「ニトロに関する情報操作を引き続き徹底。ハラキリ君につけこまれる隙を全て潰しなさい」
 シェルリントン・タワーのへりに立ち、軌道を変え街中に消えようとする獲物を双眼鏡で追いながら、ティディアは背後に控える部隊長に言った。彼は短く返事をし、去っていった。
「ホント度胸あるわねぇ」
 まさか、ニトロがここから飛び降りられるとまでは考えていなかった。いや、そもそも、こんな案を素人にふっかけるハラキリに度胸があると言うべきか。
 ニトロを捕まえた空中走板スカイ・モービルは、高速道路の高架下を通り抜け、ビル郡の中に姿を消そうとしていた。と、
「『犬』」
「は」
 双眼鏡の端から、一台の飛行車スカイカーが入り込んできていた。それは空中走板スカイ・モービルの進路上にいた。このスピード、タイミング……避けられない。
 瞬間、空中走板スカイ・モービルと飛行車が激突した。ぱっと生まれた火の玉がL字に弾け飛び、遅れて爆音が届いてくる。
「マスメディアを近づけないよう手配しといて」
「かしこまりました」
 ティディアは双眼鏡から目を離し、地上に落ちていく炎に背を返した。通信機で部下に指示を出す執事の横を悠々と歩き抜ける。
「舞台は調ととのったからね。ニトロ……」
 ティディアは、彼女の人生の中でこれ以上なくほくそ笑んでいた。

「あっはっはっはっは!」
 ハラキリの車、『韋駄天』の中でニトロは腹を抱えて笑っていた。
 助手席に座るニトロの前のダッシュボードでは、小さなモニターが光を放っていた。
 映っているのは人気ドラマを中断した緊急番組だ。見覚えのあるJBCSの女性レポーターが、シェルリントン・タワーで起こった未曾有の大事件を伝えている。生中継の映像は、事件の後すぐ近くで起こった交通事故の様子だ。
 シートに覆われた現場は兵隊に厳重に囲まれ上からも横からも中を覗けないため、事故直後の、激しく燃える車と空中走板スカイ・モービルの周囲でマスメディアが兵と押し合い混乱をきたし、対照的に消防用ロボット達が静かに消火活動を行う光景が繰り返し流されている。
 妙に喜劇的なだった。そして『アサシン死亡か!?』という赤字のテロップは、どんな喜劇よりも笑えるものだった。
「そんなに笑っていると、腹筋切れますよー」
 他星たこくの本を読みながらハラキリが言う。彼の前では、自動運転オート・ドライブに御されたハンドルが揺れていた。
「あっはっはっはっひぎゃ!」
 本当に腹筋がどうにかなったらしく、腹を押さえて悶絶するニトロを傍目はために、ハラキリは口を固く結んでいた。
 不機嫌な顔だった。彼は本を読みながらも目は虚空に、思索にふけっていた。そして同時に、当惑していた。
 シェルリントン・タワーで。
 ニトロと合流したハラキリは、手筈通り高速道路の高架下に忍ばせていた韋駄天に飛び移った。乗り捨てた空中走板スカイ・モービルは自動運転でそのまま直進させ、韋駄天が遠隔操作リモートで走らせる飛行車スカイカーに激突させた。
(ただの目くらまし)
 効果はさほど期待していなかった。ただ少しの間、敵の数を分散し、逃げるための時間が欲しかっただけだ。だが、いくらなんでもうまく行き過ぎている。その上、
(検問どころか尾行一つない)
 ダウンタウンの夜道は、多少の混雑はあるもののスムースに流れていた。そろそろ郊外へと差し掛かる所、この先はもっと快適に走れることだろう。
 ハラキリは、気持ち悪さを感じていた。
(おひいさんにこんな簡単な偽装なんて、通用しないはずなんだけど……)
 ニトロが痙攣している前で、モニターはティディアの会見を見せている。彼女は、事故現場での調査が終わるまで詳しくは話せないと言っている。
 正直、彼女がここまで惑わされてくれるとは考えていなかった。追跡を予想して用意した、後部座席で山積みになっている武器が馬鹿みたいだ。
(まぁ、泳がされてるんでしょうね。でも、何の得があって? マスメディアは利用できなくなった。もうこちらの打つ手は国交の無い国に逃げ込むしかない。それはお姫さんの望まぬことであるはずなのに……。何か、他に目的でもあるのか。それともこちらの出方を完全に読んでいるのか)
 ハラキリは本を閉じ、ようやく復活し始めたニトロに声をかけた。
「お疲れ様でした」
「本当に疲れたよ……」
 ニトロがシートに深々と体を沈める。
 その様子に、ハラキリはA.I.に言った。
「韋駄天、200番を」
「了解」
 A.I.の声の後、車載のスピーカーから優雅なクラシック音楽が流れた。
「まぁ、リラックスして下さい。今日はもう大丈夫なようですから」
 モニターは変わらず会見場の姫を映している。ニトロはそれをしばらく見つめていた。画面の光が照らす彼の顔は、どこか神妙な面持ちだった。ハラキリは気になり、彼に聞いた。
「うまく助かったっていうのに、浮かないですね。何か気になることでも?」
「……」
 ニトロは沈黙している。先程までの馬鹿笑いが嘘のように、唇を真一文字に結んで画面の中の美女を凝視している。
「ハッキング、って、お前はどこにでも仕掛けられるのか?」
 やおらニトロが発した言葉は、少なくともハラキリの意表をつくものだった。
「……ええ、大抵は」
「警察のデータを洗ってほしいんだ」
「それぐらいなら簡単ですが、でも何故?」
「気になるんだよ」
 ニトロはハラキリに顔を向けようともしない。眼差しは、モニターの中に注がれ続けている。
「……韋駄天、撫子につないでくれ」
「了解。エエト、今度ハドノ隠レ家ニ行ッテルノカ。……ツナガッタゾ。投射スル」
 運転席と助手席の間に、立体映像ホログラムが現れた。薄桃色のキモノを着た少女が、きちんと正座し、三つ指ついて頭を下げる。
「オ呼ビデショウカ? ハラキリ様。韋駄天」
「客ガ、ハッキングシテ欲シイトヨ」
「アラ」
 立体映像の少女は口元を片手で隠し、ニトロを見た。
「気ヅキマセンデ。失礼致シマシタ、ニトロ様。オ変ワリナイヨウデ、何ヨリデス」
 丁寧に辞儀じぎをする撫子を見て、なんとなく、ニトロは自分が育てたA.I.との品の差に虚しいものを感じた。
 どうにも複雑な顔をしているニトロに代わって、ハラキリが言う。
「撫子。早速で悪いんだけど、警察の……」
「事故のデータを見たい」
「と、いうことで、頼むよ」
「承リマシタ」
 撫子が手の平を上向けると、そこにウインドウが現れた。警察各部門の名称が表記された階層図が描かれ、その中から交通部門が選択される。一気に、膨大な量の事故記録が流れ込んでくる。
「……早いね」
 ニトロは驚いた。仮にも警察のネットワークへの不正アクセスなのに、まったくてこずることもなく、通常のWebサイトを見るかのような速度だ。
「オ褒メノ言葉、アリガトウゴザイマス」
 撫子が可憐に微笑んだ。

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