「さすがお友達、完璧な解答ね!」
パン、と一つ手を叩いてティディアは笑う。
機嫌の良さに加えてあまりに無邪気な彼女の様子にハラキリは苦笑し、
「お友達ならそちらも解ってくれていることでしょうが、いくらお友達に頼まれたからって一方の友達が嫌がることを進んで行うなんてことはありませんよ?」
「そうねー。もし、ハラキリ君が人の好いニトロの友達だったらそうでしょうねー」
持って回ったハラキリの物言いにもティディアは笑顔を崩さず、細めた双眸の奥の奥から彼を覗き込むようにして、
「私は、解っているつもりよ?」
言った。
「ハラキリ君は、私と同じ」
「……拙者がお姫さんと同じ、ですか」
「ええ。ちょっと、私と同じ」
「なるほど……ではどうちょっと同じなのか、察しの悪い拙者にお聞かせ願えますか」
ハラキリの促しに、ティディアは含み笑いをそのまま言葉に変えた。
「ハラキリ君も、結構面白好きでしょ? 私よりずっと大人しいけれど、でも、このクレイジー・プリンセスとあのニトロ・ザ・ツッコミの間に起きる事に、興味を示さずにいられない程度には。機会があればニトロが嫌がるような悪乗りも辞さず、自ら彼をいじる程度には。そして、そうした時、結果的にニトロに殴られることになってもそれをコストだと平気で割り切れる程度には」
「……」
「君がとても抜け目がないことも承知しているわ。損得を量る天秤の精度は高いし、割り切りも早い。だから、何だかんだ言ったって解っているでしょ? ニトロの友達で、私の友達でもあれば、美味しい思いがたくさんできるって。大借金を補って余りある、小銭稼ぎで得られる貨幣は実は全て純金製だって」
「……」
「君がいつまで、どれくらい私とニトロの『夫婦漫才』を楽しむつもりかは判らないけれど、でも今は適度に楽しむつもりでしょう?」
「…………」
「ね?」
腕組みを解いて少しうつむき、黙したまま拳で顎の先を軽く叩いて考え込むハラキリへ、ティディアは悪魔のように美しい笑みを送った。
「だから、遠慮なく楽しみましょうよ。友達同士」
希代の王女は銀河を背負い、宇宙に浮かぶテーブルの向こうで両手を広げて『応』を待つ。
一瞬、眼前の女と大昔に書かれた物語に出てくる人を狂わす妖女の姿がダブって見えて――ハラキリは、瞼に浮かんだその馬鹿げた挿絵を内心で嗤い飛ばした。
(まぁ、概ね――)
彼女はこちらのことを利用しようとしている。どの程度利用したいのかは判然としないものの、まあ、ニトロ・ポルカトという獲物との“共通の友達”という接点の増加を図ると同時に、こちらが彼女にニトロの様子を伝えること以上の協力をしないことがないよう……つまり友達であるニトロのみに力を貸すのではなく、同様の論理で友達である自分にも力を貸すよう――縛りをかけておく、という二点は間違いない。
ちらほらと『ティディア姫の恋人の存在』を“噂”として流し出し、その『恋人』を公にするための
さらには己の手札を増やし、選択肢を広げるための一手でもあろう。
(それに)
こちらのニトロに対する立場はけして『完全な味方』ではないことを見透かした上での、この“魔女の誘い”自体も、嘘ではあるまい。
一石投じることで何羽の鳥を得るつもりだろうか、この欲張り王女は。
(…………)
だが……まあ、いいだろう。
「そうですね、楽しむこととしましょうか」
利用する、という点についてはこちらも望むところだ。彼女の持つ『力』を利用すれば――因果なことに利用されることもあちらの望むところだろうが――得られる恩恵はとても大きい。
まずは、今回。
ちょうど腹に抱えている計画があったから、それに利用させてもらおう。
「とはいえ、今回は友達として協力しますが、程度や場合によっては『依頼』扱いにしますのでご了承下さい」
「あら、それは友達をお金で売るってこと?」
ここにきてティディアが飛ばしてきた皮肉を、ハラキリは肩を軽くすくめて弾き飛ばした。
「友達そのものを売ることはしませんよ」
