駐車場に停められた車にその主が戻ってきた時、ダッシュボードのモニターに安堵の顔が映った。
「オ帰リ」
 その声に張っていた緊張感を解きながらニトロは運転席に座るとドアを閉め、芍薬がドアキーをロックする音を耳にシートベルトを締めた。
「帰ろう」
「承諾」
 すぐにエンジンがかかり、車が動き出す。
 暮れ時の西は紅に染まっていた。最近は日も早くなっている。夜の帳もすぐに訪れるだろう。
「それで、詳しく教えてくれる?」
 そう言うと、芍薬は渋い顔をした。
「詳シクハマダ分カッテナインダ。タダ『ロボット』ガソウイウ情報ヲ拾ッテキテネ」
 ロボット――情報収集プログラム。芍薬は特性のそれをネットへ無数に泳がせて、マスターに危害を与えるものへの網を張っている。
「ダカラ、マダ確実ナ情報ジャナインダケド……」
 芍薬は電話口とは違い、歯切れが悪かった。
 マスターの安全を最優先にしながらも、不確定な情報で『楽しみ』を奪ったことを気にしているのだ。
 ニトロは笑った。そんなことは気にもならない。ただ何もなければそれに越したことはないだけだ。
「いや、そういう情報があるなら呼び戻してくれて良かったよ」
 目を細めて言うニトロに、芍薬はほっと息をついた。
 車が駐車場の出口に差し掛かり、出口を塞ぐゲートの前にある管理システムと芍薬が情報をやり取りする。杭型のゲートが地中に沈んで道を開けた。
 出口を通り過ぎ、そこからすぐの幹線道路にタイミングを計って入り、車は速度を上げた。
 海も間近なこの一帯で王都の中心へ向かうに最も便利なこの道路は、企業の終業時間のピークも近づいて徐々に交通量を増やし始めている。片道四車線の一番右側、高速帯を赤いスポーツカーが走り抜けていき、ふと目線を上げると、飛行車スカイカー仕様のリムジンが星を纏い始めた王都へ向けて朱と蒼が混じる紫の空を切り裂いていた。
「とりあえず……もっと情報を集めて分析しておいて。ただの冗談か、本当にやってくるかどうか」
「承諾。牡丹ボタンニモ手伝ッテモラウケド」
 『牡丹ぼたん』は、芍薬が撫子の『三人官女サポートA.I.』だった時の仲間の名だ。
 ニトロは芍薬の促しに、うなずいた。
「ハラキリに助言頼むよ。つなげてくれる?」
「承諾」
 芍薬もうなずきを返し――
 がくりと頭を垂れた。
「ダメダ。ハラキリ殿ト撫子オカシラ、留守ニシテル」
「留守? 撫子も?」
 意外な言葉だった。家守も担うメインA.I.にまで連絡が取れないとは。
「何か緊急事態でもあったのか?」
「違ウヨ。
 ――タダ、所用デ出カケテルッテ」
 ニトロは怪訝に思った。
「誰と話してるの?」
「牡丹。代理デ留守ヲ預カッテル」
 なるほどと納得し、そしてニトロは嘆息をつきながらシートに深く身を沈めた。
「でもどこに行ってるんだ? そんなに連絡が取れないなんて」
神技ノ民ドワーフト会ッテルッテサ」
「ドワ――!?」
 芍薬が告げた単語にニトロは仰天し、しかしすぐに
「……あー」
 それは特別驚くことでもないかと、落ち着きを取り戻した。
 ハラキリに神技の民ドワーフ知己ちきがいても何らおかしくはない。
 彼は、『映画』で世話になった『毀刃きじんナイフ』や『戦闘服』に『天使』と、神技の民ドワーフの道具を数多く持っていた。しかも『天使』に至っては試供品みたいなもの。むしろ知り合いがいた方が自然だ。
 例え知人がいなくとも、最近『神技の民の呪物ナイトメア』に関わり起動していたそれを停めてきたのだから、あちらからコンタクトを求められた可能性もある。
 どちらにしろ問題なのは、神技の民と会っているのなら、どんな手段を使っても連絡が取れないことは想像に難くないことだった。
(ってことは、何があってもハラキリと撫子を頼れない――か)
 自分が頼れる中で最強のコンビが出払っていることは、不安を大きく膨れ上がらせた。
「……まさかさ」
 ふいに思いついた考えに、ニトロは片笑みを浮かべた。
ティディアの依頼で出かけてるわけじゃないよね。神技の民ドワーフと会ってることにしてって」
 もしそうだとしたら、タイミングが良過ぎる。
 もしそうだったとしたら――
 この件に、ティディアが関係している可能性が極めて高い。狂騎士達の不穏な動向は絶対に行動として現れるだろう。
「違ウッテ」
「……そっか。じゃあ本当に自分の用でか」
 ハラキリとは、ティディアからの依頼を受けたか否かは絶対に教えてくれるように『契約』してある。芍薬が聞いた否定は、間違いのない答えだ。
「参ったなー」
 ティディアが絡んでいる可能性はこの点では低くなったが、しかしそれよりもハラキリと撫子に頼れないと確定したことが心理的に重かった。
「いつ頃帰ってくるかは聞ける?」
「――分カラナイソウダヨ。今日中ニ帰ッテクル予定ミタイダケド」
「……それじゃあ帰ってきたら連絡くれるようことづけといて」
「承諾」
 遠くの街灯が点灯し始めるのを見ていると、隣の車線を走る空の無人タクシーが緩慢に自分達を追い抜いていった。その後ろには長距離輸送のトラックがつき、窓を閉め切った車内にまで響いてくる巨大なタイヤの轟音が――少しだけ、不安を掻き立ててくれる。
「大丈夫。ソンナ顔シナイデ。主様ハあたしガ守ルヨ」
 無意識に顔がしかめられていた。ニトロは芍薬の言葉にそれを気づかされ、苦笑するように強張っていた眉間から力を抜いた。
 そしてモニターの中でユカタの袖をタスキにかけてまとめている芍薬の姿に、曇った笑みを笑顔に変える。
「分かってるよ、芍薬。信頼してる」
 芍薬は、周囲に輝きまとって大きくうなずいた。

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