ニトロは母の話を聞いた時、ヴィタが「貴重な植物を分けてくれる」と母に紹介した『クィービィ・フーニ』が架空の人物ではないかと、まず疑っていた。
 人生における最大最強の宿敵――クレイジー・プリンセスは、現在、ニトロの住まう王都ジスカルラにはいない。
 母から連絡を受けるおよそ二時間前のこと。
 電映話ビデ-フォンを使った漫才の練習をしようと持ちかけてきた『相方』は、西方のグランロアド領にいると言っていた。珍しくいつも――「一日の終わりにあなたの顔を見ておきたい」と大抵23時頃だ――より早い時間と、王女のスケジュールにない滞在場所に首を傾げていると、これから地元の高校生主催のチャリティーパーティーに飛び入りで参加するのだと言う。
 そして、ヴィタはお母様と会うから置いてきた。ヴィタもお母様と食事をするのを楽しみにしていたしね……と。
 まあ、その言い分には筋が通っていた。
 サプライズ過ぎるゲストの登場にひっくり返るだろうパーティー会場を袖にして『面白好き』のヴィタがこちらに残っている不自然も、『第一ターゲットのニトロの母』を最優先にしたとなれば何の疑問もない。
 しかし、だからこそ、筋が通り何の疑問の持つ余地もないからこそ、余計に怪しかった。
 今となって思えば、あれは最凶の肉食ボケ痴女が遠くにいることでこちらを安心させて心に隙を作るための布石だったのではないか?
 事あるごとに悪巧みを仕掛けてくるバカ王女と女執事のこと。
 彼女らがいくら家族やハラキリ以外の友人を巻き込む『企み』を仕掛けてくることは滅多にないとしても、今回ばかりは意表を突き、母を利用しその息子を誘い出そうとしていることは十分に考えられる。誘い出した獲物を檻に閉じ込めサプライズ過ぎるゲスト第二段にしようと企てている、なんてことも……十二分に。
 そのため、ニトロは芍薬の調査で『クィービィ・フーニ』が実在しないと判明したならば、待ち合わせ場所で母を拾って即座に帰宅するつもりだった。それで母に文句を言われ残念がられても何とかなだめ、譲り受ける手筈の植物はハラキリを何とか拝み倒して別ルートで手に入れてもらえばいいと。
 ――だが、芍薬が集めた情報を慎重に精査して出した結論は、『実在』だった。
 それを聞いた時、ニトロは自分が意外にも落胆していないことに驚いていた。
 もし『クィービィ・フーニ』が架空の人物であれば、母を拾った後は即帰宅という最も安全な選択肢を取ることができたというのに……疑いを挟む余地などない芍薬の答えが、あるいは母を連れて罠の中に自ら飛び込む愚行をしなければならないと決定づける根拠となってしまったのに。ニトロは、自分でも驚くほどその結論を自然と受け入れていた。
 心のどこかで解っていたのだろう。
 そもそもそんな解りやすい罠を奴らが仕掛けてくることはないことを。
 そんな、調べればすぐに判るような『餌』をあの悪女共が用意などしないことを。
 とはいえ、
「だからといって、そう決め付けていたら――」
「フトシタ拍子ニ足ヲスクワレル」
 リセ・ポルカトが待つ場所へ車を走らせるオリジナルA.I.の声が、マスターの言葉を受け継ぎ悪態をつくように車載スピーカーを揺らした。道路地図が表示されたダッシュボードのモニターにA.I.の肖像シェイプは表示されていないが、それを見ずともニトロの眼には口の端を険悪に歪めて肩をすくめる芍薬の姿が鮮明に映った。
「イチイチ油断ナラナイ奴ラダカラネ」
「ん、まったく」
 嘆息混じりに肩をすくめて同意を返し、ニトロはちらと助手席を一瞥した。
 数分後に母が座るその席には今、小型のアンドロイドが座っている。身の丈90cm。見慣れぬ民族衣装に、見る者の警戒心をほぐす穏やかで愛らしい顔。良く手入れされ艶めく人工毛髪は立ち上がれば腰まで流れ落ち、遠い遠い辺境の地で『イチマツ』と呼ばれる人形を模ったそれは背をシートにもたれて脚を投げ出し、電源の落ち閉じた目を直線に切り揃えられた前髪に隠すようにうなだれている。
 そのイチマツは、道すがら落ち合ったハラキリ・ジジから学食二週間分を奢ることを条件に借り受けた、彼が所有するアンドロイドの中でも最高峰に位置するものだった。
