人災の後処理をする者は、大抵その被害を受けた者達か、贖罪を押しつけられた現場の者達である。
<ドキュメンタリー「弁護士:フェルナンド・ポルカロ」より>

 ニトロが目を覚ました時、一番に目に飛び込んできたものは、携行式ミサイルを構えるハラキリの姿だった。周囲には絶え間ない銃撃音と絶叫と、耳をつんざく咆哮がある。炎の揺らめき、血の臭い、油の焼ける臭気と硝煙の煙が入り混じり、大気は澱み気味悪くくすんでいた。
 どうやら、戦いが起きている。
 ニトロがようやくはっきりしてきた頭を振り、立ち上がると、目の前に火の海となった高速道路が広がった。
 無数の車が炎上し、爆発があちこちで起こっている。素子壁バリアは切られているらしい。爆発の度に大きな火の玉が、もうもうと煙がたちこめ火の粉がぎらつく空へと、地獄の底から掬い上げた黒煙を撒き散らしながら逆巻く。
 左右には新たな装甲飛行車が数台現れていた。そして何人もの兵士が、火器の集中砲火を目標に浴びせかけていた。
「あ」
 目標、生物兵器、ある意味、自分のクローンでもある……。
 ニトロは炎の中で、切なくも聞こえる叫びを上げるそれを見た。巨躯の所々から血が吹き出し、苦悶に動く度に裂けた腹部から大量の、見たこともない色の液体が溢れ出す。
 一見しただけで、今が断末魔の時だと知れた。
 ニトロの心に、奇妙な、感情が生まれる。
「……」
 ふと、ニトロは、ハラキリがこちらを見つめていることに気づいた。何かを、問うような目をしている。
「……トドメを」
 ニトロは彼の意図に触れ、言った。
 ハラキリが引き金を引く。放たれたミサイルは炎の尾を引き、狙い違わず生物兵器に命中し大きな爆発を起こした。
 それが、この戦闘の終焉となった。生物兵器はもはや叫ぶことすらできず、ただ、焼けたアスファルトに沈んだ。
 勝鬨の声が、上がった。
 兵士達が武器を捨て、仲間と肩を叩き合って健闘を称え合う。
「やったな少年!」
 ニトロの肩に腕を回して、一人の兵士が言ってくる。その男には見覚えがあった。ティディアと共に追ってきていた、装甲飛行車の助手席にいた男だ。
「これで俺達には明日がある!」
 涙を流す男の言葉の意味は、ニトロにはよく分からなかった。こちらには明日など見えもしないのだが……。もしかしたら、何か失敗をしでかして、ティディアに責任を追及でもされていたのだろうか。
「そうだ! バカ姫は!?」
 兵士の腕から抜け出して、ニトロはハラキリに問うた。
「帰りましたよ」
「帰ったぁ!?」
「仕事があるとか」
「仕事!? あれの始末を人任せにしてか!?」
 生物兵器は、ゆっくりと燃えていた。
「奴の遺伝子も入ってるんだろ!?」
「何でも、重要なお仕事らしい」
 と、これは先程の兵士。達成感と解放感に表情を輝かせている。
「あれの後始末以上に重要な仕事って何だ!」
「韋駄天」
「了解」
 韋駄天の上に宙映画面エア・モニターが現れた。そこには、見覚えのある顔が幾つか並んで映っていた。人気のある司会者と、辛口で有名なコメンテーター。
 スタジオに掲げられているスローガンを見ると、どうやらこの番組は『責任能力を育てる教育』をテーマにした討論番組らしい。そこに、特別ゲストとして、ティディアと教育大臣がいた。
「…………」
 ニトロは、口の端をひきつらせた。ティディアと教育大臣は、二人して熱弁を振るっている。
「おや。すっきりしたお顔で」
 思わし気に、ハラキリが言う。ニトロは腕を組み、頬の筋肉を痙攣させた。
「まぁ、人の性的嗜好はそれぞれだ。変態ともかく、大臣はまあいいさ」
 コメカミまで、震え始める。
「だが、ティディアが責任を語れるのか!? ってーか、いいのかこの国こんなのに任せておいて! あいつの本性、絶対暴君だぞ!」
「色々と奇行もなされるが、硬軟絡めた政治手腕はピカイチだ。嗚呼、我等が美しき姫様。あなた無しでは、この星の行く末も危うい!」
 とは、またも先程の兵士。ニトロは、悪鬼のごとき顔を彼に向けた。顔中の血管が浮き出て激しく脈打つ、鼻から蒸気を出さんばかりに怒気を噴出し、歯茎が裏返りそうなほど犬歯を剥き出す。
「バカ姫の犬は黙っとれぇぇ」
「ひえええ」
 兵士はそこに死神を見た。殺される。本気でそう感じ、悲鳴と涙を流して尻餅をつく。
 ハラキリが、おかしそうに喉を鳴らした。
「何がおかしいぃぃぃ」
「いやいや。ニトロ君、当たりですよ」
「……何が?」
「彼が、いや彼も『犬』ってこと」
 ハラキリは、へたり込んだ兵士の前に屈み込んだ。
「ねぇ、兵士さん。なんで拙者等を捕まえないんです? わざわざ後始末に付き合ってあげたのに」
 ニトロはハラキリの言葉に、周囲を見渡した。なぜか、多数の装甲飛行車が、空へと飛び去っていっている
「な……何の事だ?」
「妙な事が多過ぎるんです。そちらには、こちらを捕獲し仕留めるだけの力が充分にあったように思えるのですが」
