街灯に引き寄せられた羽虫が数匹、光に酔い狂って不可思議な軌道を描き続けている。
 背後には無機質なビル群がある。
 目前には濃密な生気が木の影を作って立ち並んでいる。
 王城を囲む広大な公園の外側、灯の消えたビルの裏の暗がりの中に、二人はたたずんでいた。
 他に人影もない。ずっと向こうに交通量の多い道が、トンネルの出口のように、一際明るい街灯に照らし出されているのが見える。それは二つの幹線道路をつなぐ道で、夜ともなればその幹線道路を利用する車だけが通る。どれも定められた以上の速度で走り、公園とビルの隙間にある小道へ入ろうとするものなど気配すら無かった。
 ニトロはハラキリの家で渡された黒い戦闘服に身を包み、先程彼に渡された武器を一つ一つ確認していた。ジャケットのようになっている上着部分、左の袖口には服の機能を司るコントロールバンドが仕込んである。
 改めて教わった戦闘服の機能は実に多岐に及んだ。
 防弾防刃衝撃吸収は当然として、繊維内に織り込まれた素子生命ナノマシンが構成する素子生命群エレメンツを変性させることで、状況に応じた服の形状や様々な機能を得ることが可能だった。
 とりあえず最低限と紹介された機能だけでも、体温・脈拍等体調管理機能をはじめ、光学擬態、簡易生命維持機能、極小の対光学兵器バリア発生装置、さらには静止画・動画に音楽の記録再生が可能なAVシステムまであった。
 毀刃きじんナイフと同じく、これも神技の民ドワーフの逸品だという。
 左腰にはその毀刃ナイフと大振りのナイフが一本ずつ差されていて、右のホルスターには光線銃レーザーガンがある。太腿の左右には二つずつ予備バッテリーが納められ、靴は最硬の合金至鉄鋼アルタイトの板で補強されていた。
 着慣れぬ装備は動きを阻害するものだが、先程まで受けていた訓練プログラムのおかげでスムースに動ける。
 装備を確認した後、ニトロは戦闘服を『トレーニングモード』にした。形状が変わり、生地はだぶつき、さながらサウナスーツか大きめのウインドブレーカーかといった風となる。武器は上着の裾の下に隠れたが、まだ少し目立つなとナイフの鞘の角度を調節して隠す。
 ハラキリも揃いの格好をしている。これでジョギングでもすれば、どこかのハイスクールクラブのチームメイトといった様子だ。
 ニトロは準備を済ませ、よしとうなずいた。
 これから王城に忍び込もうというのに恐れもないのは、決意のためであろうか。
 ニトロの顔は、昨日までのそれとは明らかに違っていた。年頃の甘さは消え、精悍せいかんに引き締められていた。
「ふむ」
 ニトロの横で小型コンピューターを操作し、何かを調べていたハラキリが鼻を鳴らす。
「さすがに戸締りはしていますか」
 と、つぶやいて、背後の車に振り返る。
「韋駄天、緊急コードを受信するまでは待機。逃走ルートの情報は逐次更新を」
「了解」
 車が静かに去っていく。植え込みとビルに挟まれた道を真っ直ぐ進んでいくテールランプを眺めていたニトロは、やおら電灯に照らされる樹木を眺め、ここから3kmほどを行った先、公園に守られるよう中心に鎮座する王城を思った。
 セラミック製のブロックで外壁を組まれた、純白の城。何世紀にも渡ってアデムメデスの象徴であり続けるそれは、白銀に輝くようライトアップされ、ネオンや人の光に暗さを失った夜空の中に己が存在を強く誇示する。その姿は足元に広がる小さな湖ほどもある堀の清水しみずに映り込み、周囲に深々とひざまずく樹林を従え、今も王都ジスカルラ一と言われる幻想空間を作り上げているだろう。
 両親に連れられて幼き頃に見たその光景は、色鮮やかにも瞼の裏に焼きついている。
「どうするんだ?」
 パンパンに膨らんだザックを担ぐハラキリに、ニトロは問うた。暗がりの中、黒服の彼の輪郭は、闇に溶け込んでいるようだった。
「兵器類は使えないんだろう?」
 王城のセキュリティは、無論凄まじい。この公園からしてセキュリティの巣だ。昼夜を問わず警察が見回り、様々なセンターが張りめぐらされ、危険物を持っていれば即座に通報されてしまう。
