ゴーグルの暗視機能が見せる薄闇の中、3分ほど階段を登ったところでハラキリが立ち止まった。彼の頭の上には丸い扉があった。それを回し開けると、ニトロの前に明るい出口が現れた。地図には『東の庭・池』と示されていた。
 東の庭といえば、王城を特集した番組などでは一番地味な扱いを受けている庭だ。強固な城壁と、そびえる城の壁に囲まれた日も射さぬ暗い庭。しかし反面、人目のつきにくい場所にあることから様々な密会が行われたとも噂されている。
 階段は、その庭の池の脇にある植え込みの中に続いていた。隠し通路の出入り口だけあって、植物は人が立ち上がっても十分姿を隠せるように植えられていた。
「ふう」
 地上に出たニトロはダイバーマスクを外し、戦闘服の機能を使って濡れた全身を乾かしながら、閉所の中で溜まっていた緊張を息と共に吐き出した。
 一生入ることはないと思っていた城の中は、思った通り不思議な雰囲気に包まれていた。権威の重厚さか、歴史の荘厳さかは判らないが、漂う霊気のようなものが肌に触れてくる。
 右方、先の窓に明かりがついている。壁に大きな換気扇があるところを見ると、そこは厨房らしい。もう、食事の仕込みに入っているのだ。
「人は動いているみたいだね」
「24時間営業ですから。さてニトロ君?」
「ん?」
 振り返ると、イヤホンをつけたハラキリがニトロにまた小型コンピューターを渡した。
「イヤアアア! 悪魔ガ出タアアアアア!」
 ハラキリの耳に、絶叫が響き渡った。もしコンピューターのステレオをオンにしていたら、厨房にいる人間の耳に届いてしまっただろう。
 ハラキリは悪魔と化したニトロを眺めながら、イヤホンにつながるミニマイクを口元に近づけた。
「やあ、メルトン君。おかげで楽させてもらってますよ」
「コッチハ死ヌホド大変ダ! セキュリティノ『りっちゃん』ヲドレダケゴマカシテルト思ッテルンダヨ!」
「君はこっちの動きトレースできてますね? 行く先の監視カメラを偽造映像に差し替えてください」
「勘弁シテクレェェェェ」
「ニトロ君。メルトン君が死ね、だって」
 ニトロ・ポルカト、悪魔から八面六臂の大魔王にアップグレード。
「コココココココッコッコオ殺サレチャウウウウウウウ!!」
「嫌ならちゃんとして下さいねー。で、確認したいんですけど、おひいさん、ちゃんと寝室にいますか」
「イナイィィ」
 ハラキリは顔をしかめた。最悪の状況とその対策を頭に描きながら、訊く。
「どこにいますか?」
「玉座ノ間ダ」
「玉座の間?」
 ハラキリは城を見上げた。玉座の間といえば、ちょうどこの上にある15mほど上、分厚いカーテンに閉ざされている大窓には、確かに、わずかに光が漏れて見えた。
(やってくれる)
 忌々しくも、呆れる。だがハラキリはすぐに気を取り直し、確認した。
「本当ですね? 違ったら殺しますよ」
「本当ダッテ。サッキ、恋人ト何カ『プレイ』スルトカナントカ」
 玉座の間といえば、王城の中でも最も神聖なる場所とされている所だ。
「……お姫さんらしいと言えば、らしいですか。じゃあメルトン君、何があってもセキュリティの相手、引き続きお願いします」
 言って、ハラキリはメルトンの返事を聞かずに接続を切った。
「何だって? バカ姫らしい?」
 人間に戻ったニトロの問いに、ハラキリは笑った。
「一応、プカマペ様の御加護があるようです」
「プカマペ? ……ああ、君の自作の神はいいから」
「つれないなぁ。ツッコンで下さいよ」
「この期に及んで何を言うか。さっさと教えろよ」
「……言いにくいんですが、お姫さん、玉座の間で恋人と何か『プレイ』しているとかなんとか」
 ニトロ、再び変身。
「なぁにぃぃ?」
「ああ、だから先にツッコンでストレス発散して欲しかったのにぃぃ」
 顔面を鉄の爪アイアンクロウで締めつけられながら、ハラキリはうめいた。持ち上げられ宙に浮いた足をばたつかせ、顔面を掴むニトロの手を引き剥がそうと試みるが、脱出できない。
 何だこのツッコミの馬鹿力! 正直、死んじゃいそうです……!
