ビルとビルとの狭間にある平面駐車場の前で、ニトロは足を止めた。路地裏にぽかりと現れたその空間は、出入り口以外の三方を塀に、さらに外はビル壁に囲まれている。車一台が通れる広さの出入り口には杭型のゲートがあり、ゲート脇の表示板はスペースに空きがないことを知らせていた。
「……よし」
 ニトロは、その中に歩を進めた。
 さながら袋小路のような場所ではあるが、今の自分にとっては有利な場所でもある。
 芍薬が来れば逃げ場がなくなるのは狂騎士達だ。いざとなれば人一人が抜けられる逃げ道はある。持ち主には悪いが車に登り奥の塀を飛び越えれば、そこに見える数十センチのビル間の隙を抜けていける。
 地を乱れ打ち駆け込んできた足音を耳にして、ニトロは振り返った。
 街灯もわずかに、表からこぼれる繁華の光を受けて薄明るい路地を抜け、大男を先頭にして狂騎士達が追いついてきた。
 その数は三十を少し越えたくらいか。アンドロイドの操作やバックアップをしている者も考えると、相当な人数が参加しているようだ。
 表情のない仮面……いや、ティディアへの愛を宣言したきり硬直した顔を並べる一団を見て、ニトロは唇を一文字に結んだ。
 逃げ口を塞ぐよう広がった三十数人の中、一人金色の仮面を被る大男が一歩前に踏み出してきた。
 おそらく『隊長』であろう彼の足の後ろには得意気に揺れ動く尾があった。ミリタリージャケットを着込み、その袖から突き出た太い手首、そして甲にはフェルトのような短い体毛がある。
 狂騎士達のボスは、獣人ビースターだった。
「?」
 ニトロは、激しいデジャヴュを覚えて眉をひそめた。
 隊長……獣人ビースターで、大男……はて?
「追い詰めたぞ、ニトロ・ポルカト」
 含み笑いに咽喉を揺らし、そう言った金仮面の声を聞いたニトロはあっと声を上げた。
「そうか、あんたか」
 そして呆れ笑いを浮かべ、ニトロは腕を組んだ。
「久しぶりだね。隊長さん」
「――!」
「……?」
 ひどく驚いたようにティディア・マニア獣人ビースターが身を引くのを、ニトロは怪訝に思った。獣人ビースターだけではない、背後の連中もざわめいている。
「あれ? 俺、何か変なこと言った?」
 気になって問うと、隊長は慄きに震えた声で言った。
「なぜ判った!」
「いや、判るって。いくらなんでもあんたのことはよく覚えてるよ」
「顔は見えないだろう!?」
「この際、大きな問題じゃないと思うなぁ。背格好とか声とか、ティディア・マイラブ! だとか、特定条件きっちり揃ってるじゃないか。せめて尻尾くらい隠してきなよ」
「しかしなぜ隊長だと!?」
「?」
 その反論に、前回そう名乗っていただろうと言おうとして――ニトロははたと気づいた。
 獣人は勘違いしている。
 彼は現在の自分の呼称を、ニトロに言い当てられたと思っているのだ。そりゃいきなりコミュニティ内での呼称を、外様の、それも『敵』から言われれば驚きもする。
「……こっちには、強い味方がいるんだ」
 だが勘違いで勝手に動揺してくれるなら、そのままにしておこう。ニトロはそれだけを言って、ため息混じりに続けた。
「それにしても懲りないね。あの後、ティディアに絞られたんじゃないのか?」
「貴様また呼び捨てか! ティディアちゃんだ!」
「またその言い合いはしないぞ。いやしてなるかい」
「ティディアちゃんだ!!」
「うおわ!?」
 隊長の怒声にニトロが返した瞬間、隊長の背後に控える仮面達が合唱した。
「そうだ、ティディアちゃんだ!」
 それに鼓舞されたか、俄然隊長が勢いづく。
「我ら王立ティディア親衛隊の前で呼び捨ては許さぬ!」
「許さぬ!!」
「…………」
 随分と揃った声。訓練を……仮想空間ででも積んできたのだろう。
「ティディアちゃんに、怒られなかったのか?」
 肩を落としながら改めてニトロは問い、そしてふと首を傾げた。
