それは恐ろしく速いパンチだった。
 追撃を避け大きく後退したハラキリは、対峙し構えるヂョニーからよく覚えのある機械的な印象を受けて驚いた。
 技術の粋に感嘆する。そこにいるのは『人』そのものだ。生体機械ゴーレム技術でも併用しているのだろうか、外見はもはや見分けがつかない。
「これはこれは」
 ハラキリは手榴弾の安全装置を外し、即座にティディアの後方、この広間と城内を唯一つなぐ大扉に投げつけた。手榴弾は緩やかな軌跡を描き、大扉の足元に落ちた。その瞬間、それは爆裂した。ピンク色のゲルが手榴弾の進行方向へ飛散し、大扉に付着すると瞬時に硬化する。
 念のため、簡単に援軍を入らせない細工だ。
「アンドロイドを恋人にするとはいい趣味している」
 襲いかかってきたヂョニーの、正確で速射砲のような攻撃を見事にかわしながら毒づいたハラキリの言葉に、耳ざとくティディアが笑った。
「人間を殺せる戦闘用よ、死なないでね」
「そうしましょう」
 つぶやき、敵のに囚われぬようたいさばきながら左手の小さな動きで腰の鞘から毀刃きじんのナイフを抜く。
 ハラキリはニトロを一瞥した。
 彼は、ゆっくりと、鬼気迫るオーラを歩にまとわせ、愉しげな笑みを絶やさぬティディアに迫っていた。
「ニトロ君も、できれば死なないで」
 『録画』は成功している。後は自分が生き残り結末を得るだけだと、ハラキリは意識を目前の敵に集中した。
 ヂョニーはハラキリの小さな予備動作も見逃さず、そのデータ解析から次の動作を予測し、的確な攻撃を仕掛けていた。
 ハラキリは行動を先読みしてくるアンドロイドの特性を逆手にその先を読み、拳や蹴り足を避けていたが、徐々に追い詰められつつあった。
 と、ふいにヂョニーの行動予測プログラムに異常が起きた。まるで腕を上げる兆候もなかったハラキリの右手が視覚センサーの目の前にあった。
「?」
 その手に並ぶ爪先つめさきが人工眼球の角膜をぎ払った。行動予測プログラムに不測のデータが流れ、視覚センサーへ予想外のダメージを受け、既定されていた攻防コマンドにエラーが生じる。
 ヂョニーの制御システムが、怯んだ
 その瞬間、ハラキリの手の白き刃が、アンドロイドの胸元に吸い込まれていた。
 ヂョニーの顔が驚きに歪んだ。
「『君達』の強さにも脆さにも慣れていまして」
 行動中枢の基幹に自動修復不可のダメージを受け、動きが止まったヂョニーからナイフを引き抜き、ハラキリはその足を払った。アンドロイドは無様に倒れ、口と傷口から血色のオイルを噴き出した。
 ハラキリは躊躇なくヂョニーの残る主要機関全てに毀刃ナイフを突き立て、その機能を完全に破壊した。
「残念でしたね」
 アンドロイドは、ただ残骸と横たわる。
 ハラキリは息をつき、見届けようと、彼に目を向けた。
 ちょうどその時だった。
 ニトロが絶叫したのは。

 手榴弾が起こした風に、ティディアの白い衣と黒紫の髪が揺れている。彼女が誰かに声をかけたが何も聞こえない。ニトロは胸の奥から湧き上がってくる様々な感情に瞳を震わせながら、彼女の元へ歩んでいた。
 殺意に、眩暈めまいがしていた。一歩一歩進むごとに明瞭に晴れ渡っていく思考に、眩暈がしていた。
「……」
 彼は、ナイフで指を切った。鋭い痛みに眩暈が吹き飛ぶ。彼の視界は、薄ら笑う女の顔をはっきりととらえていた。
 ティディアまで数歩というところで、ニトロは止まった。自分より少し背の高い王女を睨みつけ、息を大きく吸った。
「!」
 刹那、ニトロはティディアに切りかかった。彼が首を狙って薙いできたナイフをかわし、彼女は祭壇に駆けた。そこに仕込んでいた黒色の至鉄鋼アルタイトの小剣を手に取り、切っ先を歩み寄ってくる敵に向ける。
「そんな目で見つめられると、私、どきどきしちゃうわ」
 あくまで平静を崩さずティディアは言った。彼女には余裕が満ち溢れていた。その根拠は、ニトロも知っていた。王女は、身体能力も抜群に高い。軍内で開催された剣術の試合で優勝を飾っているほどだ。
 だが、ニトロは切り込んだ。
 彼に躊躇いはなかった。
「うああ!」