「え?」
 ニトロの疑問に、ハラキリは笑った。
「ほら、高速ではすぐに追いついてきたし、あれを圧倒するだけの武器も人数もすぐに集まってきた。こちらとしては、量で圧倒されるのが一番困るんですけどね」
 ハラキリが指差した生物兵器の付近では多数の兵士による消火活動が始まっていた。その周りには、いつの間にか白いバイオスーツに身を包んだ者達までいる。
「あー」
 朝からの一連の出来事を思い出しながら、空を見上げる。そういえば、これだけの騒ぎにもかかわらず、上空にはマスメディアの姿すらない。
「そう言われれば……」
「結局、これはどこまでも『狩りハント』なんですよ。『猟犬』は、獲物を追い詰めても、獲物を捕らえることは決して許されない」
 ハラキリは兵士に顔を近づけた。その分、兵士が後ろに下がる。その表情は固まり、明らかに動揺を表していた。
「お陰でおひいさんの敷いたルールが確認できました。あなた方も大変ですね」
「私は何も聞いていない」
 兵士が硬直した顔をさらに引き絞る。その様子にハラキリはふと違和感を覚えた。まるでこれ以上開いてたまるかと渾身の力で閉じこもる貝のごとく、奥歯のさらに奥から歯を噛み締めている顔に。
「……もしや、他に目的でもありましたか?」
 兵士は何も答えない。
 少し兵士の鉄のような瞳を覗き込んだ後、ハラキリはため息をつくと、
「まあ、あなたにも家族がいるでしょうから、これ以上は聞きません。でも」
 と、突然、兵士の顎に拳を叩き込んだ。
「貴様!」
 一撃で兵士を気絶させたハラキリに殺気こもった怒声を浴びせたのは、周囲でこちらを取り巻いている兵士達だけであった。消火に従事する兵も、バイオスーツの者達も、こちらには何の反応も見せない。
 その様子にニトロも兵士達に明確な役割があることを知り、ハラキリの洞察に素直に感服した。
 だが、わざわざ猟犬を怒らせる彼のやり方には納得できなかった。
「ハラキリ、何やってるんだよ」
 今にも飛び掛ってきそうな兵士達にニトロは尻込んだ。ハラキリは少しも動じていない。それどころかニヤリと笑い、彼はニトロの後ろ襟を掴んで叫んだ。
「さあ、撃ってみなさい。撃てるものなら!」
「おい!」
 盾にされたニトロが悲鳴を上げ、ボディガードに非難を向ける。しかし、弾丸は飛んでこなかった。むしろ、兵士達が怯んでいる。その隙を縫って、ハラキリが韋駄天のトランクから取り出した強力なゴム弾銃で兵士達を無力化していった。
「攻めてこないとはいえ、後をつけられるのは鬱陶しいので眠っていて下さい」
 苦悶の声を上げ、あるいは気絶して地に累々と倒れる兵士達にハラキリは会釈した。そしてニトロから手を離し、そして蹴り飛ばされた。
「……なぜ?」
 ビックリまなこで訊くハラキリに、ニトロは半笑いを浮かべた。
「教えて欲しいか? じっくりと」
「遠慮しましょう」
 肩をすくめて飄々ひょうひょうと、その様にニトロはため息をついた。
「お前ねー」
「ところで、ニトロ君」
 一言言おうとしたところを遮られたニトロは、面食らって反射的にうなずいた。
「妙案があるんですけど……乗ります?」
「……妙案?」
 炎が生む熱風の中、二人は目を合わせた。ニトロの懐疑的な視線を受けるハラキリは、ただ笑みを浮かべていた。
 その表情に、ニトロはなぜか、ティディアと同じ匂いを感じた。
 だからだろうか、彼の話を詳しく聞いてみたいと心が動いたのは。
「一体……どんな?」
「折角相手が『遊んでいる』のですから、そこを利用しましょう」
「……成功する保証は?」
「君しだい」
「……」
「……さて?」
「…………」
 ニトロはハラキリを見つめたまま深く沈黙している。
 その姿から目を外して、ハラキリは車に腰掛けた。切られた素子壁バリアの隙間から紛れ込んだか、一匹のモスキートが火の粉の混じる風に頼りなく煽られて、ニトロの傍を飛び過ぎやがてハラキリへと流されていく。
 と、ハラキリが無造作に、近付いてきたモスキートを手の平の間で叩き潰した。
 その動きにニトロは息を飲んだ。
 彼は全く、蚊を叩くという意志も動作の備えも気取らせず、気がついたときにはもう手を振り上げて、理解した時には拍手を打って小さな羽虫を殺していた。
 ずっと見つめていたというのに……まるで映画で、次の場面が途中にあるコマを飛ばしながら現れたかのようだ。その鮮やかさは、難しい手品を苦もなく行う凄腕の手品師マジシャンを思わせる。
 手品師は種もなく消して見せた生命の抜け殻をぱっぱと払い落としながら、思い悩む観客へ微笑みかけた。しかし笑顔とは裏腹に、炎の光に照らされるその瞳には、未だ迷う顧客に覚悟を促す眼差しがある。
「さあ。るか、るか」
「………………」
 ニトロは深く息を吸い、答えた。

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