「そうだ!」
 活気を取り戻し、振り向きざまにビッとティディアを指差す。
「お前、結婚したい奴がいるから俺に死んで欲しいんだろ? それはどうなった! あれも嘘か!」
「ああ、死んで欲しいのは嘘。結婚するのは本当」
「ほう! じゃあ何でもいいから結婚しちまえばいいじゃねぇか!」
「でもねー。過去に王族が一般人と結婚する例はいくらでもあるけどねー」
「何を気にしてんだ。バカ姫のやることならなんでも通るだろう」
「そうもいかないわ。単に一般人と結婚すると相手がコケにされやすいんだから。ここじゃそれは許さないけどね、他の国ではそうもいかないじゃない? 過去にそれを苦にした自殺者もいたし、特にたいして能のない連中に旦那が軽く見られるのは我慢ならないし。だから少しでも箔をつけてあげなきゃ」
「……うん、まぁ、それはなんとなく理解した。でも結局、何が言いたいんだ?」
「だから、いっちょドラマティックかつ派手にロマンスぶち上げてみようかと。映画の撮影中に燃え上がった恋物語。相手が有名俳優ならまだしも一般人なら、これぞまさに世紀のシンデレラボーイ! そして彼の才能を見出し育んだ王女との運命的な結婚! どんどんドキュメントを作ってがんがん盛り上げていくわよー!」
「楽しそうだなぁ」
「そういうわけで。不束者ふつつかものだけどよろしくね。ニ・ト・ロ」
「?」
 ニトロの脳波がこんがらがった。
 今、なんと言った? あそこで笑うお姫様は。
 聞くところによると、その台詞セリフは使い古された結婚相手への挨拶のようではあるが。
 あっそうか、聞き間違いだ。
「良かったな、ハラキリ。これで君も王様だ」
「いや、頭がどうにかなるのも無理ありませんがね?」
 ハラキリは光栄なことを受けたというのに、困惑顔でこちらを見ている。まったく、わがままな奴だと思う。
「おいおい。バカ姫からのプロポーズだぜ? 断ったらそれこそ死刑だぜ? 大人しく受けとけって」
「……」
 ハラキリはため息をつき、ティディアに訊ねた。
「結婚したい相手は?」
「ニトロ・ポルカト」
「……あれ? ハラキリじゃないの? そっかー。残念だったな、ハラキリ。でもそいつは誰だい? 果報者だなぁ」
 ニトロは腕組んでうなずいて……やおらどす黒い鼻血を垂らした。
「俺じゃん!」
「どこまで遠回りしたんですか」
 苦笑するハラキリにニトロは掴みかかった。
「逃げるぞ!」
「いやいや、さっき自分で、断ったら死刑とか言っていませんでしたか?」
「そうよー。女の子に恥かかせると電気椅子よー」
 ニトロはティディアを見た。本気だ。
「ほらほらほらほら依頼人の命が大ピーンチ! 助けるのがボディーガードのマナー!」
 ハラキリの襟首掴んで盛大に頭を揺さぶりながらニトロが叫ぶ。その目は血走っていた。顔面は恐怖に搾り出された汗と脂にまみれていた。
 そんな彼に、ハラキリは爽やかに言った。
「と言われても、契約はもう切れていますし」
「……え?」
 ニトロは硬直した。彼の動きが止まったところでハラキリは彼の手を払い、襟を正した。
「ほら、ニトロ君との契約期間は『あなたの安全が確保された、その瞬間まで』ですから」
「あ」
「理解されたようですね。そうです、さっきの『カット』で拙者との契約もカットということです。
 ああ、お代は高速料金を払う時についでに貰っておきましたので、お気になさらずに。もちろん契約不履行の場合は返金する手筈てはずでしたよ」
 ニトロの頭に、ハラキリとの契約交渉の記憶が蘇る。それを追って、怒涛の勢いで絶望が彼の血を侵していく。毒された血が凍り、冷たくなった足の感覚がなくなっていく。
 だがニトロは、崩れそうになる体を一縷いちるの望みに掛けて何とか支えた。
「ほ、本当は金はまだ引き出していないんだろ? 依頼受けたくないからそんな嘘ついているんだろ?」
「領収書は郵送いたしますね」
「……カードは?」
「野良猫に差し上げました。ま、すでに回収されているでしょう」
「…………必ずお金は払うから、新しい依頼受けて?」
「聞きましょう」
「ティディアを諦めさせて」
「無理」
 くらっと、ニトロの体が傾いだ。
「何故!?」
「縁切り屋は専門外ですし、そういう形で他人の色恋沙汰に手を出すのは信条にないですし、何より色々手を考えてみても不可能なようですので」
「俺は君となんかこう熱い友情を感じていたんだけど!」
「友情とは時に無力……」
「薄情者!」
「いやでも、殺されるよりマシでしょ?」
「殺されたほうがマシだ!」
「ひどい!」
 嘆きに満ちた声。ティディアは乙女チックに泣いていた。白いハンカチを噛み、背景に薔薇の花なんか背負いそうな勢いで本物の涙を流して。
 素晴らしい演技力だった。
「乙女の純情踏みにじるなんて!」
「だーれが乙女じゃ!」
 ニトロは中指おっ立てて叫んだ。
「どーこまでもどっこまでも人をコケにしやがって! 誰がてめえみてえな腐れ畜生と結婚するか!」
「え〜?」
「え〜? じゃねぇ!」
「じゃあ、私の求婚断ったら公開去勢、って法律作ろうかな?」
 ニトロは崩れ落ちた。本気だ。あの女の目はどこまでもマジだ。いや、あいつの本当に恐ろしいところは、その言動全てが抜かりなく真剣だということだ。例えどんなに破天荒なことに対しても!