 ニトロが雄叫びを上げた。その『力』に、ティディアはされた。リーチに劣るニトロの攻撃を後ろに下がって避ける。追って来た彼を剣の先で牽制しながら、彼女は舌なめずりをした。
「これよ」
 快感が体に走り、頬が紅潮する。
「これを味わいたかった!」
 ティディアが袈裟けさ斬りに剣を振るう。それをかわしたところへ、深く踏み込んで足を払ってきた彼女の第二撃を、ニトロは『刷り込まれた反応』に身に任せて靴に仕込まれた至鉄鋼アルタイトの板で受けた。
 甲高い音と火花がぜるが同時、彼はナイフを王女の脳天に振り下ろし――
「!」
 その時、ニトロは開いた脇に迫る怖気おぞけを感じた。
 思うより速く、ニトロの背を潜在意識に宿る格闘プログラムの手が引いた。思い切り後ろに跳んだ彼を追って、その右腕があったくうを、黒い刃が切り裂いていく。
 ティディアの切り返しであった。
「うふふふ」
 笑って、ティディアが刃を指でなでる。皮膚が裂け、赤い血が刀身を滑り、白色の石床に数滴落ちてまだらを描いた。
「気をつけてね? よく切れるから」
 ニトロは、微笑みを塗り潰す狂気さえも美しい姫をめながら、深呼吸をした。実力の差を痛烈に感じ、『勝てない』という理解が身に染み渡る。だが、ペースを取られてはいけない。
 自分より明らかに強い相手に勝つ方法を訊いた時、苦笑いしながらも、ハラキリが言ってくれた。
 例え実力が離れていても、気が勝れば万が一もあり得ると。
 そして相手が強いが故に余裕を油断に、油断を隙に変える機会を待ち逃さなければ、勝つことも不可能ではないと。
 それに賭けるしかないのだ。ティディアは余裕に満ちている。それに賭けるしかないのだ。
 殺されても、仇を、討つには。
「……」
 ニトロは、ティディアを中心に円を書くように、じりじりと動きながら機を窺った。
 彼女の構えには隙がない。勝機など微塵も感じられない。
 だが、『手』までもが無いわけではない。
 彼は、ある程度動いたところで、まっすぐ間合いを詰めた。
「シ!」
 小さい吐息と共に、ナイフを不用意に突き出す。それを見逃すティディアではなかった。彼女が小さな動きで振り下ろした小剣は、ニトロのナイフを半身から切り落とした。
 彼のナイフも至鉄鋼アルタイトコーティングがなされていたが、ティディアの技が勝ったのだ。
 そこからさらに踏み込んで、ティディアは剣を切り上げた。
 それはニトロがかわせない攻撃であった。
 だが彼にかわす意志は毛頭ない。防御も命も捨てて刃へと踏み込んだ!
 ニトロの踏み込みに、ティディアの剣は必殺の威力を発揮する間合いを潰された。
 しかしそれでも至鉄鋼の剣は切れ味を発揮し、ニトロの戦闘服を切り裂き、右脇の肋骨を削った。硬い感触が剣を伝う。このまま骨に沿い引き斬れば肝を断ち、肺を割ろう。
 柄を握る彼女の手には勝利があった。
「……あ」
 だが、ティディアの口からはおののきがこぼれ出た。信じられないことに、彼女が見るニトロの顔は、苦痛に歪んではいなかった。
 見開かれたまなこ
 殺意だけが、彼にある。
 彼女は恐怖を覚えた。
 これまでの震えとは違う痺れがティディアを襲い、しなやかに動くはずの全身が硬直した。右目の視界を覆う硬い拳を、避けようとすることもできなかった。
「っっ!」
 ニトロの渾身の拳を受けて、ティディアはたたらを踏んで後退した。『背後にあった』祭壇にぶつかり、転ぶことはなかったが、
「くそ」
 ぐらつく視界の中に、毀刃きじんナイフを抜いて迫るニトロを見てティディアは歯噛んだ。
 避けられない。身をかわすこともできない。彼女は……
 剣で受けようにも、彼の手中で白光纏う刃は至鉄鋼すら断ち切る。
「……嫌」
「うわあああ!」
 その絶叫は雄叫びにあらず、悲鳴だった。魂引き裂き爆発した悲憤だった。
 ティディアの諦めにニトロの体が重なり、殺意の切っ先が、深く、泣きたくなるほど無抵抗に彼女の腹を深く切り裂き、肉を、血を、腸を   貫いた。
 少年の頬に、ため息に似た吐息がかかった。
 王女の手からこぼれた小剣が固い床に落ち、もの哀しげな音が、静寂の中にひどく甲高く響き渡った。

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