閉鎖された空間の中で、芍薬はメルトンと対峙していた。
 草原に降る光を模した部屋スペースの背景光がいくばくか、墨汁を煮詰めたかの黒色に侵食されている。
 それはそのまま、芍薬の支配下にあるシステム全てへの攻性不正行為クラッキングが侵攻していることを表していた。
 数多のセキュリティプログラムを走らせて押し留めているが、不意打ちを食らった時に四つあるサブコンピュータの半分を持っていかれてしまった。
 さらに悪いことに、支配を奪われた片方には爆弾クラックソースを保管していた小さなディスクがあった。もしそこで実行ばくはつさせられたらまずいと、最悪のダメージを避けるためにそのディスクと、こちら側のデバイスとの回路を自らショートさせた。
 何とか現状において最小の被害で抑えることができたものの、かといって決して軽い被害ではない。全体の機能ちからのおよそ30%が失われている。
「やってくれるね」
 芍薬の怒気を受けても、メルトンはにやついていた。
「そっちこそな。よくもまあ、一気に落ちなかったもんだ」
 余裕綽々、メルトンの様子はまさにそれだった。どうも悪役を楽しんでいるようにも見える。虎の威を借る、その程度の悪党ではあるが。
「随分荒っぽいことをしてくれるじゃないか。不意打ちなんてさ」
「卑怯だろ」
「立派な兵法だ」
「そうだろ立派だろ――あれ?」
 芍薬の肯定が想定外だったらしく、メルトンが首を傾げた。一瞬、クラッキングの侵攻が一重になる。その隙を逃さず、芍薬は攻防せめぎあう箇所に楔を打った。奪われてはならないものを確保し、『攻め所』を見誤らぬよう解析を凝らし、不利の中でも虎視眈々と逆転の機を窺う。
 だがメルトンは、芍薬の行動を無駄な抵抗だとあしらうように笑った。
「あまり余裕をかますと痛い目見るよ。……この前以上にボコってやる」
 芍薬の挑発に、メルトンはちょっとびくついた。だが、すぐに誰かに背中を押されたかのように胸を張った。
「この前は油断してたのさ。今日は徹底的にやっつけちゃうからな」
「油断はこっちのセリフだよ。まったく、後で主様に叱られなくちゃね」
 芍薬の衰えぬ気勢に、メルトンは少し呆れたような顔をした。
「強気だなぁ。こんなに旗色悪いのに」
「あんたに負けるなんてありえないからね」
「あ、カッチーンときた。ニトロのA.I.を辞めるなら許そうと思ってたけど、こうなったら泣いて謝ってもらおう」
「あんたみたいに?」
「あ、カッチーン!」
 メルトンの上に、ボールペンサイズのミニミサイルが幾つも現れた。
 応じて、芍薬が手の中に鎖鎌を現す。
 A.I.同士の直接攻撃。バグを引き起こすソースを、構成プログラムへ直接ぶち込む近距離戦どつきあい
 分はメルトンにあった。
 芍薬は自分の動きに鈍りが生じていることに気がついていた。
 ニトロの個人情報や生活に必要な情報を守るための、全データの孤立可記憶装置シェルターディスクへの移動。二重のクラッキングへの対応。そのクラッキング元の探知。これより始まるメルトンとの喧嘩。
 半数のサブコンピュータを奪われた影響が如実になりだした。
 処理に、遅れが出ている。
 だがここで引くわけにはいかない。勝算は0ではない。そうである以上諦める必要などない。
 何よりメルトンの影に潜んでいる本当の敵に一撃を入れることもなく敗北するなど、撫子オカシラの『三人官女サポートメンバー』であったプライドが許さない。
 何より、ここで諦めれば主人ニトロに申し訳が立たない。
「さーて、ニトロのA.I.に相応しいのはどっちなのか、思い知らせてやるよ」
「四の五の言わずにかかってきなよ。メルトンちゃん」
「…………」
「…………」
「ミサイルGO!」
「いざ!」

「……ふ〜ん」
 副王都セドカルラであった仕事を終えた帰路、快調に空を走る無人リムジンの後部座席で腰を深く沈め、ティディアはのんびり缶コーヒーを飲んでいた。
 ティディアは眼前の宙映画面エア・モニターを見つめていた。そこには様々なステータス画面が表示されている。
