデス最大の花畑とか」
 どちらも毎年必ず季節の便りとしてニュースに流れるものだ。ハラキリはうなずいた。
「ここと同じみたいに一種一色の花だけで盛大に、っていうのもあったし、それで感動したこともある。けど……何か違う」
 ニトロは路の先に広場があり、そこに大きな池があることに気づいた。入口から路が伸び、その先に池を抱える広場――とはアデムメデス中央大陸によく見る公園の造りだが、しかし、今は全く別の世界の花園に迷い込んだ気分だ。元々自然にあったものであるらしい池は湧水を湛え、浅瀬は透明に、深みは蒼く、鏡のような水面には花びらが無数に浮かんでまた美しい。
「単純に綺麗だって思う。だけど、綺麗だと思うだけじゃなくて……」
 そこで、ニトロは言葉につまった。
 自分の感情を言い表せないもどかしさで顔を曇らせる友を見て、ハラキリは言った。
「日本では、これこそ人生、と喩えた人がいるそうです。――ライフイズビューティフル! しかしお前は美しいが故に、なんと哀しい」
「ああ、なるほど、それ、解る。うん、そうかも。ちょっと……切ないのかな?」
 花は満開に咲き誇り、咲き誇りながらも散りゆく。その散りゆくものの寂しさ。
 ――だが、花は散っても枝は朽ちない。
 花が散っても枝を伸ばす木さえ生きていれば、再び花は咲くだろう。
 そして、また咲き誇り、散るのだ。散って、また咲き誇るのだ。
「人生かあ」
 ニトロは蒼穹を仰ぎ見た。そこにも花のひとひらが無数に舞う。
 ニトロは、瞼の裏に、悪夢の中で邂逅した『人生』を映していた。
 薔薇色の影――その輪郭は間違いなくあのバカのそれであった影に血を吸い尽くされ、砂と化して崩れていった『“我が”人生』。
 あの砂は、また形を作ることができるだろうか。形を成せぬ砂になれども血肉を取り戻し、座らされた玉座から逃れ、薔薇色の影を打ち破って再び己の色で輝けるだろうか。
 いや……だろうか、ではない。だろう、でもない。するのだ。血肉を取り戻すし、玉座を後にするし、再び輝く。
「うん」
 ニトロはうなずいた。
 その肩に桜が舞い落ちる。
 ハラキリは、今朝からニトロの表情の奥から消えずにあった影が、今この瞬間に消えたことを見取った。目的だった『オハ・ナミ』を前にしてリフレッシュが済んでしまったのは予定外だったが、まあ良いだろう。
(……否)
 待て。
 ハラキリは思い直した。
 ……良いわけが、ない。
 これから行われる『オハ・ナミ』。
 自分はティディアに語った。『ブレーコー』のことを。
 それを聞いている時のあの王女の瞳! あの輝き! 間違いなく、彼女は企んでいる。美味しく食事をしたいと言っていたからには落ち着いた宴も用意しているだろうが、絶対に“それはそれ、これはこれ”で何かを考えている。でなければ、こんな桜の園を大金かけて突貫造園なぞするものか。
(少々――悪い、な)
 リフレッシュ前の、ちょっと人生に疲れを見せるニトロ君なら拳骨くらいで済んだかもしれない。こうやって彼をハメたことへの罰は。
 だが、リフレッシュして元気を取り戻したニトロ君なら何をしてくるか。同じ拳骨でもひどく痛かろう。蹴りならまだ良し、できれば頭突きまでで済んでくれるとありがたい。
 ……まあ、リフレッシュ前だろうが後だろうが、どちらにしたってあの『ニトロの馬鹿力』が出てしまった時には――拳骨にしても頭突きにしてもうっかりしたら頭蓋が割れちゃうくらいの威力だ――色々覚悟しなければならなかったが……リスクコントロールを考えればこの状況は正直、最悪だ。『中の下レベルのリスクもしくは極限』だったはずが、『大の上レベルのリスクもしくは極限』に成り代わってしまった。
 あの時ティディアが指摘していたように、結果的にニトロに殴られてもコストと割り切れる。だが、かといってコストもリスクも低いに越したことはない。
(お姫さんに連絡がつけられれば)
 彼女もこちらとほぼ同様のリスク感覚を持っていたはずだ。それくらい解らぬ彼女ではない。いや、解っていながらクレイジー方面に突っ切る彼女でもあるが、だからこそコストに見合わぬとばっちりを受けるのはさらさら御免だ。状況変化の報告に併せて『今日は点数稼げ』と説得すれば、今日は大人しく宴会だけで押し通せるかもしれない。その希望はある!
