「あたくしはとある貴族の娘。ティディア様に憧れて、ティディア様に近づきたくて近づきたくて……思い切って全身整形したのが一昨年の夏。
 そう、ティディア様と全く同じ体を手に入れたあたくしは、いつでもティディア様の身代わりとして死ぬ覚悟!」
「見事な!!」
 隊長は、感涙にむせんでいるようだ。狂騎士達からも賞賛の声が聞こえる。
 ニトロは……唖然としていた。
「で、声は?」
 なんとか、それだけを問う。
 とある貴族の娘は胸を張った。
「手術失敗! 超絶やぶに当たって手に入ったのはティディア様のかすれ声!」
「哀れな!」
 隊長は、悲涙にむせんでいるようだ。狂騎士達からも同情の声が聞こえる。
 ニトロは膝から崩れ落ちそうになるのを懸命に堪えていた。
 なーんかもう、どうでもよくなってきた。
 狂騎士達に不穏な動きがあると知り、尾行に気づいてからずっと抑え込んでいたものが、音を立てて崩壊していた。
 不安も恐れも緊張感も何もかも飛んでいく。
 緊迫なんかできようもない。
 あー、芍薬がきたら一緒にティディアに脳天チョップでもかましてやろう。
「あのさ、考えようよもっと。不自然だろ? 大体、貴族にまんまティディア・ちゃんなのがいたら話題になるはずじゃないか。てかティディアちゃんも黙ってるはずがないだろう?」
「ばっかもーーーん!!」
「ば……えええええ!?」
「この冷血漢めが! 仲間を信じずしてどうする!」
 熱く隊長が叫ぶ。
 根はいい奴なのかもしれないなあと思いながら、ニトロは嘆息した。
 まあ、それに特別異論はない。いや異論を唱えるよりも、思い切りだまくらかしている『仲間』を横にする彼に、むしろ同情が先に立つ。
 うまく言いくるめられたのだろう、あいつに。
 ニトロの鋭い眼差しを受ける参謀ティディアは沈黙したまま……熱が下がりきってないらしく、どことなく足元を浮つかせて佇んでいる。
 まったくそんなに無理してまで、一体何が目的で騒ぎに加わっているのだこのバカは。
 これでは――例えば、自分を危機に陥れておいて助けに来る、なんてヒロイン気取りももうできない。他に何か大きなメリットが彼女にあるとは思えないのだが……
「しかし……よもやティディアちゃんの声の真贋しんがんもつかぬとは呆れ果てる」
 頭を振って言う隊長の後ろで、ため息が群れをなしていた。
「ニトロ・ポルカトよ」
「なんだよ」
 もはや完全に危機感を失ったニトロはやさぐれ気味に応えた。
「これを聞けば、いくら愚鈍なる貴様の記憶も女神の声を思い出そう。
 そして、我らが『王立』なるを認めるだろう」
 隊長はニトロの不機嫌に全く気づかず悦に入った口振りで告げると、左手首の腕時計型の携帯電話を操作した。すると、参謀が持つ箱の上部に応答を示す光が走った。
 その箱にニトロは見覚えがあった。大切なメモリーカードを半永久的に保護する、対衝撃防水防火に優れたセーフボックスだった。
「心せよ」
 獣人が腕時計をまた操作する。そして、『声』が再生された。
「――ニトロを襲ったのはいけないわ。もう二度としないでね? 今回は許してあげるから」
 それは、ティディアの声。
 とても穏やかで温かみを帯びた――ニトロからすれば決して気を許してはいけない声が、箱から形無きラインを通り音量も特大に隊長の左手首から溢れ出していた。
「でも……ありがとう。私のためにそこまでしてくれるのは嬉しかった。これからも私のこと、よろしくね」
 そこで『声』は途切れた。感じからすると留守録にでも吹き込まれた言葉だろうか。
 しかしなるほど。確かに『襲撃』を行いながらもこんな優しい言葉を愛しい女神からかけられれば、舞い上がるのも納得できる。そしてティディアから直接かけられた肉声を持っていれば、『バカの馬鹿マニア』の中では格別に注目の的だろう。
 だが、それだけでこんなにも多くの狂騎士を部下とできるだろうか。
「どうだ!」
 叫ぶ隊長の金仮面の下、あの怒りに満ちた表情しか記憶にない獣人の顔が、至極誉れに蕩けているのが見えるようだった。
「これぞ我が活動を、ティディアちゃんがお認め下さった証拠!」
「もいっちょ待てーーーーーい!」
 さすがに看過できず、ニトロはなおも誇り高く言わんとする隊長を制した。
