「はぁ……」
 ハラキリは一国の王女が茶を注いでくれたことに軽く会釈して、早速カップを手にすると唇を湿らせた。
「そう仰られましても、聞かせてと言われた『ニトロ君の様子』について、これ以上お伝えすることは何もありませんが」
「あるわよ。まだ私が一番聞きたいことは一言も伝えられてないもの」
「強いて思いつけるとしたら、お姫さんご自身への感想でしょうか? 例えばこういう仕草にくらくらしたとか、押し当てられた胸が柔らかくてむらむらした――みたいな」
「そうそう! でも『みたいな』じゃなくて正確なのを!」
「それに対する答えこそ、察せない貴女ではないでしょうに」
「うわ、何かそれ、ちょっと手厳しい言い方じゃない?」
「そうですかねぇ? 至極真っ当な言葉だと思いますが」
「手厳しいわよぅ。ね、何でもいいから教えてくれない? ニトロ、何て言っていた?」
「了解いたしました。そんなに無力感を味わいたいのであれば、何でも正確に教えて差し上げましょう」
「あ、やっぱいいわ。オッケー、それで十分」
 大昔、アデムメデスの宗教改革の大震源地となった一室で、宗教までをも統一した男の子孫は、たった一国民に対してぺろっと舌を出しかわいこぶって己が否を示してみせる。
(ふむ)
 その姿を、表立って逆らわぬまでも型破りな『クレイジー・プリンセス』に対して良い感情を抱いていない伝統派の貴族が見たらどのような反応をするだろうか。もし見ることができるなら見てみたい気がするが……いや、そもそもこの部屋にたかだか一般市民を招き入れては手ずから給仕する王女という時点で色々おかしいか。というか、それも今更か。
 歴史ある部屋に対する感慨とはまた違った趣を味わいながらハラキリが茶を飲んでいると、
「でさ、まあ確かにハラキリ君の言う通り、ニトロの反応がそんなもんだろうなってのは判っていたのよ。デートを重ねるごとに何だかガードも固くなっていく一方だし……。それだけならいいけど色んな反応も硬くなってきているし、何より肝心のツッコミに元気がなくなってきちゃってる」
「おや、そうですか? ツッコミに関しては、以前と変わらないと思いますが」
「違うのよ」
 ティディアは唇を尖らせた。
「表面的には全く同じよ。でもね、こう、手応えが違うの。丁々発止も間合いがほんの少しだけ違う」
「はぁ」
 ハラキリは眉根を寄せた。ニトロから元気が失せてきているというのは知っているが、ツッコミに関しては彼女の言い分は良く解らない。昨日も教室で彼にドツかれたが、それは実に受けていて気持ちの良い職人芸だった。彼と自分のやり取りは周囲も面白がっているようで、以前に比べて自分の周りにいるクラスメートの数は増える一方だ。
「とにかく、違うの」
 しかしティディアは強弁する。
 ハラキリは思案し、
「まぁ、おひいさんがそう仰るならそうなんでしょう」
 と、一応の納得を返した。もしかしたら、ボケだけが察知できるモノでもあるのかもしれない。
 ティディアはいまいち得心のないハラキリの反応にしばらく唇を尖らせていたが、やおら息をつき、
「一時的なものだろうし、解決策もないわけじゃないんだけど」
 そう言ってぺろりと舌なめずりをする王女の『解決策』とやらが何なのか……ある程度の予想はつくし、多少の興味も引かれるところだが、しかしハラキリは問わぬことにした。その代わりに、言う。
時期的に、荒療治の副作用リスクはとりたくないと?」
 ティディアは大きくうなずいた。そしてわずかに身を乗り出し、わずかに上目遣いにハラキリを見る。
「だからね? ものは相談なんだけど、聞いてくれないかな?」
 声のトーンを少々高めてティディアが最後に言った決まり文句を受け、ハラキリはカップを置いて腕を組んだ。
「猫撫で声は意味がありませんよ」
 嘆息混じりのハラキリに、ティディアは片眉を跳ね上げてみせた。その悪戯めかした様子にハラキリはもう一度息をつき、
「それに、相談、というより本題でしょう? わざわざこんな『接待』までして……全く、わざとらしい。交渉に情は挟みませんので、そのつもりで話を進めてください」
 呆れ声で指摘され、ティディアはニンマリと笑った。
「あら、察しがいいわね」
「先ほど、そんなに察しが悪かったかと聞きませんでしたかね」
「それはそれ、これはこれよぅ。大体、これまでは私が遠回しに協力してってお願いしても、まったく気づいてさえくれなかったくせに」
「解って無視していたんです。そちらこそ知っていたくせに」
「うん、知ってた。だから、この席を用意したのよ。じっくり相談したかったから」
 ティディアは、そのセリフの中で特に『相談』に力をいれて言った。どうやら……これは『依頼』のための“交渉”ではなく、単純に知己としての“相談”だということらしい。
(――ふむ)
 ハラキリは腕組みを解く間に計算を済ませ、切り返した。
「相談を強いたかったから、の間違いでしょう?」
「それを解っておきながら君が来てくれて、私嬉しくってついつい100g100万リェンのお茶を出しちゃった」
「そんなことを言われたところで、相談に情はみ入れられませんなぁ」
 平然と茶を啜るハラキリの耳を小さな舌打ちが叩く。下品に舌を打った王女はいかにも不満そうに口をへの字に曲げながら、しかしその瞳は相手の妥協を歓迎するそれだ。
「……言っておきますが」
 ハラキリはカップを置くと姿勢を崩し、背もたれにだらしなく体重を預けた。
「拙者はニトロ君の友達ですよ」
「もちろん解っているわ。でも、私とも友達でしょ?」
「おや、そうでしたっけ」
「そうよー。少なくとも私はそう思っているもの。私はハラキリ君の、お友達だって」
 ハラキリは、ティディアの瞳をジッと見つめた。元より情や思考を表に出さぬ彼女を相手に、眼の動きから言葉の真偽を探ろうとしても無駄なことだろうが……
「まぁ、いいでしょう。多分友達ということで」
「そうそう。それでいいの。ハラキリ君にとってもメリットばかりよ? 私が友達だと」
「そのメリットは小銭稼ぎのわりにデメリットは大借金になるような気がしないでもありません」
 その物言いにティディアは思わず口の端を持ち上げた。
「やー、言ってくれるわねー。この私を相手にそんな例えを面と向かって言ってくれるのは、君くらいのものだわ」
「他にもニトロ君がいるでしょう」
「ニトロはツッコミ。君のは皮肉。それとも嫌味?」
 ティディアは何がそんなに楽しいのか、呆れるくらい機嫌良く言う。
 ハラキリは一息の間を置いて、肩をすくめ、
「それで? 相談というのは……愛玩動物にしたばかりの草食動物を餌付けしたいのに味覚と記憶が狂うくらい全身全霊で警戒しちゃって美味しくご飯を食べてくれないので、ここらでお仲間を用意し安心させて、ついでに楽しくいじって可愛がりたい。だから付き合え、そしてニトロ君と楽しむためのネタがあったら提供しろ――というところでオーケーですかね?」

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