「ん? 王立? 前は私立って言ってなかったっけ?」
 ニトロの疑念に、隊長はなぜか誇らしげに胸を張った。
「参謀!」
「はっ!」
 隊長が部下を呼び、それが応える。女性の声だった。徹夜で歌い通した後の声のようにしゃがれている。
 そしてその声を耳にしたニトロの頬が、自動的に引きつった。
「アレを、これへ!」
「かしこまりました!」
 参謀であろう銀色の仮面をつけた女が肩で風を切り、されど微妙に揺らめきながら前に進み出てくる。
 そしてその姿を見たニトロの目が、えらい勢いで血走った。
「こちらです!」
「ご苦労!」
「待てーーーーーーーーーーーーい!!!」
 爆発した怒号が響き渡り、その場にいた皆が身をすくめた。隊長たる獣人も、一様の仮面をつけた狂騎士達も、何やら堅牢な黒い箱を大事そうに手に持ち隊長の左に控えた『参謀』も。
「くぉら王立ティディア親衛隊隊員!」
 びっとニトロに指差され、隊員達が姿勢を正した。
「そして隊長!!」
「はい!」
 次に指差され怒声を一身に浴びて、隊長も気をつけをする。
「お前らが守るのは誰だ!」
「ティディアちゃんであります!」
 皆が声を揃えて叫ぶ。
「じゃあそこにいるのは誰だ!!」
 最後にニトロが指差した参謀を誰もが注目し、そして一斉に首を傾げた。
 全く同じデザインの仮面が揃って呆けたように参謀を見つめ、押し黙る。その沈黙はニトロに返す正答を持たぬためではなく、彼の質問が至極理解できぬというようだった。
「……何を、言っているのだ?」
 ややあって、獣人が応えてくる。
「参謀に決まっているではないか」
「そうじゃねぇだろ! ティディアだ! お前らがマイラブしてやまないティディア・フォン・アデムメデス・ロディアーナ! そいつがそうだろ!!」
 ニトロは相手の正体が狂騎士と確定するまで――もしかするとそれからも頭のどこかでずっと、この件にティディアが絡んでいるのではないかと疑いを持っていた。だが、まさかティディア本人が騒動に参加しているとまでは思っていなかった。
 彼女の病気は本当だ。芍薬が確認を取ったし、その時でさえかなりの高熱が出ていた。だから参加していたとしても病床から指示を出す程度で、狂騎士に紛れているのは変装が特技のヴィタ、それとも彼女直属の兵あたりだろうと思っていた。
 しかしそこにいる参謀、彼女は、間っ違いなくティディアだ本人だ!
 正体を隠そうなんて努力はさらさらない。
 その背格好、肩に流れるセミロングの髪は黒紫色のまま。
 声は風邪のせいでしゃがれているが、どう聞いてもティディアのものだ。てか、ティディアですと主張せんばかりに枯れ声を張り、地声に近づけられてさえいる。
 立ち姿にはみなぎる自信、並べば隊長よりも偉そうに。
 着ている服だって彼女が最近好んでいるブランドで、コーディネートまで同じに揃えている。
 仮面で顔を隠していても判るどころか、むしろティディア・マニアを称するのなら判らなけりゃ恥だ。
「……ふっふっふっ」
 突然、隊長が肩を揺らして笑い出した。つられて親衛隊員達も笑い出し、ついには大声で嘲笑を上げる。
「馬脚をあらわしたなニトロ・ポルカトよ!」
「何がだ!」
「参謀はティディアちゃんではない!」
「いやいやお前、本気で言ってるのか!? 多分何千何万回ってティディアの姿を見てるんだろう!?」
「ああ、見ているとも!」
「ならスタイルも、背も、ファッションも髪も髪型も! 何もかもばっちりティディアじゃねぇか!」
「声が違う!」
「風邪のせいだ! よく聞いてみろそのままティディアのかすれ声だろ!」
「当たり前だ!」
 獣人の矛盾極まりない発言にツッコミ返そうとした時――
「当然よ!」
 意外にも参謀が叫んだ。咳き込むのを懸命に堪えているようだった。

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