「何ヲ調ベマスカ?」
「ポルカト夫妻の死亡事故記録を」
ハラキリがニトロに訊ねた。
「なぜそう思うんです?」
「勘だよ。お姫様のヒステリーが、ちょっと引っかかったのさ」
はたと、ニトロの眉間に皺が刻まれた。
「よく俺の考えていることが解ったね」
「あるいは、その可能性もあるな、とは想像を」
「ひどいな」
ニトロは平然と言うハラキリに不満を向けた。怒りや憤りはない。彼がどう思っているのか、漠然と解っている。だがあえて、訊いてみた。
「なんで言ってくれなかったのさ」
「君の『安全』には不必要な情報でしょう」
ニトロはため息をついた。ハラキリは『解っているのでしょう?』とばかりに、こちらの心を見透かしたような調子だ。そして、その通りだった。
「うん、もう、『安全』とか、どうでもいいかも」
今度はハラキリがため息をついた。まるで観念したかのように。ニトロの言葉に、そして、その言葉が意味することを自分自身が理解していないニトロの様子に。
「外れていることを祈ります」
「俺もだ」
ニトロはふと撫子と目が合った。撫子は会話が終わるのを待っていたらしい。軽く目礼をして、ウインドウにデータを呼び込んだ。
「コチラデス」
ウインドウに、ニトロの両親の顔写真が貼られた資料が表示された。その中の文字を辿りながら、ニトロは撫子に聞いた。
「精製フロギストンを運んでいたタンクローリーの受注データ、判る? ええっと、『フォニッケ運輸323号車』の」
「オ任セ下サイ。事故車ノ受注記録ガ御所望デスネ?」
ウインドウの表示が切り替わる。撫子は鼻歌を歌いながら、膨大なデータの海からニトロの欲するデータを拾い上げてきた。
「オ待タセ致シマシタ。事故ヲ起コシタ『フォニッケ運輸323号車』ハ、『株式会社ソレスター』トノ契約下ニアリマシタ」
「ソレスター? ハラキリ、知ってる?」
ニトロが問うと、彼はうなずいた。
「ティディア姫の乳母が会長を務める総合商社です。表向き零細企業、実際は幽霊会社です」
「それだけ?」
「いいえ」
ハラキリは観念混じりに答えた。
「ある意味でこの会社、とても有名です。
ティディア姫の、『
ニトロの顔が引き締まった。
そして、彼は言った。
「依頼を変更するよ」
「……聞きましょう」
「こっちからティディアに会いに行く」
「復讐しに、ですか?」
はっと、ニトロはハラキリを見た。
ニトロは掴み所のない表情をしていた。『何か』に気がつかされた求道者のような顔だった。その中で、まるで狼狽しているような瞳が、嫌に落ち着いた光を湛えてハラキリを見据えていた。
「わからない」
「わからない?」
「こう、胸の中で色んな感情がモヤモヤしてさ、俺が何をしたいのか、わからないんだ。だから、会いに行く。奴に。会いに行って……多分、そうだね……殺したいのかもしれない」
「殺しては、この件の解決は得ましょうが、代わりにニトロ君の未来は潰れてしまいますよ。うまくいったとしても、ニトロ君は人を殺した事実を背負って生きられますか?」
「未来、か……。もう、俺は将来を語れないよ。未来はもう、あいつに支配されている。あいつを忘れられない。逃げたところで――……きっと耐えられない。ならいっそあいつを道」
『道連れ』と動こうとしたニトロの唇を止めるように、ハラキリが言葉を差した。
「一時の感情に任せて人を殺めるのは、けして誉められません」
明らかに自分よりも法の外にいるハラキリの言葉とすれば、矛盾があった。だがその口調は厳しく、彼が
ニトロは長い沈黙の後、ゆっくりと息を吐くように、震える声を極度に押さえ込んでいるように、言った。
「分かってる。
人を殺すことが、例えどんな理由があっても禁じられていることは解っているけど……それを守らないといけないのも判っているけど……法なんて、奴を裁けないし……
俺、俺は……親のこと、好きだった」
「……」
「うん。これが、殺意ってやつなんだろうね」
「……拙者は殺人
ニトロは、その言葉に失望した。間違いなく、ハラキリの力が必要なのに、彼が手を貸してくれないのなら自分の望みは露と消えるしかない。
「それに、君の安全確保の依頼はまだ生きていますから」
「それはもう…」
「ですが少々の追加は承りましょう。君を『ティディア姫のところまで連れて行く』。その後の進路は、その時に改めて」
「それじゃあ?」
「格闘プログラムを受けてもらいますよ、早速」
「ああ」
うなずいて、ふいに、ニトロが表情を曇らせた。
痛烈な悔恨に良心をねじ切られ、その苦悶を飲み込みきれずにいる顔で、ハラキリに頭を下げる。
「今更こんなことを言うのは卑怯だけど……本当に、巻き込んでごめん」
「はっはっはっ」
弁解のしようがない罪悪に
ハラキリは、作り笑いの軽妙な声とは裏腹に、困っているのか眉目を垂れている。
「卑怯でもなんでもありません。君が拙者を『巻き込んだ』ことに、何も責任や罪悪を感じる必要も、塵ほどもない」
彼は肩をすくめた。
「厄介事解決の荒仕事を受けると宣伝したのは拙者ですし、ええと、確か殺し屋も相手にすると書いたと記憶していますが……それを君は頼ったのでしょう?」
「……うん」
「命のやり取りも自分で『受ける』と言っていますから、拙者は。
だから、これは拙者の責任です。君の責任じゃない」
ハラキリの瞳は揺るぎない。言葉に偽りなく、依頼者を責める色は一切なく、現状の全てを受け入れている。羨ましいくらいに強固な意志だけが、そこにある。
それがどのようにして培われてきたのかニトロには想像することもできない。ただ激しい痛みが喉を締めつける。この痛みは、彼の言葉に泣きたいのか、それとも感謝を伝えようとしても伝えきれる言葉を持たないもどかしさのためか。
「ありがとう……」
搾り出すように、つぶやくニトロが差し出した右手が力強く握り返される。
二人は固く、握手を交わした。