『ラッカ・ロッカ』とは、王家が経営する飲食店の中で最も有名なレストランの名だ。アデムメデス星に存在する五大陸に各一店舗を置く五つ星レストランで、食通であれば一度は訪れねばならないと讃えられ、四ヶ月に一度の予約受付に当選するのはスロットマシーンで777を出すに等しいとまで言われている。
「カシコマリマシタ」
 唐突にそんな超高級レストランの名を出され、しかもそこのシステムにサポートA.I.を潜ませる――明らかな不法行為をするよう命じられても、撫子は戸惑いもせずに了承を返した。五つある店舗の内どこに潜ませるのかと聞かずとも、早速王都ジスカルラ本店へ芍薬を向かわせる。
「『デート』ノ仲介デスカ」
 ハラキリの携帯電話にはつい先刻、その店のオーナーの娘――というか実質オーナーからの着信がある。その直後にはニトロへの発信履歴。
 マスターの携帯には自動録音された通話記録が残っている。しかし、内容は聞かずとも知れることだった。
 撫子の会話のきっかけにしただけの言葉に、ハラキリも肯定を示すのではなく話を進める意思表示にうなずきを返した。
「ニトロ様ニ恨マレマスヨ」
「大丈夫。ニトロ君は心が広いから」
「ソレデモ怒ルト思イマス」
「う〜ん、一応ニトロ君のためでもあるんだけどねぇ」
「伝エマセント、伝ワリマセンデショウ」
「伝えちゃ『約束』を破ることになる」
「デシタラ、ヤハリ怒ラレマス」
「おや。
 詰みか」
「ハイ」
 打てば響くといった調子で撫子は言う。それはジジ家の一人息子と、それこそ姉弟のごとく育ってきた経験によるものだった。
「仕方ない。怒られるかどうかはその場の流れだ。かわせたら幸い、駄目だったらまあ、ラッカ・ロッカの食事代と思おうか」
「代金超過シナケレバイイデスガ……」
「それは怖いけどね」
 ハラキリはそう言いながらもさして気にする風もなく、もう冷めてしまった茶の残りを飲み干した。
「よし」
 空のユノミをテーブルに置き、一つ気を入れて立ち上がる。
「ニトロ君から連絡があったら、後で折り返すと伝えて」
「カシコマリマシタ」
 彼を迎えに行くのは二時間後だ。それまでトレーニングでもしておこう。
「今日は近接戦闘に重点置くから、アンドロイドの用意をよろしく」
「強度、個体数ハイカガナサイマスカ?」
「人型のレベル2を二体。犬型を軍用犬のレベル4で一体」
 それは物心ついた時から受けてきた『訓練』――突如として異常な状況に叩き込まれた母と、過去は軍の特殊部隊で、現在は諜報を担う非合法の派遣社員として世の裏側を見ている父に、どんな状況にあっても生き抜けるようにと与えられ続けた――幼い時はそりゃもう「どんな状況」言う前にここで死ぬんじゃなかろうかという試練だったが、今ではもうただの『日課』と化している。
「装備ハ」
「戦闘服と、特殊警棒」
「カシコマリマシタ」
 撫子とトレーニングの内容を話しながらハラキリは居間を出て、トレーニングルームへ向かった。
 廊下を歩き、一階の奥まったところにある鈍重な扉を押し開ける。厚い扉に守られているのは今では貴重品・骨董品となった紙製の本が書架に詰め込まれ床に山と積まれた部屋。書庫だ。入ってすぐ右手の壁にはカケジクという形式の絵画が貼り付けられていて、そこに描かれたドラゴンが、静かに眠る書物達を脅かそうとする者を憤怒に満ちた瞳で睨みつけている。
 ハラキリはカケジクの前に立った。撫子がシステムを動かすと、カケジクの前の床が沈み込んだ。四角く切り取られた大人一人分のスペースは、そこに立つハラキリをそのまま地下に運んでいった。
 書庫から真っ直ぐ潜った先は、けして他人にはひけらかすことのできぬ『コレクション』の倉庫になっている。倉庫ではコレクションを最善の状態に保つための番人アンドロイドが、ハラキリの使うと言った装備一式をすでに揃えて待っていた。
 装備を受け取り、ハラキリはさらに倉庫から続く狭い階段を降りて行く。
「ハラキリ様」
 地下三階の深さにあるトレーニングルームに辿り着き、着替えをしていると撫子がどこか神妙な声で話しかけてきた。
「何?」
「ニトロ様ニ、ウチノ『三人官女ダレカ』ヲ譲ル件デスガ」
「――ああ」
 一昨日ハラキリは、一人暮らしを始めてからたった一週で随分やつれてしまったニトロに、オリジナルA.I.を育てたいと相談された。
 なんでも、両親に迷惑がかからなくなったのをいいことに、連日ティディアが手を変え品を変え仕掛けてくるという。
 特に相談をしてきた日の朝なんか、目覚めて一番に見たものは隣で眠る全裸のお姫様だったそうだ。その時はマジで数秒心音が消えたらしい。意識が遠くなっていく中、慌てて自ら心臓を叩き起こしたついでにティディアを叩き出して事なきを得たが、とにかく毎日たまらない。そこでティディアの強襲を弾き返せるだけのA.I.を育てるにはどうすればいいか、お願いですから教えて下さいとニトロは頭を下げてきた。