「どうしてそうなる? そのバ……ティディアちゃん、一言もあんたの活動認めるなんて言ってないぞ!?」
 ニトロは参謀を睨みつけた。参謀――ティディアは、その視線に硬直していた。
「貴様の耳は節穴か! 言っていたではないか、『よろしくね』と!」
「うん、言ってたけど!」
「それはつまり、これからも親衛隊として守ってねということではないか!」
 ニトロは愕然とした。
「いや、え? どうしたらそう解釈できるの?」
 ティディアの言葉は曖昧で、そう解釈することもできるのかもしれない。だが『ニトロを襲ったこと』をしっかり否定していたことを考えれば、あれは明らかに支持者に対するただの社交辞令だ。
「やはり貴様の耳は節穴だ。いや、さすがは心腐った下衆、ということか」
 困惑するしかないニトロに、隊長は最大のさげすみを吐き出した。
「愛を持ってして聞けば、本当は恥ずかしがり屋なティディアちゃんが言葉の裏に秘めた真意を感じ取れるはずだ。
 つまーり、貴様がそう感じられないのは、ティディアちゃんを愛していないからなのだ!」
「ぃや……そう言われるともう『愛』って電波受信機ですか? としか……
 てか、二度と俺を襲うなって言われてるのは何でスルー?」
「ティディアちゃんを悪魔の手から守るため、その愛のためならば女神の意志に叛き罪も背負おう!」
「えっと……それは愛を便利に扱いすぎじゃあ……」
「愛の可能性は無限! 便利も何もない!」
「そうかなあ、結構不便なものだと思うんだけど」
「若造が知ったようなことを言うな!」
「…………」
 そもそもその『愛』のために自分はこうして迷惑を被っていて、ティディアに『愛されて』からというものこんな目に会い続けているのだ。
 愛に無限の可能性があるのなら、どうしてこんなにも一方通行なことばかりこの身に降り注いでくれるのかと叫びたくもなるが、それを言うと虚しくなるだけなのでニトロは口をつぐんだ。
 それを隊長は、ニトロが自分の言い分を肯定したと受け取った。
「まあ、貴様が何を言おうとも本来問題ではない」
 腕を広げ、背後の揃いの仮面をつけた仲間を誇るように彼は言った。
「このティディアちゃんの言葉を聞き、我が親衛隊に賛同した親愛なる部下達がいる限り、貴様がいくら否定しようとも我らが、我らが女神に注がれた愛は存在するのだから!」
 言ううちに心が高揚してきたか、獣人の声に熱がこもった。
「我が親衛隊はティディアちゃんに認められた――つまり唯一の!」
「王立ティディア親衛隊!!」
「なのだ!!」
 親衛隊員達の名乗りを受けて、血気盛んに隊長は腕を振り上げた。
「そして我等はニトロ・ポルカトに要求する!」
 狂騎士達が声を揃えて叫ぶ。
 隊長も拳を握り渾身の声で叫んでいる。
 その隣にいる参謀は静かに、ニトロに仮面に覆われた顔を向けていた。
「ティディアちゃんと別れよ!」
 その声は路地裏に、ニトロが逃げ込んだ駐車場を囲むビルの壁に反響し、四方八方から音の洪水を引き起こした。
「我等はニトロ・ポルカトに要求する!」
 鼓膜が痛い。
「ティディアちゃんに自ら別れを告げよ! 我等に脅され、嫌になったとそう告げるのだ!」
 腹の底に重みが響く。
「我等はニトロ・ポルカトに要求する!」
「涙目で、無様に、ティディアちゃんにすがりつくのだ! 結婚など言語道断! 別れなければ己がどうなるか分からない、保身に走りティディアちゃんを心から失望させるのだ!」
 心が震えた。
「我等はニトロ・ポルカトに要求する!」
「本日は警告で留めよう……しかし! 明日までに要求を呑まぬなら、天に代わり罰を与える! その汚れた身に我らが鉄槌を――打ち込んでくれる!」
「幾たびも!」
「女神を解放するまで我らは幾度でも貴様の前に我等は現れよう! よく覚えておけ、ニトロ・ポルカト! 例え貴様が悪臭放つ臓腑をその口から吐き出そうとも!」
「我らが怒りは!!」
「尽きることなく貴様に天罰を!!」
「だーかーーらーーー!!!」
 とうとう――
 ニトロは我慢しきれず、地団太を踏んだ。

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