デバロが、ジョシュリーが、マスメディアの皆さんが、顔を蒼白にしてニトロを見つめていた。JBCSのスタッフの中には、あまりの事に泡吹いて倒れている者までいた。
ホールにいる全ての者の視線が集まる中心で、ニトロは立ち尽くした。
ホールにいる全ての者の視線。ヂョニーはあんぐりと口を開け、ティディアも目を点にしてこちらを凝視している。
「あーうち」
痛恨の事態に、ニトロはうめいた。
必至の一手を放つ絶好の機会を、自らの手で、潰してしまった。
「……ニトロ? 本当に、本物……?」
集音マイクが王女のつぶやきを拾った。彼女は珍しく、うろたえているようだった。
ニトロ、ティディアの度肝を抜くことに成功。ちょっとだけ胸がキュンッってなった。
天井を仰いで息を吐き、彼は素早く気を切り替えた。
こうなったら先手必勝だ。
「みんな、聞いてくれ!」
「暗殺者よテロリストよ婦女暴行魔よ! 捕まえたら報奨金よ!」
後手大敗。
ニトロは悲鳴を上げた。ティディアの悲鳴と同時に現れたSPの姿に、
「だぁぁぁ!?」
そして、雪崩をうって襲いかかってきたマスメディア各位に。
すぐ隣のデバロは、こちらの腕をすばやく掴んでいた。瞳の中には、報奨金の文字が輝いている。
「ふんがぁ!」
気合一発デバロの手を振り解き、ニトロは叫んだ。
「ティディア!」
将棋倒しに折り重なるマスメディア連中から軽やかなフットワークで逃げ出した彼は、勢い任せに顎へ手をかけた。一気に特殊メイクを引き剥がす。
「あ痛たたた!」
「ああ!」
特殊メイクの下から現れたのは、接着剤に皮膚を引っ張られている少年の顔だった。それを見て、他社の記者の下敷きになっているジョシュリーが、驚愕の声を上げた。
あのホテル・ベラドンナにいた少年が、今ここで、会見席場で笑うティディアを睨みつけている。
彼は剥ぎ取ったマスクを王女に投げつけ、親指を下向けて叫んだ。
「いつか泣かす!」
「上出来よ」
ティディアは、嬉しそうだった。
「80点をあげる。ここから逃げられたら、100点にディープキッスをつけてあげるわ」
「いらねえよ!」
今やホールはパニック状態にあった。先を争ってニトロを捕まえようとした取材者達は、未だお互いに先を争っている。その結果、絡み合い、もつれ合い、人の山となり蠢いている。
幸いなことに、それが邪魔してSP達がこちらに向かって来られない。銃も、誤射を恐れて撃てずにいた。
今度こそ機を逃さず、ニトロはハンディカメラの『本当の機能』を作動させて、ホールの真ん中へと放り投げた。
「――やってくれるじゃない」
ティディアは宙に現れた『猫耳メイド服の姫と化物』を目にして、胸をときめかせた。その映像は、ニトロがハラキリと編集した彼女にとって最も痛いドキュメントだった。
ホールの誰もがその映像に目を奪われている。だが、それが何を意味しているのかを理解できる者はまだいない。ニトロに何を言わせるよりも早く、ティディアが叫ぶ。
「ジャミング! 奴に応援を呼ばせるな!」
彼女の掛け声に、すぐさま
その隙に、ニトロはハラキリがくれたカメラケースからサンダルを取り出していた。それを靴のまま直接履いて彼は叫んだ。
「ゴー!」
サンダルの側面に並んだ吸気孔が輝き、周囲の空気を凄まじい勢いで取り込む。それは底からさらに勢いを加速して吐き出され、彼の体を数センチばかり宙に押し上げた。踵を上げ角度をつけて進行方向を定め、床の上を滑走するようにホールから逃げ出したニトロは、ジャケットの襟に埋め込まれている通信機を指で触れて起動させ、『彼』を呼び出した。
「ハラキリ」
「はい」
耳下の襟にある超小型スピーカーから、ハラキリの声が返ってくる。それは力強いものであったが、微かに無念が見えた。ニトロは心痛めながら苦渋を吐き出した。
「すまない、失敗した」
「観ていました。笑うしかないにしては上々のネタでしたよ」
「あー。そりゃどうも」
通信に雑音が混じった。本当に通信妨害をかけてきたようだ。この通信機の性能のお陰でまだ何とかつながっているが、いつ切れてもおかしくはない。
「どうすればいい?」
エレベーターホールを飛び抜け非常口に向かいながら、ニトロは慌てて訊いた。
「屋上へ昇って下さい」
「え? 一人で逃げろっていうのか?」
「ええ」
ニトロの問いに、ハラキリは事もなげに答えた。
「今からそちらに行くには、不利が多いので」
確かに、下手をすれば二人そろってお縄にかかってしまうだろう。
「いや……でも」
「時間がありません。大丈夫です。高速道路で確信しました、君にはできます。それに、捕まりさえしなければ君は殺されることはない」
スピーカーから、大きな雑音が弾けた。
「くそっ!」
ニトロは毒づいた。
「屋上に逃げて、どうしろって言うんだ?」
「屋上に上がったら、王城の見える方角へ飛び降りて下さい」
「何だって!?」
ニトロは驚愕した。
「飛び降りろだって!?」
「そうです」
「一体どうする気なんだよ!」
「拙者を信じ」
そこで、通信が切れた。
「ハラキリ? ハラキリ!?」
応答はない。ニトロは唇を噛み、迷った。
この状況で、とるべき行動が一つしかないことは解っている。例え突きつけられた要求が無理なものであっても、ハラキリに従うしかないのだ。
だが、それで逡巡がなくなるわけではない。『従うしかない』ということは、逆に大きな葛藤を心に与えることもある。
「くそ」
ニトロは、揺れる瞳を足音響くエレベーターホールに向けた。
追っ手は、警備員やSPではなかった。それよりも速く、マスメディア連中が物凄い形相で迫ってきていた。その目は、金・金・スクープ・金の字に彩られている。特に顕著なのはJBCSの一行だった。
そして、
「待て待てーーー」
その先頭には、あははーと笑ってマスメディア連中引き連れて、手に
「待ってよ、ニトロく〜〜ん」
むかついた。
腹を決めた。ニトロの目が、すわった。