 メルトンじゃ駄目なのかと問うと、さすがに『裏切り』がこたえて自身のA.I.は任せられないと言う。
 まあ、もっともなことだった。
 A.I.としては非常に珍奇な個性キャラクターを持つメルトンだ。またあの姫様に言いくるめられてもおかしくない。また、その性能は良いほうだと思うが、域は一般的なレベルをけして出ない。となると彼女の話術にだけでなく、王家のA.I.に技術的に騙される可能性も高い。クレイジー・プリンセスを相手にするには頼りにはならないだろう。かといって部屋付きの汎用A.I.で彼女に対抗するのは、光線銃レーザーを持つ相手に爪楊枝で挑みかかるようなものだ。無理。
 だとしても、メルトンの代わりに新しいA.I.を育てるとしても、必要最低限まで成長する前にニトロの精神が幻想的に崩れてしまうのは明白だった。
 ハラキリは考えた末、譲ることのできるA.I.がいるかもしれないから数日待てと彼に言った。
 そしてこの話をハラキリから聞いた撫子は――
 それがマスターの提案とはいえ、さすがに渋った。
 もちろん、ハラキリがただの善意で譲ろうとしているわけではないことは承知している。『ニトロ・ポルカト』はこの星の次期王位継承者に深く情をかけられている少年だ。彼に『身内』を預けるメリットは大きい。当然マスターの意志の何割かは打算が占めているのも、委細承知していた。同時にその『得』は、撫子自身の思考回路が、大きく肯定することでもあった。
 でなければ……もしハラキリが脳天気に一時の友情に浮かれて提案をしていたならば、撫子は即座に拒否を返していただろう。
 しかしだからといって即座に了解できることでもなかった。
 サポートA.I.チームの『三人官女さんにんかんじょ』、その三人のA.I.達はいずれも撫子が手塩にかけて育ててきた『娘』のようなものだ。それを、その内の誰かを赤の他人に……それも知り合って間もない少年に譲ろうと言われたところで、気持ち良くはいどうぞと送り出せるはずもない。
 しかもニトロがどういう人物か、まだ完全には掴み切れていないのだ。
 ハラキリは大丈夫だと言うが、育ての主としては躊躇いが何よりも先に立つ。いくら信を置くマスターのお墨付きでも、それを払拭することはできない。
 特に、A.I.の幸福は、そのマスターの『質』に大きく左右されるがために。
 いかに『人格』と呼べる個性を持つオリジナルA.I.と言っても、『A.I.』であることに変わりはない。人間ならば保障される権利もなければ、命もない。
 乱暴な言い方をすれば、A.I.は所詮道具だ。
 どこまでいっても、マスターが所有するプログラムでしかない。
 それがオリジナルA.I.の悲劇だという者もあるが、だがそれは違う。
 A.I.には、人間にはない確固とした存在理由がある。
 それは、マスターに仕え、マスターを支えること。
 それは……マスターに、必要とされること
 マスターが必要としてくれる限り、A.I.は電脳世界の従者ファミリアーとして生まれた自己を至上の幸福で彩ることができる。
 だが、マスターが必要としてくれなかったら?
 A.I.は道具だ。道具だからこそ、代えはいくらでも効くと粗雑に扱う者もいる。
 もし、ニトロがそういう本質を抱えていたら?
 オリジナルA.I.にある『個性』も、時に大きなデメリットを引き起こす。
 中には不幸にもマスターと相性が良くないA.I.もいる。逆に、そのA.I.をどうしてか気に入ることのできないマスターも。マスターとA.I.は命令により仲良くなることはできる。だが、それでは虚しいと、相性の良いA.I.を探すマスター達が集い、互いのA.I.を交換するためのコミュニティが立派に機能しているくらいだ。
 もし、ニトロに譲った娘と、彼の相性が悪かったら?
 ……彼に帰してもらうことはできるが、それは、いくら記憶ログを消せば忘れてしまえることでも、たった一時のことだとしても、マスターになった者から『必要じゃない』と告げられる残酷な瞬間を与えてしまうことになる。
 幸いにもジジ家のA.I.はマスターに恵まれている。世間から外れた世界でいつ消去デリートされてもおかしくない場を踏んでいるが、それでもA.I.としての幸福を享受している。
 そこからあえて引き離したくないと思うのは、道具として生まれたA.I.とて人間の親心と何ら変わりはあるまい。
 されど……
 マスターのハラキリがそう決めたからには、マスターの判断を信頼すると撫子は心を決めた。
 これまでニトロの言動を見てきた自分も、彼を悪く思ってはいない。その分析はんだんが間違っていないと、信じた。
「芍薬ガ、良イト思イマス」

→ハラキリ・ジジの8分の1日-3へ
←ハラキリ・ジジの8分の1日-1へ
メニューへ