インタビュアー(T): 先程、いつか映画や劇を作ってみたいとおっしゃられていましたが、映画や劇はよくご覧になるのですか?
―― 暇があるときや、劇場で観ておきたいのがあるときはね、よく『お忍び』で観に行っているわ。
T: お好きな作品は何ですか?
―― 好きな作品? 古典やB級にわりと好きなのが多いけど……とりあえず悲劇は嫌い。
T: それはなぜですか?
―― 登場人物に感情移入すると、どうしても『自分なら』って思っちゃうから。自分なら是が非でも『私のハッピーエンド』にするのにって。
 ……ふふふ。
<JBCS独占インタビュー『新しき王位第一継承者、その素顔』より>

「……死んだ」
 真っ暗な『奈落』の底で、ニトロは断言していた。
 真っ直ぐ上に、周りよりぼんやり薄く四角い闇がある。そこが奈落の入り口だった。ここから高さにして5mといったところか。そこから、いや、そもそも幕を掴み損ねてのおよそ10mの落下も経験して、よくもまだ生きているものだと感心する。
 運が良いのかと思いもするが、奈落の口が開いていたことは運が悪い。こんな舞台装置を開け放しておくなんて危険極まりないこと、誰かのミスに違いないだろう。それはものの見事に、一人の人間に『致命傷』を与えてくれた。
 驚くことに骨折一つ負っていないようであったが、しかし落下の衝撃に痺れた体は、大の字のまま動かすことはできない。少しずつ回復はしているが、
「死んだ」
 ニトロは絶望の眼で繰り返した。
 聞こえてくる。追っ手共の足音。聞こえてくる。追っ手共の歓声。
 絶体絶命だった。このまま捕まり姫の前にしょっ引かれるか、あの悪女を待つことになるだろう。
「……」
 ニトロは唇を噛んだ。全身の痛みまで噛み殺そうと、強く、噛み締めた。
 冗談ではない。まだ死にたくない。それも、こんなことで!
 彼は力を振り絞り、激痛に痺れる左腕を動かした。少し離れた所に、あのカメラケースがある。衝撃で蓋が開いて中身が散乱している。それは好都合だった。むしろ幸運と言ってもいい。ハラキリが、様々なアイテムの説明をした最後に渡してくれたものが、すぐ近くに転がっていたのだから。
 最後の手段。『本当に危機に陥った時』に使用するよう、手渡されたもの。手帳サイズの、銀色に輝く小さなケース。
 ニトロは、そのケースを手に取った。中開のケースは厚みがあり、中身は隙間なく詰められているのか揺れもせず、見た目よりは重い手応えがあった。
「っ!」
 背中を叩く激しい鈍痛に顔をしかめながら、ニトロは上半身を起こした。し、深い息を吐く。
 ハラキリはこのケースに一体何が入っているのか、「秘薬みたいなもんです」とだけ言ってその詳細を語ってはくれなかった。麻薬の類か、それともまさか自殺用の毒薬かさえ、教えてくれなかった。ただ自信を持って「リスクはありますが、必ず助かります」と、そう言っていた。
「頼むよ、ハラキリ」
 祈りながら、ニトロはケースを思い切って開いた。
 中身のほとんどは衝撃吸収剤だった。ゴム材のクッションが左右に開いたケース内に敷き詰められ、その中に抱かれるように、あるいは封じ込められているかのように、一本の注射器が埋め込まれていた。
 注射器の中には蛍光緑ネオングリーンの見るからに毒々しい液体がある。
 これを、打てと言うのか。
「…………」
 ニトロは固唾を呑みながら、注射器を慎重に取り出した。針を防護するキャップを静かに外し、震えが止まらない針先をジッと見つめる。
おー。俺っちの出番か〜い
 すると、突然どこから声がした。
「――――」
 ニトロは硬直した。
 え? マジ?
 そんな文字が脳裏を埋め尽くす。見開かれた眼からは、遠慮なくその情報が脳裏に送られてくるが、それを理解することは彼の全身が拒否している。
 ――注射器の針先から、小さな緑色の手が飛び出していた。
ぃよっ
 そんな掛け声をかけて、手は何か掴まるところを探してばたばたと宙を掻く。思わずニトロが注射器を取り落として後退ると、手は幸いとばかりに床に爪を立てた。
こらしょっ
 と、注射器の中から緑色の……雑に粘土で作った人形、、、、、のような生き物? が這い出てきた。
 そしてむくりと立ち上がると、こちらに振り向き飛び寄ってくる
「いやいやいやいやいいあいあやいや?」
 一瞬、粘水生命体ゲルリアンかとも思ったが、違う。粘水生命体ゲルリアンなら、こんな、ちょいとばかりに浮き上がったりするものか。
 では、何だ?
 粘水生命体でないとすれば、信じられない登場をやってのけたコイツは一体何だというのだ?
 それの頭には、旗が刺さっていた。
 風もないのにはためく旗には『天使』と書かれていた。なぜか裏側には『元祖!』とある。体はぼんやりと発光していた。
 元祖ともかく、しかし確かに、間違いなく、天の使いにゃ見えやしない……!
「馬鹿な幻覚だ非現実的だ幻術か催眠術か新手のガス攻撃か?」
 鉛と脳味噌が体当たり勝負しているかのような、とんでもない頭痛に世界が歪んで見える。
おう、にーちゃん。お困りかね
 ぴっと片手を挙げて、フランクな調子でそれは言ってきた。
俺っちを飲みな。ささ、ぐぐぐいっと。気持ち良くしてやるぜ〜?
「…………」
 ニトロは、腰をくねらせて踊っている自称『天使』の言葉に、唇を震わせた。
遠慮すんなって。ほらほら怖がるなって、ほらほらほらほら♪
「の」
の? 飲む? おーいえー
「飲めるかアホォォォォォウ!」
ぅをんぱサーーーッ!?
 ニトロの怒りの鉄拳が、緑のそれを、目の前にある現実を叩き潰した!
 拳ごと床に叩きつけられた『天使』は奇妙な悲鳴を上げて――
「?」
 ふと濡れた感触を得て、ニトロはおそるおそる腕を上げた。

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