「俺はあいつと付き合ってないって色んなところで明言してるだろうが! お前らの要求は初めっから的外れだって何で分からないんだ!!」
「そんなことは知らん!」
「なんで!?」
 そっぽを向いて隊長が言う。
「貴様に興味はないからだ!」
「うっわ身も蓋もねぇ!」
「そもそも貴様の言葉など信用できぬし!」
「そーれなら信用するまでいっくらでも何度だって言ってやる! 俺はあいつと付き合っちゃいねぇ! お前らの女神に誓ってもいい! 徹底的に恋人じゃなーーーい!」
 その言葉に獣人の腕が戦慄わなないた。
「では貴様は……そんな……恋人でもない野郎が、ティディアちゃんの胸……胸に顔を埋められるというのか!」
「? …………ああ、『銀行』の一件か。って、まさかあれが羨ましいってのか?」
「羨ましい!」
 狂騎士達も色めき立ち、さんざめく。ニトロに向けて罵声を上げて、隊長を支持し、憎むべき『ティディアの恋人』にプレッシャーを与える。
「あのな、あれで俺は窒息しかけたんだぞ!?」
「う、羨ましすぎるではないか!」
「あーもー」
 ニトロは頭を掻き、そして叫んだ。
「そんなに羨ましいんならいつでも代わってやるってんだ!」
 ニトロが上げた怒声に、突然、沈黙が訪れた。
 それは、沈黙と言うには冷た過ぎる静止だった。
 空気は切れる寸前までに引き伸ばされたようで、それに触れる肌が痛い。
 王立ティディア親衛隊隊長たる獣人、部下たる狂騎士達、仮面に隠れて顔が見えなくとも、その全身から放たれる怒気が殺意を帯びたとはっきり知れる。
 やがて誰かが何かを言った。
 ニトロにはよく聞こえなかったその言葉は、感情の奔流を押し込めていた沈黙という堤防に穴を穿ち、そして――激怒がニトロに浴びせかけられた。
「……貴様、今なんと言ったあああ!!」
 怒りに沸き立ちニトロににじり寄る狂騎達士の中、先頭に立つ隊長が咆哮を上げる。
「それは騙されているとはいえ、貴様を、愛している……我らが女神の心を踏み躙る言葉だ!!」
 ニトロは少しずつ押し寄せてくる怒りの波から逃れるよう、駐車場の奥へ後退しながら胸中でうめいた。
(――しまった)
 反射的に言った言葉が相手の神経を逆なでする言葉だったと、緊張と緊迫を取り戻した今さら思い至る。
(地雷を踏んだ!)
 ティディアが現れたことで悪い方向に心が緩んでいた。
 脅しの電話でボスと思しき人物が激昂しやすいタイプだと気づいていたのに、慎重を欠いていた。
 少しの警戒があればこんな『ティディアの恋人』でなければ言えないセリフを、それも奴らからすれば優越感にまみれたセリフを吐くことは決してなかったのに!
(どうする?)
 このままでは袋叩きだ。
 芍薬に『待っている』と言い聞かせた手前もある。ここで怪我でもすれば変に責任を感じさせてしまうかもしれない。芍薬はもういつ追いついてきてもいい頃、なんとかそれまで時間を稼がなければ。
(逃げるか)
 幸い隊長は、それに導かれる部下達の歩はまだにじり寄ってくる程度だ。このまま距離を保ったまま全力でなだめすかしつ逃げ道に近づき、機を見て踵を返――
「隊長! 怒りの鉄槌を、あなたのその豪腕で!!」
(うわ何煽ってやがる!)
「天罰を!」
 ずっと沈黙していたティディアが、ここぞとばかりにかすれた声を張り上げて獣人を煽った。ティディアの声に良く似たその声に押され、獣人は興奮の度合いを増している。肩を怒らせ、ニトロに向けて大股に歩み迫ってくる。
「そうだ、天罰を!」
 狂騎士の誰かが叫んだ。
 参謀がまた煽る。
「そうよ、天罰を!!」
 憤怒を纏い近づいてくる獣人から受ける重圧は、以前にも増して強烈だった。
「天罰! 天罰!! 天罰!!!
 取り巻く狂騎士達は先陣を切る隊長を、参謀につられるように声を上げて後押ししていた。
「天罰! 天罰!! 天罰!!!
「天罰! 天罰!! 天罰!!!」「天罰! 天罰!! 天罰!!!
 完全に、おそらくはこの中で最強であろう獣人の大男に、『ニトロ・ポルカト』への制裁を一任している。
「天罰! 天罰!! 天罰!!!
    「天罰! 天罰!! 天罰!!!
 「天罰! 天罰!! 天罰!!!
「天罰! 天罰!! 天罰!!!」 「天罰! 天罰!! 天罰!!!
 「天罰! 天罰!! 天罰!!!」  「天罰! 天罰!! 天罰!!!」「天罰! 天罰!! 天罰!!!」 「天罰! 天罰!! 天罰!!!
  「天罰! 天罰!! 天罰!!!」「天罰! 天罰!! 天罰!!!」「天罰! 天罰!! 天罰!!!
 大合唱が生み出す雪崩に巻き込まれたような圧迫感に身を叩かれながら、ニトロは歯を噛み締め脳をフル回転させた。
 もはやなだめることもすかすこともできなさそうだ。迫る獣人は止められまい。
 ならば、
(やっぱ逃げ?)
 いや、もう遅い。逃げを打つ機はティディアに盗られた。あいつはこちらの思考を見透かしたように絶妙なタイミングで煽りをかけてきた。それに気を取られてしまったせいで、すでに獣人との間合いが縮まりすぎている。
 それだけではない。逃げる素振りを見せれば、煽る参謀に引きずられ、今は隊長を鼓舞するだけでいてくれている親衛隊員達をいたずらに刺激してしまう。
 激情がそこかしこで渦巻いているのだ。叫びは叫ばれる度に熱が増し、己らの雄叫びに彼ら自身が勢いづいているのが肌に響く。ほんの少しの一押しがあれば、堰を切って隊長と共に襲い掛かってくるだろう。
(選択肢は)
 考えられるのは
 芍薬が来るまでどうにかして時間を稼ぐ。
 何かしらの手段で相手を呑み、隙を作る。
 思うように殴らせて、相手を満足させる。
(ええい!)

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