プレゼント

(第三部 2の「『心』より」と同じ頃)

 リセ・ポルカトは園芸を趣味としている。
 何でも夫であるニルグと同棲を始めた頃、あまり物を置かず殺風景な恋人の部屋に彩りを添えようと思い出のスライレンドでデートした際に小さな鉢植えの草花をいくつか買ってきたことが、そのきっかけだという。
 息子のニトロ・ポルカトが知りうる限りそれは母の唯一の趣味で、そのため母は暇があれば熱心に庭の花壇や小さな菜園の世話をし、それともインターネットのコミュニティで同好の士達との雑談や情報交換を楽しんでいたものだ。
 それを、父はもちろん、ニトロも問題に思ったことはない。
 リセはいくら園芸に精を出していても、夫と共に子育ての手を抜くことはなかった。庭に出る母の背に幼いニトロが寂しさを感じたことはない。むしろ彼の幼い時の記憶には、庭に咲く小さな花々の名を語り聞かせる母の声と、繋がれた手から伝わる温もりがある。
 いつだったか、母は夢見る瞳で語っていた。将来は大事な一人息子のお嫁さんと庭一面を使って本格的なガーデニングをしてみたい……。
 ニトロも彼の父も、リセの趣味を問題に思うことはなかった。
 まあ、彼女が野菜と勘違いして育てていた毒草を食べてえらい目にあったことはあるが、夫はそれを笑って許していたし、父が許すんならとりたてて息子が趣味をやめろと言えるわけもなく、とりあえずその失敗を除けば議題として家族会議にかけられることもなかった。
 ……しかし。
 最近、ニトロは母の趣味を問題に感じていた。
 その問題は母がここ一年の間に新しく得た、とっても気の合う園芸仲間に起因する。
 彼女は、豊富な知識と潤沢な資金を持ち、かつ、何よりも法律で一般人が持つことを禁じられている種であっても栽培することができる特別な人間だった。であればその趣味友達の口は時として『一般』では接することの出来ぬ経験を物語る。それは母を感動させ、興奮させ、また専門的な見地から出される助言は母を大いに喜ばせてもいた。
 そのうえ彼女はニトロが何度やんわり否定してもいくら違うと言い切っても母が息子の将来の嫁と認識している女性に仕える女執事で、つまり息子が結婚すれば間接的に息子に仕えることになる智と礼と品を兼ね備えた麗人で――そりゃあ彼女に向ける母の親しみが増大するのは至極自然な成りゆきってものだろう。
 昨日ニトロの携帯に母から送られてきたムービーメールは『明日ヴィタちゃんとお食事するのよ』と満面の笑みを添え、彼にちょっとした頭痛を覚えさせたものだった。
 このままこれ以上、母とヴィタの仲が良くなったら……
 正直、ニトロは『ニトロ・ポルカトの未来のお嫁さん』を自称する企み好きな第一王位クソ継承者に外堀を埋められているような気がしてならなかった。まさかあのバカ、これまでも計算して植物に造詣ある人物を執事にした、なんてことはあるまいな?
「ニトロ、聞いてるの?」
 彼の部屋の壁に掛かるテレビモニターには暖色の間接光で『大人の空間』を演出された場所が切り出され、その中心にいる中年の女性が、彼女を映す携帯電話のカメラに顔を寄せて大写しとなっていた。
 ふと思案に耽っていたニトロはそれに気づいて少しぎょっとしながら、
「聞いてるよ」
 女性は満足げにうなずき身を引いた。やや丸みを帯び、実年齢より若く人に見られるその相貌は赤らんでいる。それは食事の際に口にしたアルコールによるせいではなく、彼女――リセ・ポルカトが、思いがけなくもたらされた『幸運』に歓喜し興奮しているためだった。
「話は解ったけどさ、それ、ヴィタさんと行けばいいんじゃないの? そっちの方が何かと都合もいいだろうし」
「ヴィタちゃんはこの後用事があるんだって」