「今更思ったんだけどさ」
 花匂い、花に酔う――とばかりに上機嫌に、ニトロが言った。
「なんでこんな名所が知られてないんだろう。人もいないし」
 ハラキリは内心の動きをおくびにも出さず、しれっと応えた。
「ここはつい最近できたそうですよ。本格的な開花も今年からのようで」
 嘘は言っていない。この桜がこの地に舞うのは今年、というか今週からだ。正直数日で花も散らさず大移植を行うと聞いた時には耳を疑ったが、王女は先日『新薬・新技術の治験・実験、今のところ大成功!』と嬉々として連絡してきた。規模は大きくないが地味に需要のある分野で『このままうまく行けば国際的に寡占にもってけそう。細かくでっかく儲けられそうでワクワクよー』とも笑っていた。
「そうなんだ。じゃあ、こんな風に独占できるのは今だけか」
 ハラキリの言葉を疑う点はいくらでもあろうに、ニトロは、こんな素晴らしい場所につれてきてくれた親友の言葉を素直に信じていた。
 ハラキリはニトロの反応にちょっと心を痛めた。一方で身勝手にも小さな不満を感じ、そして何より焦った。
(電話は――)
 通じたとしても、どうやって電話する? 今、ニトロから、彼に会話を聞かれぬほどに離れてしまえば、それを好機とクレイジー・プリンセスが現れる可能性はより高まろう。彼女はこちらに協力を要請しながらも、こちらの隙を突く気は満々なのだから。彼女を止めたいのに、彼女を誘い出すような行動は取れない。であれば電話は不適だ。
(メール)
 ならばニトロの傍にいたまま送れるが、もし、ニトロが「誰に?」なんて興味を持ち出してきたらマズイ。いくらでも誤魔化す手はあるが、王女の攻勢を繰り返し受けている内に彼は勘の鋭さを増しつつある。既に不自然な状況に疑念を示していた彼が、それを機に一気に“気づく”危険性は拭えない。
「それじゃあ、明日にでもここに来るよう母さんに言っておこうかな。この花吹雪の勢いだと見頃もそう長くないだろうし」
「それがいいでしょう。これだけの場所が、すぐに人を呼ぶのも不思議ありませんから」
 実際、観光の目玉にする計画もあると王女は言っていた。過去の栄光を取り戻したい地元の活性化、地域経済振興への一助。明晩には知られる『恋人』と王女がデートをした場所と触れ込めば宣伝効果も絶大だ。来年は見物客で一杯だろう。
(メール、しかない)
 桜のトンネルを抜け、誰もいない広場に入ったところで、ハラキリは決心した。ニトロに勘付かれるリスクは背負っても、それ以上のリスクを回避するための手立てを講じないわけにはいかない。手短に『緊急事態』と送るだけでも十分な牽制になるだろう。
 ハラキリは、ポケットから携帯電話を取り出した。
「電話?」
 何気なく、実に何気なく、ハラキリの行動に反射的に、ニトロが携帯電話を手にした友人への定型句を口にした。
「いえ、メールです」
 ハラキリは飄々と答えた。するとニトロはうなずいて、心持ち足を速めてハラキリから離れた。用件が済むまでそこで風景を楽しんでるよ、と言うように微笑んで。
「……」
 自然的な景観を活かすため玉石たまいしで護岸された池の辺へと向かうニトロの背を見て、ハラキリは頭を掻いた。
 基本的に善人で、お人好し。それに最近、彼の素直さは両親の天然成分から来たものだろうな、とも思う。
 正直、本来であれば自分のような人間と付き合う人種ではない。しかし度量が大きいのか何なのか、少なくとも裏社会に通じる人間を相手に普通に付き合う。あの王女とも、警戒心猜疑心敵愾心を剥き出しにしながらも、それでもおおよそ『普通』に……普通に、ツッコミ倒す。
 あの『映画』の経験が彼をそうさせるのか。それとも、
(単純に人間的に強いのか)
 メーラーを起動しながら、ハラキリは笑みを刻んだ。
 ――と、その時だった。

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