『お母さん』が大きなトレイに料理を乗せてやってきた。ナイフとフォークを三人の前に並べ、それからティディアの前に三品を並べる。
「ありがとう」
 ティディアが会釈する『お母さん』に笑顔を向ける。
 ニトロは口の中につばが溢れるのを堪えられなかった。
 『お母さん』はすぐに厨房に戻り、またすぐにニトロにティディアと同じ料理を持って戻ってきた。
 ボール型の深皿を満たす鶏と数種の野菜から煮出されたスープに、平細のヌードルが泳いでいる。スープは丁寧な仕事で澄み切り、ヌードルは艶めいてコシの強さを見るだけで歯に伝えてくる。
 深皿の横には平皿が二つ並び、片方には旬の焼き野菜が美しく盛られ、もう片方ではシーフードピラフが湯気を立てていた。
 食欲をそそる香りが鼻腔を殴り、胃袋を挑発してくる。ボリュームも十分、相手に不足もない。
「はい、あとこちらね」
「……うわ」
 最後に、次々とヴィタの前に並べられていく六品を見て、ニトロは愕然とうめいた。
 特大ステーキが二枚、ジャンボハンバーグが一つ、それにサラダとパンとスープ。テーブルの半分が、ヴィタの注文で埋まっている。
「細いのによく食べるんだねぇ」
 『お母さん』がからからと笑いながら言う。
「楽勝です」
 マリンブルーの瞳は涼やかに、しかし力強く言った。
「こんなに大食いだったっけ?」
 自分では到底完食できそうにないボリュームに圧倒されたニトロの問いに、ティディアは平然とうなずいた。
「知らなかったっけ? メタもった時はいつもこんなんよ」
 ティディアの言葉を『お母さん』は理解できなかったようだが、ニトロは内心で納得していた。
(それだけカロリー使うってことか)
 変身能力者メタモリアのことはよく知らないが、きっとそうなのだろう。
 ふと厨房を見れば、『親父さん』は黙々と使った調理器具を洗っていた。これだけのメニューを同時に出せるようタイミングを計った彼の腕は、以前から少しも衰えていないようだ。
「それに……」
 早速ナイフとフォークを手に取ってつぶやいたヴィタが、自分に言っていると気づいてニトロは振り向いた。
「今後の予定のためにも、スタミナをつけておきませんと」
「今後の予定?」
「まずはレドリで買い物ね」
 ティディアが言う。ニトロは彼女が口にした店名に覚えがあり、どこで知ったかと思い返せばここに来る途中に見た店だった。
「ティディアも気になったんだ」
「あら、ニトロも? やっぱり気が合うわねー」
「良いものは万人を惹きつけるそうだよ」
 適当にあしらって、フォークを手に取りながら次を促す。ステーキを切り分けながら、ヴィタが言った。
「その後は、メインストリートで大騒ぎです」
「ああ、それも予定に入れちゃうのね」
 そりゃ体力勝負だ。いざとなったらヴィタの力がものを言うから、そりゃあスタミナもいるってもんだ。
「ハラキリ君を迎えに行くんだから、途中でダウンしないようにね」
「できれば平穏に過ごしてから向かわないかい?」
 ニトロの提案は華麗にスルーされた。
 ティディアがフォークを手に取って、いただきますと言う。
「なあ、平穏に平和にだね? せっかくのデートなんだからゆっくりさぁ」
 ヴィタがいただきますと言って、肉の塊を牙の中に放り込む。
「あ、美味し」
 ヌードルのスープを一口すすったティディアから感嘆が漏れた。
 彼女の肩越しに、厨房の『親父さん』がにやりと笑うのが見えた。
「……いただきます」
 ニトロは仕方なく腹をくくった。
 先の不安をあれこれ考えたところで何にもならない。だから今は、ただただ思い出の味を存分に味わおう。
 ヌードルをフォークに絡めて口に運び、スープが絡む平細の麺を熱さに気をつけて啜る。麺の香りとコシが歯に応え、スープに溶け込んだ素材の旨味が舌の上に踊った。
「ああ……」
 記憶が鮮明に蘇る。
 そうだ、あの時も席はここだった。
 父が横に座り、ティディアのいる席に『お母さん』『親父さん』と店の夫婦を呼んでいた青年が座っていたんだ。
 その時は、まさかそこにお姫様が座り、その横には獣人の姿の執事が座って一緒に食事をすることになるなんて――思ってもみなかったけど。
「美味しい」
 ニトロは微笑み目を閉じ眉根を寄せて、幸せと奇妙な感慨を深く深く噛み締めた。



 ハラキリは予定通りの便でアデムメデスに帰ってきた。
 神技の民ドワーフ呪物ナイトメアに関する件が、最大の当事国であったラミラス星と、巻き込まれた形のセスカニアン星の共同声明で公表されたため、どこのニュースもそれを大きく取り上げていた。
「素早いよなー」
 アデムメデス国際空港のVIPルームで、アデムメデスに戻ってきた事故被害者――ハラキリと『映画』関係者達のコメントをモニターに見ながら、ニトロはぼやいていた。
 モニターの中で彼らは多くのマスコミに囲まれている。別に今日彼らが帰ってくると注目されていたわけでもないのに、よくもこれだけの取材陣が集まったものだ。
 だが、基本的にハラキリ達は事故に巻き込まれただけで、詳細を知っているわけではない。一応この中では最も関わっていたハラキリも、救助活動を人手が足りなくなった部分の穴埋めをしただけだから、彼が口にするのもその立場からのものばかりだ。
 あくまで英雄は、救助を行ったセスカニアン星の星間航空機スペースシップの客室乗務員達。自分はほんの少し助力しただけだと。
 派手で刺激的な話もコメントも、リポーターがどれだけつついても特に出てこない。元々遠い地域での事件だ。この話題もすぐに有象無象の情報の中に埋もれていくだろう。
「そういや『監督』は? 一人だけ帰ってきてないみたいだけど」
大海蛇シーサーペントの群れと海魔王クラーケンの死闘を撮るんだって、セスカニアンに残りました」
 ニトロは苦笑した。
「いつか死ぬよ、あの人」
 救助活動に加わって重傷を負った民間人は、『監督』だと空港への道すがらティディアから聞いた。
「カメラと一緒にくたばれれば本望と言ってましたねぇ」
 こんなドキュメンタリーを撮る機会は滅多にない――それがその手の技能を持たない彼が救助活動に押しかけた理由だったそうだ。
「本当にくたばりそうになってましたけど」
 そう言って笑う少年は、少年らしくない落ち着きでそこに立っていた。
「お帰り。大変だったな」
「いやいや、『映画』の方が面倒でしたよ」
 ハラキリはソファに沈み込むように座っているニトロに、浮かべていた穏やかな笑みを苦笑に変えて言った。
「ところで、ニトロ君こそ随分お疲れのようですが……」
 ぐったりと、それこそソファから立ち上がろうともしないニトロは、少々やつれて見える。
「何があったので?」

→後編-4へ
←後編-2へ

メニューへ