 カメラが動き、シックな服を上品に着こなす母の園芸仲間がモニターに映った。カメラを向けられた彼女はグラスから唇を離し、口に含んでいたはずの白ワインを嚥下した様子も見せず、マリンブルーの宝石を煌めかせる双眸を細めて軽く会釈をしてみせた。
 画面越しにニトロが「何を企んでいる?」と睨みつけるが、彼女は平然としてただ微笑を返すだけ。そのうちに再びカメラが動き、気分上々の母が画面に戻ってきた。
 ニトロは気を取り直そうと一つ息をつき、
「父さんは?」
「今日は夜勤って言わなかったっけ?」
「それは今聞いた」
「そうだっけ」
「そうだよ」
 両親は、揃って同じジスカルラ第9区役所に勤めている。アデムメデスの市区町村単位の役所は、よほどの過疎地を除いて平日二十四時間営業、八時間勤務の三交代制だ。9時―17時を日勤、17時―翌1時を夜勤とし、1時―9時が深夜勤。職員の希望によってそのいずれかを選び、それで各時間帯に必要な人数が確保できない場合はシフト制を取っている。
 業務をサポートする公職用のアンドロイドやA.I.がいるためそうそう無茶なシフトを組むことはないが……何にしろ、父が今現在仕事中であることに変わりはない。父がこれから母に同行するのは無理だ。
「だからこの後、よろしくね」
 リセは有無を言わさぬ調子でそう言うが、そこには威圧感や親の強制は微塵もなく、それは単純にニトロに断られることを全く想定しておらず、また息子が母のその頼みを聞かぬことはないと無頓着に信じきっているためのセリフだった。
 そして、ニトロにも――ちょっとした懸念はあるが――母の小さな頼みを聞かぬつもりはない。
「……別に……俺は構わないんだけどさ」
 だが、ベッド脇の時計を一瞥し、彼は眉根を寄せた。数値はもう22に近かった。
「こんな時間に相手は本当に迷惑じゃないの?」
「迷惑――……」
 母が顔を背け、やおら、
「ないって」
 満面の笑みをニトロに見せた。
 ニトロは内心苦笑した。
(ヴィタさんに迷惑はないって言われてもなあ……)
 実際これから会いに行く予定の人物が『夜更けに見ず知らずの人間に訪問されて迷惑じゃないのか』が問題の本質なのだが……まあ、その友人だと言うヴィタが保証するなら責任は彼女に取ってもらおう。
「分かった。じゃあ――」
 と、そこまで言って、ニトロははたと口を止めた。
「芍薬」
 ニトロの呼びかけを受け、長い黒髪をポニーテールにした、いかにも勝気そうな少女のデフォルメされた肖像シェイプがテレビモニターの隅に現れた。
「どれくらいかかるかな」
「三十分モアレバ着クヨ」
 ニトロはうなずき、母に言った。
「じゃあ、十時半くらいにそっちで」
「あ、でも、ヴィタちゃんもうそろそろ出ないといけないって」
母様ハハサマ、近クニ『ブラウンコート』ガアルカラ」
「そこで待ってればいいの?」
「御意。クーポント地図ヲ送ッテオクネ」
「うん、分かった。ありがとう」
 リセの礼に芍薬が頭を下げる。あちらの携帯電話の画面にも芍薬のその姿が映っているのだろう。彼女はにこにこと微笑み小さく手を振ってから、もう一度ニトロによろしくねと言った。
 それにニトロが了解を返すとカメラが動き、再びヴィタが画面に映り込む。彼女はニトロの母と同じように小さく手を振り、声には出さずルージュを引いた唇だけを動かして「また」と彼に告げた。
 そして――
「芍薬」
 上機嫌な母との通話を切ったニトロは、即座に芍薬に命じていた。
「ハラキリに……ハラキリが無理だったら貸し機械人形レンタドロイドでできるだけいいやつを借りるよう手配して。それからその人物が実在するか、調べてくれるかな」

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