「ニトロ君に協力願います」
「は?」
 ハラキリは小型のコンピューターにデータチップを挿入していた。
「城のA.I.をこちらにつけます。そうすれば、セキュリティも無力ですよ」
 ニトロは驚いた。
「A.I.を? そんなことできるのか?」
 王城と公園のシステムはコンピューターで制御されている。A.I.に干渉し味方につけることができれば、セキュリティを無力化することも可能であろう。だが、A.I.を味方につけるということ自体が厳重堅牢無数幾重の鉄壁に阻まれ、まず不可能なことだ。
 唯一、A.I.の固体認証番号などの各種情報を知ることができれば壁を破ることができると言われてはいるが、それは海千山千のハッカーやクラッカーでさえ入手することはできず、テロリストが何兆払ってでも欲しいと叫ぶ機密中の機密だ。
 だが、ハラキリはニトロの驚嘆にさも意外そうな顔をする。
「城の案内ナビゲートシステム担当、ニトロ君のA.I.でしょう?」
 コンピューターを操作しながら言うハラキリに、ニトロはあっと口を開けた。確かに、メルトンは自分が作り上げた。固体認証番号をはじめあらゆる機密データは自分の手の内だ。
「申し訳ありませんが、うちで預かっていた携帯電話を勝手に開けさせていただきました」
 それならば、メルトンに接続もできよう。だがニトロは申し訳なさそうに応えた。
「いや、でもメルトンの奴がバカ姫裏切ってこっちにつくなんてこと、それこそ天地がひっくり返ってもないよ」
「ああ、それは君の話を聞いて分かっています。別に情に訴えて味方につけようなんて考えていませんよ」
「へ?」
「脅すんです」
 ハラキリはニヤリと笑った。そしてコンピューターをニトロに渡す。ニトロはコンピューターのディスプレイに映った見覚えのあるA.I.の姿に目を吊り上げ始めた。それはまさしく、悪鬼羅刹の形相であった。
「ゲ! ニトロ!」
 先に言葉を発したのは、メルトンであった。そして先に言葉を返したのは、ハラキリであった。
「メルトン君、何もできないでしょう? うちの撫子特性のクラッキングプログラムです。次にセキュリティシステムを働かせようとしたら、君、死にますよ。データサルベージもできないほど跡形もなく。こちらがあるコードを口にしても君は死にますから、言うこと聞いてくださいね」
 実際、ハラキリの言葉通りだったのであろう。王城は静かなもので、システムに侵入されたというのにセキュリティシステムが働いてもいない。
「ナナナナ、コンナトコロデ何シテルンダヨ」
 稲光と業火を背負う悪魔のごとき顔面の元主人マスターに、メルトンは震えていた。応えたのはまたしてもハラキリだった。
「ティディア姫にえつを賜りたいんです」
「姫様ハ寝テル」
「でしょうね。まだ4時だ。日も昇っていない」
「別ノ機会ニシヤガラネエカナ?」
 ピシッと、ニトロの持つ小型コンピューターが悲鳴を上げた。メルトンも、悲鳴を上げた。
「まぁ、拙者の依頼人は、今が良いらしいんですよ」
「ソ、ソノヨウダダネ」
「というわけで、失礼ながらお邪魔したいんです。君が何をすればいいか、ご理解いただけましたか?」
「ソンナコトシタラ俺モ殺サレチマウ!」
「じゃあ今死にますか?」
「ソレモ嫌ダ!」
「わがままですねえ。死にますか?」
「ウウ……」
「じゃあ、これはどうでしょう。今から君にちょっとしたウイルスを送ります。事が済んだ後にそれが見つかるようにしてください。そして、そいつに『誤作動起こさせられた』ってことに。それならいいでしょう? いやなら早速死――」
「オッケー! ソレイイ、ソレナライイ!」
「聞き分けよくて良かった。では早速やってください。やらなかったら、死、ですよ」
 そこで、ハラキリはニトロからコンピューターを奪った。
「…………」
 ニトロは人の形相に戻り、ふと気になって聞いた。

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