 三歳児ほどの小さな体にも関わらず内部には実に様々な装置や武器が埋め込まれていて、暴漢に対するセキュリティロボットとしてはもちろん、およそニトロが思いつく限りの危険に対応するだけの能力を有している。
 無論あちらが思いつく限りの範囲を超え、常識外の攻撃を仕掛けてきたらこの一体だけでは足りないだろうが……まさか母を巻き込んでまでそれほどのことを仕掛けてきはすまい。
 その点だけは、信頼できる敵だ。
「全く今回は何するつもりなんだか……。
 これがただの善意か、母さんの好感を上げたいだけってんならいいんだけど」
 つぶやき、はたとニトロは首を振った。
「いや、そっちの方が面倒か」
母様ハハサマ、主様ガバカノコトヲ好キダッテ本気デ思イコンジャッテルモンネ」
「なぜか、ね。それにしても、何度違うって言っても母さんはなんで『照れ隠し』だと思うんだろうな」
「ソリャ、バカトヴィタガ余計ナコト吹キ込ミ続ケテルカラジャナイカイ? 今日ミタイナ時ニサ」
「……なんとなく、母さんを巻き込んでおかしなことを仕掛けてくれないかな? なんて思ったよ」
「ソウシテクレタラ、イクラナンデモ母様モ考エヲ改メテクレルダロウニネ」
 ――と、ふいにダッシュボードに左の方向指示器を点けたことを示すランプが灯った。カチカチと一定のリズムで刻まれる音と共に速度計の値が見る間に減っていく。前方には母がいるであろうコーヒーチェーンの看板があり、左方には不規則に埋まる駐車スペースがあった。芍薬は二台分空いていた駐車スペースの一方に車体を滑り込ませると静かに止まり、ライトを消すと同時にエンジンを切った。
 ダッシュボードのモニターに映っていた道路地図が消え、ここの管理システムが提供してきた情報が表示される。駐車時間十五分未満は無料、以降十五分毎に50リェンを加算と簡素に告げ、只今ただいまからカウントアップが始まった。
「迎エニ行ッテクルネ」
 その声は、車載スピーカーを通したものではなかった。音もなく起動していた助手席のイチマツが立ち上がり、ニトロに黒い瞳を向けていた。
「うん、よろしく」
 イチマツは頭を下げると、助手席の窓を開けてぴょんと外へ飛び出て行った。窓は自動的に閉まり、耳触りの好いインストゥルメンタルがカーステレオから流れ出す。
 芍薬がイチマツの側から車のシステムに干渉し、操作したのだ。
 小走りで『ブラウンコート』に向かうイチマツを、すれ違った男女が驚いたように、それとも興味を引かれたように見つめている。その気持ちをニトロはよく解った。今ではもう慣れ切ってしまったが、あのキモノという民族衣装は目を奪う。カラフルな色彩、エキゾチックなデザイン。それをイチマツ人形という見知らぬ姿をしたアンドロイドが纏って道を走っていれば、目と心を引かれぬはずはない。
 イチマツが入っていった、アデムメデス中に支店を持つコーヒーチェーンの『ブラウンコート』。
 その名に沿い焦げ茶のシャツと薄茶のエプロンをユニフォームとした店員は、現れた珍客にどんな反応をしているだろうか。
(目を丸くするかな。きっと)
 やはり、驚きと興味が背中合わせとなった感情のために。
 それから時を置かずブラウンコートから一人の女性が出てきた。軽やかな足取りで、ふわりとしたミディアムボブの黒髪を揺らして小さなアンドロイドと手を繋ぎ、まさか幼子おさなごのように手を引かれるとは思いもしなかったのだろう精巧な表情を生み出せる顔にどんな感情を刻めばいいのか戸惑っている様子の『芍薬イチマツ』とこちらへ歩いてくる。
 母だ。
 その背後でブラウンコートのユニフォームを着た女性が店内から少しだけ顔を覗かせ、店内に戻っていく。やはり物珍しいアンドロイドが気になったらしい。
(……そういや、目立つのはよろしくないか)
 今日は目的地に大勢の人はないからいいが、今後ハラキリにこのイチマツを借りることがあれば、あのキモノを別の服に変えてもらわねばならないなとニトロは思った。親友が口にしていたように、自分も最近、目立つのは好きじゃない。
 母はいつもより足早に歩を進めていて、彼女が車の脇まで来ると助手席のドアが自動的に開いた。

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