 逃げられない。
 太古に失ったはずの食物連鎖底辺動物の本能で、ニトロは悟った。
「どうしたら勘弁してくれる?」
 ベッドに座って足組んで、膝に頬杖突いて笑っているティディアに、ニトロは懇願の目を向けた。
「そうね、納得できる理由があれば」
 ニトロは顔を輝かせ、跳ねるように立ち上がった。なんと簡単なことで助かるのか!
「俺はお前が嫌いだ!」
「すぐにとりこになるわ」
「王族になんかなりたくない!」
「じゃあ一度辞めちゃおう。その後クーデター起こして皇帝にでもなればいいし。あ、独裁者でもいいな」
「金持ちは嫌いだ!」
「破産しようか? どうせすぐ稼げるし」
「お前の存在が嫌だーーーー!!」
「ああっ! そんなに意識してくれてるなんて嬉しすぎちゃう! 愛されるのも時間の問題ね!!」
「っ嗚呼……こぉのポジティヴさんがぁぁぁ」
 ニトロは頭を抱えた。
「何でそんなに俺がいいんだよ」
「夢があったの。叶えられないと諦めていた、夢が」
「それが俺に何の関係がある」
「ニトロを初めて知ったのは、あの入学式。覚えてる? ほら、高校の」
「あー、あんたもいたねぇ」
「そう。あの時、校長のクソ長いおべっかにツッコンだ少年と出会った時、私のニューロンに雷みたいな衝撃が走った。天啓、それはそう思えるほどの予感だった。
 だから私は、その少年をずっと覗き見ることにした」
「ストーカー?」
「諜報班を貼りつかせたり、時には自分で盗み見とか、盗み聴きとか盗み撮りとか」
「やっぱストーカー?」
「ニトロの才能を知るにつれて惚れ込んでいったわ。あなたとの相性の良さも直感で分かった。そして予感は、確信になった」
 ティディアは夢見心地の瞳で両手を組んだ。
「ああ。私、夢を叶えられる……この人となら夫婦漫才ができるって!」
「――――」
 無の世界が、ニトロの心に広がった。悟りの境地だ。果てしなくくう。精神は自由に羽ばたき、どこまでも飛んでいける。
 ああ、傍らに天使の翼で羽ばたくのは、大鎌を持った仏顔のプカマペ様ですね?
「…………っ馬鹿なっ……」
「私の目に狂いはなかったわ。あなただけだもの。私に、手加減抜きでツッコンでくれる人なんて」
 ティディアは立ち上がった。うっとりとした表情で、棒立ちで虚ろな双眸を遠くに向けているニトロに、歩み寄っていく。
「ニトロ……愛してる。一緒に全宇宙を笑かしましょう!」
「ハラキリ、助けて」
 ニトロの顔を手で優しく包む、ティディア。彼女から必死で顔をそむける彼の言葉に、ハラキリは煩悶の笑顔で頭を振った。
「せめてお幸せに」
「いやああああ! たっけてーーーー!!」
 叫ぶニトロに、ティディアは言った。完全に血の気が引いている彼の顔を力ずくで自分に向けさせる。彼女は、目を潤ませて微笑んでいる。
「約束したよね? シェルリントン・タワーから逃げ出せたら……」
「いらない! やめろ! いやムグー!」
 強引に唇を奪われ涙するニトロ。
 情熱的に接吻し続けるティディア姫。
 ハラキリは、うなった。
「…………哀れな」

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