(なんでヒントを出したのかな)
 フーニを演じるに当たって、ヴィタは非の打ち所がなかった。どこにもぎこちなさはなく全ての言動が自然だった。フーニを詳しく知らないこちらにとって、彼女はまさしく『クィービィ・フーニ』その人だった。
 ただ一つ、あの特有の眼差しがなかったなら
 これまで完璧であったヴィタが、つい素に戻ってあの目をしたということはないだろう。おそらく、あれは故意だ。わざとあの眼差しを向け、そしてこちらがそれに違和を感じたのを見計らい、自ら彼女の瞳を連想させる話題を振った。
 ならば、もしや彼女が開花を待つと言ったブルームーンベリーは本来クィービィ・フーニが深夜に人と会うことを迷惑がらずに了承した理由付けのためではなく、初めから彼女の正体を疑わせるための促進剤ヒントとして用意されていたのだろうか。
「毎日か。それじゃあ……」
 フーニは手首を一瞥した。そこには意識していなければ見落としていただろう――実際に今まで見落としていた――見覚えのある腕時計があった。
「今日も?」
 彼女が時計を見たのは日付が変わっていないかをただ確認していたように思えるが……まさか、それはそうして時計に気づかせようという『ヒント』の一つなのか。
「ええ、ここに来る前に」
 だとすれば、それらは一体何のために?
 そもそも、ヴィタがなぜ『クィービィ・フーニ』としてここにいるのか、という疑問がある。
 最も考えられるのは今頃パーティー会場を騒がせているであろう主人の元へ自分を連れていくため、獲物を油断させるカモフラージュとして変装しているということ。
 しかし、ここまで彼女に自分を拘束しようという気配は一欠片も見当たらず、それどころか事ここに至ってもその素振りすらない。このまま母への彼女らからのプレゼントの受け渡しを終え、歓談の後にそれじゃあさようならと手を振って帰れそうにさえ思える。
 本当に、一体何を考えているのだ。
 もしや、彼女は先ほどこちらへ語り聞かせた『ティディアの気遣い』を伝えるメッセンジャーとしてのみそこにいるのだろうか。
 ……考えられないことではない。ティディアに対する好感を上げるため、あいつがいないところであいつの心遣いを、それも人づてに伝えるというのは効果のある手だと思う。
 だが、もしそうであったらばこそ正体を明かしてはならないではないか。その御心を伝えたのが忠実な執事であるとバレれば全てが水の泡。目論見とは逆に強烈な反感を得てしまうだけなのだから。
 ――訳が解らなかった。
 考えれば考えるほど疑問が重なり当惑が深まっていく。
 『フーニ』を見れば、そこにあるのは変わらぬ目の輝き。心に残るライトグリーンの瞳は、ジッとこちらを見つめている。
 観察するように、舞台上の役者に期待をかけているかのように。
 それともこちらの困惑を見透かしているのか。
 会話の間を置き、結ばれた彼女の唇は真一文字にも見え、薄く曲線を描いているようにも見え、その奥にある真意を悟らせようとはしない。それなのに、彼女の眼は、今やあからさまに己の正体を伝えようと力強く訴えかけてくる。
 何を――
 彼女は、一体何のために?
(……直接聞く、しかないか)
 このまま考え続けていてもらちが明かない。まして、このまま時を過ごし相手の企みが判るまで待つなどという悪手も打てない。
 すでに相手に先手を打たれている状況だが、せめてもの応手は返そうとニトロは立ち上がった。
「すいません、トイレに行きたいんですが」
「あら?」
 そのセリフに誰より早く反応したのは、意外にもリセだった。
「ニトロ、まだ一人で夜のおトイレ行けなかったかしら」
「行けるよ、ってか行ってたろ小さい頃から俺一人で真夜中も」
「家だとメルトンがいるじゃない」
「それを言うなら母さんだって一人で行けてないじゃないか」
「――っ!」
「いやいや何もそんな目ぇひん剥いてまで驚かなくても」
 母にそう言いながらもなぜか顔に出てきた羞恥を紛らわすために一呼吸を置き、ニトロは続けた。
「とにかくそういうことじゃなくて。学校は閉門時間が過ぎたらあらゆるドアにロックがかかるってこと、常識だろ? だからフーニ先生がいないと」
 ロックのかかったドアを室外から開けるには学校関係者のIDが必ず要る。学生ならば学生証、教師ならばそれ用の身分証が。
「ああ、そう言えばそうねぇ」
 母が腑に落ちた顔をするのを見て、ニトロは『フーニ』へ振り返った。
「そういうわけで、いいですか?」
「構わないぞ」
 頭を掻きながら立ち上がり彼女は言った。
「子守にゃ慣れているしな」
「ヤな言い方ですねぇ」
 彼女はわざとらしく目を細めると、ニトロの脇をすり抜けドアに向かった。
「あ、ブルームーンベリーのことは平気なの?」
 慌てた様子のリセの問いを背に受け、『フーニ』は足を止めた。
「咲き出したらこれに連絡が入るようになっている。そん時は急いで戻ってくるよ」
 と、腕時計を示し、リセが安心するのを見た後、
「暗証番号は『463』だ。戻る前に何か問題があったら来てくれ」
 言いながら彼女は室内のセキュリティパネルのキーを打ち、ロックを解除するとドアをスライドさせて外に出た。
 ニトロはちらりと芍薬に目を向け、イチマツが不安を示さず小さくうなずいたのを確認し――そして、彼女の後に続いた。

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