ハラキリが返した応えは、彼の意思を示すに必要十分のものだった。もし、万が一にもこれを汲み取らないようだったら即座に前言を撤回して去るつもりだったが、しかし、ティディアはハラキリが思っていた以上に喜色満面でうなずいた。
「ドライなようで、ハラキリ君って結構情に篤いわよね」
「さあ、そう仰られても個人的には良く判っていませんので。返答は致しかねます」
「ふぅん、そう?」
ふふ、と、唇を薄くして笑うティディアを見つめながら茶を飲んで、ハラキリは
「さて」
と、勢いをつけて切り出した。
「これがまたなんともタイミング良く、この時期に相応しい心当たりがありましてね?」
ハラキリの言葉を聞いたティディアは、ほんの一瞬、ほんの一拍にも満たない間、あえてわざとらしい態度を見せる曲者に意味ありげな視線を投げかけた後、まるで新しい玩具を手に入れた子どものように瞳を輝かせて口の端を引き上げた。
「聞かせてくれる?」
その麗しく輝くクレイジー・プリンセスの笑顔を皮肉気な片笑みで受け止め、ハラキリは言った。
「辺境の星・
……と、時にして六日前、ティディア-ハラキリ間にてそのような密談があったことをニトロは露知らず――というか思い当たりもせず。
あの『映画撮影』からおよそ一ヶ月。
とうとう明日にはその情報が正式に公開されてしまい、しかもその瞬間には、自分は『主役』として王女がパーソナリティを務めるラジオに出演していなければならないという絶望的な今日この頃。
いよいよ平穏な日常が終わる刻を前にして、ニトロはそれでも――いや、だからこそ余計に“普通に”日常生活を送っていた。
朝起きて、食事して、登校して、ぼんやり授業を受けて、級友と喋り、放課後は直帰するか(それともバカに絡まれるか)誰かと遊んでから帰り、夕食を取り、それからシャワーを浴びて寝る。
できるだけ『映画』前と変わらず、できうる限り“それまで”と同じように暮らして、そうして“これから”起こる大変化への耐久性を保ち、かつ耐久性を高めていこうとしていた。大丈夫。自分は“そうなっても”こうやって生活していけるし、ちゃんと自分を保って身も心も守っていける――と。
だが、いくらそう己に言い聞かせていても降りかかるストレスの灰は静かに、時に激しく大量に心に積もっていくもので……
今朝、ニトロは、夢を見た。
悪夢だった。
あの城の玉座で『人生』が断末魔の悲鳴を上げていた。玉座に座し悲鳴を上げ続ける『人生』の膝には薔薇色の影が座り、影は『人生』の心臓に牙を突き立て血を吸い取り、血を吸うごとにさらに輝きを増していく。それを、青褪めたニトロ・ポルカトは黙って見つめていた。助けを求める『人生』に駆け寄ることもできず、震えて動けぬ無力な己を嘆くことしかできず、輝きのあまり薔薇色から虹色に変色した影の、その両目、その黒紫の瞳に射抜かれて――ニトロ・ポルカトは、血を吸い尽くされ砂と化して崩れていく『人生』をじっと見つめ続けることしかできなかった。声をかけることすらできず、ただただじぃっと、それはもう儚く、切なく、哀しく、痛ましく……
うおお、寝覚めの悪さの何と凄まじかったことか!
さすがに今日一日は立ち直れそうになかった。寝込みたいくらいだった。しかしニトロは顔色も優れぬまま半ば意地のように登校した。
そして、力のない足でようやく校門に臨む道に至った時、親友に声をかけられたのだ。
「酷い顔ですねぇ。どうかしましたか?」
ニトロは語った。今朝見た夢の話を。ハラキリは「素晴らしい追いつめられっぷりで」とゲラゲラ笑った。一発殴ってやった。
殴られたハラキリはそれでもなお愉快そうに笑みを絶やさず、それに対するニトロの文句を飄々とかわした後、こう問いかけてきた。
「でしたら、今日は学校をサボってリフレッシュしに行きませんか? 良い場所がありましてね」
最後の平穏な登校日。
それを捨ててしまうのは勿体無い気もしたが、平穏にサボれるのも今日が最後となるだろう。
ニトロは少し考えた後、
「サボりなんて悪さを働かせるんだ。リフレッシュできないようなところに連れてったら、またドツいてやるぞ?」
と、冗談めかして言い、その言葉にハラキリは、
「それは怖い」
と、笑みを見せた。