「フーニ先生は?」
「チョット待ッテネ。今、学校ノ管理システムニ応答カケテルカラ。
 ……――『お待ちしてました』ッテ。通用門デ待ッテルソウダヨ」
 芍薬がそう言うや右折を示すウィンカーが点灯した。このまま直進して街道に面するコーゼルト学園高等部の正門へ向かうことなく、目前の交差点を右折し、ともすると学園から離れていくように脇道へ車を進ませる。
 リセは一瞬何かを言おうとしたが、すぐに乗り出しかけた身をシートに沈めた。
 芍薬が粗悪な判断をすることはないと解っているのだ。
 先まで走っていた街道に比べて格段に街灯の少ない道を車は進み、ほどなく左折した車の前に一際明るい白色に照らし上げられた門がぼんやりと浮かび上がった。
 レンガ然と造られた強化セラミックの塀の一部を切り取って作られたそこに嵌め込まれているのは鋼鉄の柵。簡素だが一目見るだけで強固だと解る門扉の隙間から警備員の詰所が見え、そこから警備アンドロイドが一体じっとこちらに双眸の奥から電光を差し向けていた。
 芍薬が車を通用門の直前まで進ませると、鋼鉄の柵がゆっくりとスライドし始めた。
 警備アンドロイドはもう人工眼球の光を消している。詰所の傍らに女性が一人歩み寄ってきているのが見えた。彼女は太腿まで裾が垂れる上着をはおっていた。カーライトを反射して白々と輝くそれは、きっと白衣だろう。
「あの人かしら」
「そうじゃないかな」
 女性の姿を遠目に窺うリセにニトロが言う。
 芍薬は詰所の横まで車を進めて停め、ドアのロックを解除した。
「駐車場ニ入レテクルヨ。ソレマデイチマツハ自動オートデツイテイカセルカラ」
「分かった」
 芍薬にうなずきを返しシートベルトを外した息子を見て、リセがあたふたとシートベルトを外す。嬉しさ余って気が浮ついている母に落ち着きなよと苦笑しながらニトロが車を降りると、続いてリセが車を降り、最後に芍薬から命令を受けた汎用A.I.の動かすイチマツが車を降りた。
 イチマツはすぐに何か事が起きてもマスターの母親を守れるようリセに寄り添った。学園の管理システムの案内を受けて駐車場へと向かう車と入れ替わるように近づいてきた女性がニトロとリセに小さく頭を下げ、
「初めまして、クィービィ・フーニです。ヴィタから話は聞きました」
 ハスキーな声だった。
 イチマツと手をつなぎながら、リセが辞儀を返す。
「こちらこそ初めまして、フーニ先生。こんな夜遅くに我がままを聞いてもらって、本当にありがとうございます」
「いえ、ちょうど都合が良かったので」
 詰所の灯りの下で挨拶を交わす母とクィービィ・フーニの傍らで、ニトロは『クィービィ・フーニ』の外見は芍薬の集めてきた情報通りだと内心うなずいていた。
まるで別人を出してくる、ってのはなかったな)
 ニトロは早くも打ち解け出したリセとフーニに歩み寄り、
「こんばんは」
 意識をこちらに向けてきたフーニに頭を下げた。
「こんばんは、ニトロ君」
 リセとの会話を中断し、フーニも会釈を返してくる。
(……さすがにいきなり正体を現すこともない、か)
 ニトロは、彼女が『バカ姫の手駒』である可能性を当然捨ててはいなかった。彼はヴィタの園芸仲間だという若い教師を正面にし、改めて、素早く、彼女の印象を注意深く探った。
 クィービィ・フーニ。
 25歳。北副王都ノスカルラ出身。国立ジスカルラ大学理学部生物学科を優秀な成績で卒業、同大学にて教育職員免許状を取得。一身上の都合により退職した前任の生物学教師の推薦を受け、一昨年、私立コーゼルト学園高等部の生物学教師として着任。経験の浅い教師ではあるが、歳が近いこともあって相談を持ちかける生徒も多く男女問わず人気がある。ただし授業は厳しく、生物学を選択履修した生徒の学力を上げる一方で、赤点を食らわされる生徒の数までをも増やした鬼教師。
 背はニトロより拳一つ分低く見えるが、彼女は少し姿勢が悪いため、しゃんと背筋を伸ばし彼と並んだならば本来両者の間には目の縦幅分の差ほどしかないだろう。
 顔を合わせてまず目を引くのは、ライトグリーンの瞳だ。
 学校のWebサイトの教師のプロフィールで写真を見た時もそれはニトロに強い印象を残したが、実際に目の当たりにするとその新緑の眼が心を惹く力は思うより強い。また彼女は眼も大きく、美しい瞳に大きな目とくればそれは素晴らしいチャームポイントになりそうなのに、しかし瞼が半ば落ちているため彼女の目つきは悪く見え、それは瞳の魅力を引き立てるどころか残念なほど削ってしまっていた。
 痩せ型で頬骨の浮いて見える顔にはこれといった愛想もないため人当たりの良い人物という印象はないが、かといって心まで無愛想というわけではなく、こちらのことを歓迎していることは雰囲気からはっきりと窺い知れた。
 赤い髪はおそらく長く、ちょうど眼の真後ろで纏め上げられ、そこで雑に――それとも意図的に爆発させられている。
 それなのに側頭の髪は一本たりとも耳にかかからぬようきっちり整えられていて、よほど自信があるのかくっきりと露にされた耳は確かに形が良く、その両の耳朶じだでは小さな水晶を戴くピアスが柔らかに輝いていた。
 白衣の下には黒いフロントフリルのシャツにブーツカットジーンズといった出で立ち。足下は、校内用なのだろうヒールの低いミュールで固めている。
 一見ずぼらなのか確固とした独自のファッションを持っている人物なのか判別しがたいが、全体的に見ると妙に調和しているから不思議なものだ。その点を考えれば、この姿こそが彼女の人となりを見事に表しているのかもしれないと、ニトロはそう思った。
 ――つまり、癖のある人物だ、と。
 ヴィタの知り合いとして実に相応しい。
「良かったら、後で一緒に写真を撮ってくれないかな。ガキどもに自慢したいんだ」
(……また、口が悪く、豪快な性格から一部の生徒には嫌われている。か)
 芍薬のレポートの一文を思い出し、笑いそうになるのをニトロは何とか堪えた。私立コーゼルト学園は貴族や資産家の子息も多く通う名門校だ。中には初めて『ガキ』と言われた者もいるかもしれない。
「ええ、それくらいならいくらでも。ご迷惑をおかけしていますから」
「迷惑じゃないってフーニ先生も言ってるわよ?」
 リセが心外だと抗議を上げる。
「そりゃ本人はそう言ってもさ――」
 反射的にニトロが言い返そうとした時、
「本当に迷惑じゃない」
 口を止められたニトロが振り返ると、フーニは片笑みを浮かべてみせた。
「ちょうどいい暇潰しの相手が出来て、わたしも都合が良かったんだ」
「どういうことです?」
 ニトロは相手に悟られぬよう体の芯で身構えた。『暇潰し』とは少々嫌な響きがある。
 しかしフーニはニトロの気など知らぬとばかりに肩をすくめ、
「ここんところ、フラレっぱなしでね」
 それが何のことを言っているのか解らぬニトロを焦らすように、彼女は踵を返した。
「さ、行こうか。約束のものを渡すよ」

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