今までその予兆一つすらなかったこちら側への攻撃に芍薬は一瞬戸惑ったが、しかし即座に先鋒を叩き潰した後、いちいちクラッカーの相手をしているのは面倒だと回線を物理的に遮断した。
これで何をせずとも、
敵は、ニトロへのA.I.のサポートを完璧に封じたと思っていることだろう。
「こんなところで役に立つとはね」
生活に必要なための回線はオープンにネットにつなげていなければ不便だが、そのオープン性故に
そしてそれらからシステムを守るために手を取られれば、あるいは何らかの手段で回線を切られてしまえば、マスターが危険に晒されていても助けに行くことすらできない。
ニトロのメインA.I.という大役を得てすぐ、『メルトンの逆襲』を受けてその問題点を強烈に実感した芍薬は、彼に対策のための設備を提案していた。
現在、ニトロの家には三本の回線がある。
一つは生活用の一般的な回線で、それは最悪の場合コンピューターごと破棄できるようサブコンピューターに接続してある。他の二つはメインコンピューターに繋げてあり、どちらも
「牡丹、システム借りるよ」
「あいあい。どうぞー」
だが……通じない。
何度コールしてもニトロの携帯から応答はなかった。呼び出し音は返ってきている。電源は入っているようだが……
「まさか」
携帯で連絡が取れなくなった時のために、ニトロはカード型の発信機を持っている。だがその信号は一般用の回線を通じサブコンピューターに送られてくる設定になっているため、現在の環境ではパフォーマンスを発揮できない。
芍薬は自宅のシステムの、緊急信号を受け取るための装置を操作した。受信設定を
すると即反応があった。
「まずいね」
ニトロは移動していた。位置測定をかけ速度を見ると、走っているようだ。追われているのだろう。
緊急事態だと繁華街の警備システムに接続すると、ふざけた反応が返ってきた。
「なんだって?」
監視カメラを管理している汎用A.I.の返答に、芍薬は否定を返した。
「違う、これは『テレビ撮影』なんかじゃない。ニトロ・ポルカトはそんな依頼受けていないよ」
だが汎用A.I.はそう申請を受け、受理したとだけ返してくる。
(随分手回しがいいね)
狂騎士達の工作だ。なるほど『テレビ撮影』とでもしておけば、有名人の主が追われていても誰も不思議に思うまい。
それにしたって申請から受理までが速過ぎる、データを改竄されていないかと問えば、仮申請は三日前からあったと告げてくる。証拠を寄越せと言えば、仮申請は他所の警備システムも受けていると一覧を示してきた。
一覧は広範囲に渡る周囲一帯の警備システムを網羅していた。数打てば当たるという腹だったか、その中にニトロがいる繁華街の名もあった。
こうなると言い合っていても
忌々しく思いながら芍薬は――後で緊急事態を立証しなければ、いくらマスターのためだとはいえ勝手に違法行為を行う『暴走』したオリジナルA.I.として罪を背負い、裁定によっては『
「待った待った芍薬ちゃん。見つけたよ!」
強引なハッキングを仕掛けようとしていた芍薬の手を、陽気な歓声が留めた。
「芍薬ちゃんの読み通り。あったよ、ネットワーク」
「牡丹、でかした!」
芍薬は即座に警備システムへの接続を切るや牡丹が寄越してきたデータを受け取り、そしてほくそ笑んだ。
ようやく見つけた。
いくらインターネットのコミュニティを、それこそ会員制のクローズドコミュニティまで洗っても出てこなかった狂騎士達の動向。
自分の調査ロボットだけでなく、撫子のネットワークを持ってしても尻尾を掴めないのは、もしや
敵が互いに連絡を取っていることは分かっていた。であればニトロがこれまで通った地域の基地局のアクセスデータを洗えば、常に主のいる近辺から特定の場所へのアクセスがあるはず。
通信基地のデータサーバーへ仕込まれた撫子のネットワークを介して牡丹に調べてもらっていたが、それが功を奏した。
牡丹が吸い上げてきたデータには、狂騎士達の計画の一部始終が描かれていた。
これによれば今ニトロを追いかけている集団の中には、複数のアンドロイドが紛れている。
ちょうどいい、利用させてもらおう。
「助かったよ、感謝する」
「あいあい。お互い様ー」
芍薬の礼に、撫子に良く似た童女が頭を垂れる。
「さて」
芍薬はニトロを追うアンドロイドへ乗っ取りを開始しながら、計画にある『目的』に舌を打った。
「まったく別れさせるも何も……主様はバカ姫とつきあってすらないってんだ」
いわれのないことで不幸を受ける主がかわいそうだ。
「全部潰してやるからね」
クローズドネットワークに用いられているサーバーには、狂騎士達の組織名が記されていた。
「王立ティディア親衛隊」
おかしいと、ニトロは思った。
一人の少年が大勢の仮面を被った連中に追われているのに、街の人々の目には驚きはあれど恐怖の色が全くない。明らかに暴力的な犯罪行為が行われようとしていると分かるだろうに、これは一体どうしたことか。
ましてや、治安維持の見回り警備アンドロイドは完全無視ときた。この繁華街の警備システムはこの状況を一体どういう了見で黙過しているのだ。
さらに異常なこともある。
逃げる自分とすれ違い様に
「頑張れー」
と、のん気に応援してくる者まであることだ。
「ニトロくん、がんばれー」
両親に連れられた小さな女の子まで手を振って言ってくる。
反射的ににこやかに手を振り返し、ニトロは背後に迫る集団に距離を縮められぬよう足を鈍らせることなく走りつつ、やっぱりおかしいと思った。
何を頑張れというのだ?
最悪、集団リンチにあうことを頑張れというのだろうか。
「すいません! お聞きしたいんですが!」
状況を把握しようとニトロは雑貨屋の店先で、外に出した陳列棚の商品を整理している青年に尋ねた。
青年は目を丸くしてニトロを見つめ、ああと口を開けた。
「ニトロ・ポルカト」
「ええ、そうです――あ!」
すぐ傍まで狂騎士達が迫っている。ニトロは慌てて再び走り、ぐるりと回ってまた雑貨屋に戻ってきた。
「俺に関して何か情報ありました!?」
問われた雑貨屋の青年はあからさまに戸惑いを浮かべて、うなずいた。
「何!?」
「テレビ撮影があるから邪魔しないようにって、警備から……」
「ありがとう!」
ニトロは全力で走った。
差を縮めてきていた狂騎士達からある程度の距離を作り、そこで彼はなるほどと納得した。
狂騎士達は警備システムに『テレビ撮影』をすると申請していたのだ。ならばこの状況で『ニトロ・ポルカト』が変質者に追われていても、そりゃ「頑張れ」だ。
(やーってくれる)
普段からティディアの企画でこんなことは日常茶飯事。傍から見れば不自然なところは皆無だ。畜生、よく考えてやがる。
……よく考えているといえば、追跡もそうだった。
ニトロは背後を一瞥した。