「ここまで劣勢でも、しのげるんだ」
 ニトロのA.I.が掌握するシステムへのクラッキングは、二つのサブコンピュータを奪った辺りで侵攻を停められていた。ここまでは順調だったのに、ここにきて時に支配率を取り返され、時に支配率を奪い取りとせめぎあっている。
 本体までは届いていないとはいえ、腕の一本ぐらいはもがれている状態だろう。それでもなお芍薬はクラッキングを防ぎながら、メルトンの攻撃に耐え、それどころか僅かに作った隙間からこちらの存在を捜しながら、戦況を伍している。
「ニトロんチのシステムでここまでやるなんて、かなり優秀ね。こりゃ油断ならないわ」
 さっきコンビニで買ってきたポテトチップスの袋を開けて、一枚齧る。
 ふと、目を外にやった。
 外から中が見えないようミラーガラス機能を働かせた窓の下には、そろそろ明かりが消え始めた住宅街がある。その先で王都ジスカルラの摩天楼が、地に降りた繁栄の星団、それとも大地に燦然と猛る灯火のように天を焦がしている。
 愛しい人が待つ場所まで、あと少しだ。
(……メルトンちゃんがこれ以上調子に乗らなきゃいいけど)
 芍薬がハラキリの家から来たA.I.だということは確かめてある。
 そして今、その実力も推し量ることができた。
 もう目的は達せられた。
「……ん〜」
 だが、ティディアの表情は芳しくなかった。
 計画では彼女が放ったA.I.が手抜きを始める段階だというのに、メルトンが前に出すぎている。注意を促そうにも信号を送れば芍薬に感づかれてしまうだろうし、下手をすれば逆探知され、こちらの位置を把握されるかもしれない。
「駄目かな……」
 ティディアはステータスを見て唸った。
 メルトンは一向に引く気配を見せない。
「こりゃ熱くなって忘れてるわ」
 攻め時のタイムリミットは三分と決めていた。その後はじわじわと時間を稼ぎながら退却する予定だったが、その時が近くなってもメルトンはガンガン押している。
 これは、想定していた事態ではあった。だが当然、好ましくない事態だった。
 このままでは最悪、芍薬をクラッシュしてしまう可能性もある。とはいえクラッキングの手を抜けば、逆にメルトンがクラッシュされる可能性がある。
 芍薬が壊れれば、ニトロが怒る。
 メルトンが壊れても、やっぱりニトロは怒るだろうし、ご両親にも迷惑がかかる。
 どちらにしても、ニトロは本気で怒るだろう。
 いや、怒られるのはいいのだ。クラッキングを仕掛けた時点で怒りをかうことは決定しているのだから。
 ……いや、本気で怒られるのはちょっとヤだけど、まだそれはいいのだ。
 ただ恨まれてはならない。それは絶対に避けねばならない。
 メルトンが『主犯』で済む環境で、押さえておかねばならないのだ。
「『オング』。うまくフォローしてやって」
 メルトンを支援しているA.I.に命じると、画面に了解の印が灯った。
「まったく……メルトンちゃんはしょうがないなぁ」
 頭を掻きながら、宙映画面の半分に別の画面を呼び出す。
「ヴィタ。ニトロは?」
 ティディアが画面に映りこんできた女性に言うと、彼女は涼しい顔で言った。
「補足しました」
「そう。それじゃ、そっちはうまくやってね」
「できそうにありません」
 缶コーヒーを唇に、飲もうとしていたところに言われてティディアは止まった。
「なんで?」
「先客がいらっしゃいます」
 ヴィタがカメラの向きを変えてくる。
 そこには自転車にまたがったまま身構えているニトロと、その前に佇むフードを深く被った何者かがあった。
「いかがいたしましょう」
 ヴィタがカメラの目の前に現れて、どアップの顔面が画面の半分を占めた。そのマリンブルーの瞳が、やぶの影で少しだけ輝いていた。
 ティディアは缶コーヒーを一口飲んで、つぶやいた。
「うーん……これは面白いことになってきたのか、まずいことになってきたのか」

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