 ハラキリが泡を吹いてぐったりしたところで、ニトロは我に返った。こんなことをしている場合ではない。今すぐにでも玉座の間に向かい、あのクソ女に鉄拳をぶち込まねば。
「おい、寝ている場合か、ハラキリ。こんなところでもたつくのは時間の無駄だ」
「ニトロ君、なかなかヒドーイ」
 冷たい地面で痙攣しながら、ハラキリはザックから何かを取り出そうとして、ふと手を止めた。目当てのものを掴んだ様子ではなく、考えを改め、目当てを変更したようだ。そして取り出されたのは、ソフトボールほどの大きさの機械だった。メタリックな鈍光を持つそれは、にこやかな女の顔に八本の足を持っていた。金属製の人面蜘蛛という表現が、最も適切であろう。
「何これ」
「『爆砕君チョメド』です。奇抜さが人目を引いて意外に大ヒット」
「じゃなくて。一体どういうものなんだ?」
「これはセットした目標に自動的に行って自爆してくれるんです。威力が集中する構造で作られている爆薬は、例え対核兵器仕様の強化セラミック100mmでも貫けるほどの破壊力! もちろん、あの有名な玉座の間の超強化ガラスにだって穴が開くっ。そうなれば超強化ガラスもヒビだらけ、蹴り破れるほどボロボロになります」
 と、そこまで説明したハラキリの手が、ぽろりと『爆砕君チョメド』を取り落とした。
「――――っ!?」
 ニトロは声にならない悲鳴を上げた。こんな所で爆発されたら、警備兵に絶対見つかってしまう。というかその前に死ぬ。なんだか走馬灯のようなものが彼の脳裏を駆け巡った。が、
「あれ?」
 ニトロの足元に落ちた『爆砕君チョメド』は見事に着地するとモーター音もなく歩き出した。
「玉座の間はあそこです」
 ハラキリはボーガンを組み立てながら、ニトロにその場所を指し示した。そこに向けて『爆砕君チョメド』が垂直の壁も苦にせず登っていく。
「……爆発って、そんな派手なことして大丈夫なのか?」
「おひいさんは派手好きのようですから」
 その言葉が、何を示しているのかニトロには解らなかった。ハラキリの真意を探ろうと振り向くと、ちょうどそこへ問いを投げかけられた。
「覚悟はできていますか?」
「何の覚悟だよ」
「おひいさんとのデート」
 ハラキリはボーガンを構えた。『爆砕君チョメド』が向かう、ライトアップされた城壁の中にぽっかりと存在する大窓の上に、鋭利なやじりを向けている。
「できているのなら、拙者に掴まって下さい」
 ニトロはハラキリの背に回った。何も言わず、彼の腰に手を回す。
「作戦は?」
「爆弾で脆くなった窓を蹴り破って突入。その後は、君の思うように」
 ぐっと、緊張が増した。
「……おう」
「では、行きますよ」
 その時、『爆砕君チョメド』が大窓に貼りついた。刹那、凄まじい爆音と共に大地が揺れた。
 痺れる鼓膜がニトロに、ハラキリが何かを叫んだことを伝えるが、その内容までは脳に届かなかった。
「っうわあ!?」
 ぐんと上に体を引っ張られて、不意をつかれたニトロは悲鳴を上げた。その間にも、凄まじい勢いで体が空に運ばれていく。ボーガンはこのためのものだったのだ。スパイ映画さながらに、矢につけたロープを巻き取って壁を登る。ニトロは剥がれそうになる腕に力を込め、必死に振り落とされないように堪えた。
 もうもうと立ち昇る煙の中に、全身が吸い込まれる。その一瞬後、彼の耳元でガラスが砕け散る音が鳴り響いた。

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